第5話 |
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口のかたい友人Bはコンピューター技師だった。予想はしていたが、 「オムツって何度も替える必要あるの?」 「あるんだよ。替えないとオムツかぶれになってな」 もう、話すのがイヤになる。この男はレンジで調理というレベルではなかった。 「おれ、コーヒーなら淹れるのうまいよ。ほかはあんまり自信ないな」 この国の男はなにを食って生きているのだろう。ファストフードがなくなったら、たちまち餓死者が出るのではないか。 「風呂に入れるぐらい、頼めないかな。寝たきりじゃないし、おとなしい子だから、そう手間はかからないんだ」 「うーん」 彼は目をさまよわせた。 わたしはため息をついた。言い訳を探している時の目だ。この件には興味がないらしい。 「友だちが頼んでいるんだぜ」 「友だちったって、おれが特別ってわけじゃないだろ」 帰ってくる笑みが冷たい。 「シリル――」 「それにごめん」 と、シリルはすげなく手を振った。 「いま、女房と離婚調停中なんだ。あんたとつきあいがあったってバレるとやばいんだよ」 友人C、Dも似たような結果に終わった。お色気たっぷりの友人たちは高いインテリジェンスをもっていたが、薄情で生活能力についてはからっきしだった。 生活能力がそれなりにある不細工な友人には、別の問題があった。 三つ子の父ハーブは、 「よく来たな。入れ。コニー! ラロが来たよ」 褐色のキューピーのようなかわいらしい奥方が、ハアイ、ときれいな歯並びを見せる。が、すぐにふりかえり、鬼軍曹のように怒鳴った。 「ドナルド! 何度言ったらわかるんだ、そこから下りな! ぶっ殺されたいのかい」 奥から小さい悪ガキが、クソババアと言い返す。 「殺されたいんだね。このクソガキ、くそったれ××××――」 亭主のハーブは、気にするな、とリビングへわたしを案内した。 だが、中はいよいよすさまじい。ふきぬけの天井から子どもの泣き声とわめき声、くわえてしゃがれた老女の怒鳴り声が降ってくる。 「女房の母親が来てる」 ハーブが顔を顰めて教えた。 「で、どうした? なんだい。相談って」 すぐに二階から騒々しい足音が駆け下り、黒人の老女が勢いこんで現れた。 「もううんざりだ。おらルイジアナさ帰るだ。コニーも連れてけえるだよ!」 「お義母さん、ちょっと今」 「あのクソガキどもは全部、おめえさがみるといいだよ! あら全部おめえさの悪党の血だ!」 「いま、お客さんが来てるんで、あとにしていただけませんか」 「いくらでもしゃべくるがええだ。だが、言っておくだよ! コニーがちっちぇころはあんな悪さはしなかった。あのガキどもはクソみてえな遺伝子を持ってるだ! 地獄のガキだ。そのうちおめえみてえな前科者になるだよ」 ハーブもぬっと立ち上がる。 「隔世遺伝じゃねえのか、くそったれババア! 帰りたいならとっとと帰れ! 客だっつってんだろうが!」 コニーが金切り声をあげる。 「ハーブ! ママにひどいこと言わないで!」 「キミのママは客の前でおれを前科者呼ばわりしたんだぞ!」 「気がたってるだけよ。悪気はないのよ」 「ママの肩ばっかり持つな! おれは出てくぞ!」 イエーイ、と足元でガキが騒いでいる。 ハーブは子どもの細首をつかみ、ついでにわたしを思い出した。 「えっと――?」 わたしは何も言わずに彼の家を後にした。とてもではないが、どんなにイヤなやつでもここに押し込む気にはなれない。 最後に友人Eに連絡した。 「病人の面倒?」 マークは興味深げにわたしを見つめた。「あんたもそんなことするんだ」 わたしはすでに憮然としていた。 「だめかい。やっぱり」 「いいよ。長くは無理だけど」 「え?」 マークはさわやかに笑った。 「いいよ。手伝っても」 友人Eのマークは意外にも愛想のいい返事をした。 「あんまり長くはできないけど、大変なら行ってやるよ」 マークはバーテンダーだった。 水商売のくせにあまりに毒のない、やさしい子だ。少し物足りなかったが、今必要なのはまさにやさしさだった。 「一週間ぐらいだったらいいよ。おれが見ている間、息抜きしなよ」 こんなかわいい子だったのか、とおもった。わたしはなぜ、彼を忘れていたのだろう。 「砂漠で死ぬ寸前、ビールの泉を見つけた気分だよ」 おおげさな、とマークは笑った。ひとの好い笑顔が沁みるように可愛かった。 わたしは思わず手をのばし、その肩を引き寄せた。 「ノー!」 マークはあわてて突き飛ばした。面食らって見つめると、 「あ、その。おれ、結婚するんだ」 マークはもじもじと言った。 「フレッドと」 胃の底がすっと固まった。 「この間、決めたんだ。来月から、ふたりでキーウエストに住むんだよ」 フレッドのことは知っていた。湖岸の高級住宅街にいくつも不動産を持っている金持ちだ。ハエのようにマークにまとわりついていた。 「キーウエストで店でももたせてくれるっていったのか」 領土を侵犯されて、わたしは面白くなかった。 マークは傷ついたような顔をした。 「そうだよ。悪いのか」 「べつに。おまえの夢だろ。よかったじゃないか」 自分でもイヤになるほど声がとがってしまう。 マークはみるみる泣きそうな顔になり、 「なんだよ。おれを淫売呼ばわりする気か」 「――」 「あんたに何が言えるんだよ。おれのことなんか知ったこっちゃないだろう!」 彼はにわかに激昂した。 「あんた、おれの男なのかよ。いつもほっぽってさ! 何度電話したって、忙しいって無視してさ。おれがバイクぶつけられて、入院したのだって知らなかったろ。フレッドは毎日つきそって助けてくれたんだよ!」 文句があるのかよ、と怒鳴った。 「ないね」 わたしは言った。「ぜんぜんない。結婚おめでとう!」 マークはわっと泣き出した。 わたしは憮然と泣き声を聞いた。 にがにがしかった。 キーウエストに店を出したい、という夢を聞いたことがあった。わたしはいっしょに行こうと安請け合いした。 その後、そんな言葉も、彼のことも忘れていた。 誰に対してもそんなつきあい方をしてきた。必要な時に肩を抱いて、あとは忘れた。 だれかをぶん殴ってすむ問題なら、手を貸してやれる。愛想を言ってすむなら、やさしくもする。もっと欲しい、と言われるとダメだった。それ以上の問題からは逃げた。 今度は彼らが逃げる番だ。 「さっきの件は忘れてくれ。おれのとこに来たら、フレッドが面白くないだろう」 泣いているマークを残し、家に帰った。 家では犬がまたやらかしていた。 わたしは葉巻を取り出し、火をつけた。にがい香りを一口吸って、煙とともに聞いた。 「おまえもおれが悪いといいたいのか?」 犬の手も足も野イチゴのように真っ赤になっていた。顔も手も腫れ、デコボコと発疹が浮いている。青い目だけが異様にきらめき、深海のふしぎな生き物のようにわたしを見ていた。 |
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