第6話

『そろそろ帰ってこないか。ひとつ急ぎの件があるんだ。報酬は五万ドル。期日は――くそったれ、来月の四日だ』

「だめなんだ。ボブ」

『五万ドルだぞ。新車が買えちゃうぞ。ラロ、こっちは困ってんだ』

「だろうな」

 ベイルボンズ(保釈保証業者)から、仕事の依頼があった。また恩知らずの犯罪者が、借りた保釈金を踏み倒して逃げた。

 世の中には、貧しい被告人に、わずかな手数料で保釈金を貸し出すありがたい会社がある。被告人は保釈金を払い、裁判までゆっくりと自宅でくつろぐことができる。

 ところが、たまに恩知らずがいて、裁判に出廷せず、そのまま高飛びするのだ。

 大金を貸したベイルボンズはこれを血眼になって追うことになる。実際には、プロの賞金稼ぎが追う。

 期日までにみごと犯罪者を連れ戻すと、ベイルボンズは賞金稼ぎに報酬を出す。わたしはこれを生業としていた。

『まあ聞け。アントニオ・サンチェスって――』

「トーニョもペペもいまはダメなんだ」

 わたしは電話を切って、ベッドにあおむいた。
 火の消えた葉巻をとり、ライターで炙る。紫煙を吐いて、天井を見上げた。

 百八十日ある期日があと十日もないというのは、みな苦戦しているのだ。ホシを上げたら、さぞ鼻が高かろう。

(でもなあ)

 昼飯の仕度をしなければならない。あのバカ犬が生の野菜にかじりついたりしないように、スープを煮なければ。

 わたしがマークにふられた頃、バカ犬は家でじんましんを起こしていた。
 ひもじかったのか台所に置いておいた生のエンドウをたいらげたのだ。農薬にアレルギーを起こしたらしい。
 じんましんは治ったが、医者は勝手に犬のための無農薬野菜を注文していった。

(もう、やんなっちまった)

 かれこれ二週間になる。
 グリーンウッド神父は帰ってこない。教会のほうには連絡を入れているらしく、代理の神父がミサを務めていた。

 ぼんやりと恨めしかった。世の中すべてに見捨てられたように気分が沈んでいた。

(ファーザー、さびしいです)

 夜、ひとりでバーで飲んでいると、若い男が隣に座った。

「やあ。ラロ」

 以前、チンピラから助けてやった男だ。舞台役者だ。

「ね。ビールおごって。おれ素寒貧なんだ」

 くるりと茶色い目をあげて甘えてくる。わたしは人と話したい気分ではなかったが、ビールをおごってやった。

「それ持って、あっちへ行け」

「ええ? つれなくするなよ。それでなくても、世間の荒波にもまれて泣きそうなのにさ」

 泣きたいのはこっちだ。だが、小僧はおかまいなしにビールを飲みほし、うれしそうに唸った。

「うまいね! すきっ腹にはこたえられないうまさだよ」

「舞台はどうした」

「いまオフ」

 バイトもクビ、とよけいな情報も加える。

「休みが多いとダメなんだよね。しかたないじゃない。舞台の間はさ。なんか短期でパパッと稼げる仕事ないかな」

 話していて、なにか思いついたらしい。

「おれさ。賞金稼ぎになろうと思うんだ。どう?」

 わたしは酒を飲んだ。「なれよ」

「どうやったらいい? 教えてよ」

 なれなれしく肩をよせ、のぞきこむ。膝をすりつけてきた。

 ――こいつ、男にも媚びるのか。

 だんだんうるさくなってきた。このかわいい素寒貧は小金をせびっている。あるいは一夜の宿か。
 わたしはふと思いついた。

「短期でアルバイトしてみるか? よけいな詮索無用の仕事だが」

 彼は、ワオと目をかがやかせた。




 わたしはラスベガスへ飛んだ。

 ライバルたちの苦戦具合から、逃亡犯はシカゴにいない、彼のベガスの幼なじみの家だとあたりをつけた。暴力組織の友人だ。派手なドンパチがあるかもしれない。

 かがやく白銀の雲海を眺め、わたしはひさびさに気分が晴れ晴れとひろがるのを感じた。
 犬の世話は、役者のリュックに任せてきた。

 ――一週間かそこらで帰る。長くても来月の四日までだ。

 リュックは障害者の世話と知ってたじろいだが、一日百ドル、さらに住み込みと聞いて、

『おれ、看護師になったことあるからまかせてよ。役の上でだけど』

 わたしはリュックが気を変えないうちにさっさと家を出てきた。
 たいへんな試練が待っているが、知ったことではない。わたしは二週間耐えた。彼もなんとかなるだろう。

 ウキウキとラスベガスに入り、活動を開始する。サラミソーセージのニオイを探す犬のように情報屋たちを訪ね歩いた。

 アントニオ・サンチェスは女好きで女にももてた。その特性を活かし、ポン引きになった。売春目的のモーテルをいくつも経営している。

 だが、二十万ドルという保釈金の額から見れば、まだ余罪があるのだろう。おそらく麻薬にも手を出している。彼の同郷のミゲルは麻薬組織のボスだった。

 ――おそらく彼はボス・ミゲルの豪邸にひそんでいる。

 夜、ホテルで情報屋からの連絡を待っていると、携帯に別の電話が入った。

 グリーンウッド神父である。
 さすがにわたしはうろたえた。神に仕える者の神秘な力で、わたしの脱走を知ったのだろうか。

『やあ。ラロ。元気?』

 神父の声はいつもとかわらずやさしい。

『あの子はどうしてる?』

「生きてますよ」

 声を聞かせろと言われたらなんとしよう。(考えてみたら、犬はしゃべらなかったが)

『世話、大変だろう』

「まあ。慣れないのでいろいろと」

『長くなってすまないと思ってるよ。それに、感謝している』

 ひたすらうしろめたい気分だ。こういうことは、もっと早く言ってくれればよかったのに。

「そちらはいかがです?」

『うん。なかなか手間のかかる親父だね』

 神父は笑った。

『だが、心配ないさ。わたしには神のご加護がある。その上、ブルドッグみたいにあきらめないからね。――それより、あの子のことを少し伝えておこう』

 神父は犬の情報を教えた。

 名前はジョーディ・シンプソン。国籍は合衆国。二十五歳。兵士だった。中東に派遣されてすぐ脱走――ということになっている。
 やはり地下の犬らしい。価格は七億五千万セス。

(くそッ)

 わたしは狡猾な中国人を呪った。ヴィラの下取り価格はせいぜい三億セス。二百万ドルも高値をつけさせられたのだ。

『いま、家族を探しているが、まだ結果が出ない』

 もう少ししたらはっきりする、と言った。声に元気がなかった。

「ファーザー。お疲れなのでは?」

『まあね』

「まさか、連中に何か無体なことでもされたんじゃ」

 ばか、と彼は笑った。

『この稼業はストレスが多いんだよ。――なあ、ラロ』

「はい」

『あの子の左のこみかみに……ルの痕が』 

 彼は言いかけて、口をつぐんだ。

『ファーザー?』

 彼は話さなかった。かわりに、

『ジョーディをいたわってやってくれ。少しぐらい誰かがやさしくしてやらなきゃいけないんだよ、あの子は』
 


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