第7話

 いとしのセシル姫の言葉ではあるが、出てきた以上は捕り物に集中しなければならない。

「来てるぜ。そのポン引き野郎」

 情報屋はあっさり教えた。

「ちょっと前まで、そこのホテルのカジノに通いつめてた。お目当てはルーレットじゃなくて、ディーラーのかわい子ちゃんだ」

 情報屋は、ポン引きをかくまっているボス・ミゲルの敵対組織の人間だった。この情報は信じていい。

 やはりサンチェスはラスベガスに来ていた。
 わたしの同業者は気づいていない。彼の大量のガール・フレンドの家を見張るのにいそがしく、ボス・ミゲルとのつながりをつきとめられなかったらしい。

 この仕事は情報がものを言う。情報とちょっぴりの推理力。それがないと経費ばかり食って成果は出ない。

「かわい子ちゃんの名前は」

「ベラ、とかなんとか」

 ボス・ミゲルの麻薬御殿に踏み込むわけにはいかない。わたしはベラ嬢の調査をした。

 ベラ嬢は独身で、ほどほどのレベルのアパートに一人住まい。調べてみると最近、高級車に乗ったあやしげな小男が迎えに来るらしい。
 ガードマンは、サンチェスの写真をみて、まさにこいつだ、と教えた。

(ベラに協力を頼むか)

 わたしは下調査のためにカジノに足を踏み入れた。おのぼり客たちでにぎわうフロアを見渡すと、ルーレットのテーブルがあった。

 ベラは背が高かった。営業スマイルの品がいい。育ちのよさそうな知的美人だ。

「ドリンクはいかが?」

 いきなり、胸の前にグラスのトレイが差し出された。すぐ脇でバニーがこぼれるような笑みを浮かべている。

「あのルーレットの子、美人だね。きみも素敵だけど」

 グラスをひとつ取り、わたしはトレイに多めのチップを置いた。

「教えてくれる? あのコ、デートに誘ったら、望みありそうかな」

「ええ――いいえ。やめたほうがいいわよ」

 バニーは五十ドルのチップで味方についてくれた。

「チンピラとつきあってるから、怪我するわよ」

 バニーによると、ベラとサンチェスはアツアツの仲らしい。
 ベラは純情な人間らしく、最初サンチェスを嫌がっていたが、彼が『きみのために悪の道から足を洗う』と口説くとコロリとまいった。

 サンチェスは女を食べて生きている男である。ベラを次なる商売道具に仕立てようとしているのかもしれない。
 わたしはバニーから五百ドル以上のゴシップを仕入れ、ベラのテーブルについた。

「サンチェス氏に危険が迫っています。話を聞いていただけませんか」




 アントニオ・サンチェスは、のこのことベラのアパートにやってきた。

「ピーナツちゃん。トニーだよ」

 ベラが開けないので、彼は自分で鍵を開けて入ってきた。

「ベラ?」

 ふりむいたサンチェスが無骨な銃口を見て、ギクリと止まる。
 わたしは「ハアイ、ベラよ」と答えて、手をあげるよう促した。

「だ、誰だ」

「お迎えだ」

 サンチェスの目に刹那、ファイトか逃走か迷いが走った。
 わたしはその眉間に銃口をつけ、ベイル・エージェントのバッジを見せた。

「逃げてもいいぜ。そんときは撃つけどな」

 賞金稼ぎは警官よりがさつである。犯人の身柄確保は生死を問わない。生きていたほうが報酬は高いが、都合が悪ければ殺してもかまわないのだ。
 サンチェスはいまいましげに毒づいた。

 その手に手錠をかけると、女が泣き声でわめいた。

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 ベラは美貌を水びたしにして、

「あなたのためなの。だって、あそこにいたら、あなた殺されるから。しかたないの」

 わたしは彼女にボス・ミゲルの悪口を吹き込んだ。
 ミゲルがサンチェスをかくまっているのは、サンチェスに警察で麻薬取引のことを暴かれたくないからだ。いざとなったら口封じできるように手元に置いているのだ、と教えた。
 憶測が大部分を占めるが、真実も幾分かあるだろう。

「おれのためだったんだな」

 サンチェスはさすがにプレイボーイだけあって、女を罵らなかった。

「いいよ。おれのためにやったんだ。怒ってないさ。おまえみたいなおバカさんに惚れたおれの負けだよ」

「トニー!」

 わたしは、ウインクしている色男をせきたてて、アパートを出た。




 サンチェスをシカゴまで護送して引き渡し、面倒な書類手続きを終えると、わたしはワン公とオムツの待つアパートに急いだ。

 休暇は予定より短かったが、思いっきり羽をのばした。しおれていたプライドのほうも元気になった。介護生活にも耐えられそうだ。

(でも、もう一日、休暇を満喫するというテもあるな)

 予定は一週間だ。あと三日遊べる。貧乏役者のリュックも一週間分の給料をあてにしているだろう。

 ささやきは甘かったが、わたしはあきらめてアパートに向かった。欲をかいて、美しい神父をがっかりさせたら元も子もない。

「――リュック?」

 自宅のドアをあけると、いきなり爆音のような音楽が飛び出してきた。
 好戦的な歌詞のラップのむこうで男の笑い声がする。複数の人間がいた。

「見ろ! すげえな」

「ピンクにしようや。青とピンク」

 リビングではない。寝室からだ。ドアを開けて、わたしは息をつめた。

 煙草のけむりがたちこめる中、五人の男たちがベッドを囲んでいた。

 ベッドに白く痩せたからだがのっていた。
 犬は全裸だった。

 ひとりの男の股間に鼻をつけ、苦しげにペニスを咥えていた。高くあげた尻にカラフルなバイブが二本差さっている。ふたつのバイブは羽虫のように震え、幾筋もの鮮血が太ももをつたっていた。

「ああ、帰ったの」

 リュックが近寄った。わたしの顔色に気づいたが、

「どうってことない。ただの撮影会さ。――小遣い稼ぎだよ」

 見ると、ひとりの男がちゃちなデジカメを持っていた。
 わたしは言った。

「メモリ」

「は?」

「メモリを消去しろ」

 その男は、知的所有権がなんとかと言って抵抗したが、わたしはその男からカメラを取り上げた。メモリを抜くと、カメラを床に叩きつけた。
 男たちがたじろいで足をちぢめる。

「怒らないでよ」

 リュックが面倒くさそうに唸り、

「ほんの遊びだよ。こいつだってイヤがらなかったんだ」

「出て行け」

 リュックがなにか言ったが、わたしは聞かず手近な男からひっつかんで放り出した。全員を家から蹴り出す。
 ドアを閉めようとすると、リュックが悲鳴をあげた。

「金!」

 わたしはその首を握り潰しそうになった。

「殺されたくなきゃ、二度とおれの前に現れるな!」

「金をよこさない気か?」

 リュックの顔もゆがむ。

「ふざけんなよ! パスカル、てめえは何様だ。てめえだって、あいつをやってたんだろ?」

 ああ? と彼は甲高い声を出した。

「ありゃ折檻の痕だろ。鞭打ちの痕だろ。てめえだって頭の弱いのいじめてたんじゃねえのかよ。おれらがタレこんだら、即刻ムショ行きだぜ」

 わたしは口が早くまわるほうではない。あまりの盗人たけだけしさにすぐに次の言葉が出ない。いい気な小僧はそれを怯えととったらしい。
 いよいよ凄みをきかせ、

「バウンティハンターってのはムショじゃ長生きできないんじゃないのか」

「おまえにもバウンティがかかってるぜ」

 わたしはやっと言った。

「ボス・フェルドが、自分の女にちょっかい出したピザ屋の小僧を探し回ってる。デッド・オア・アライブだそうだ。おれを告訴したいか」

 にわかに小悪党の顔色が悪くなった。急に泣き顔をつくり、

「おれ、ホントに困ってんだよ。金がいるんだ。ちゃんと世話はしたんだよ」

 わたしはドアを閉めた。

(命があっただけありがたいと思え!)

 わたしは犬をバスタブに入れ、汚れを落とした。足には血にまじって生臭いものが垂れていた。

 ――五人全員に犯られたのか。

 抵抗できないこいつを、と思うと溶岩のような感情で、シャワーを持つ手がふるえそうになった。なぜ、連中を半殺しの目に遭わせなかったのか。

 しかし、一番の悪玉はこのわたしだ。
 持ち場を放棄した。こともあろうに、最悪の害獣のもとに預けて逃げ出したのだ。わたしがレイプさせたのだ。

「ワン公――」

 ふと犬の顔に気づいた。

 犬は目をとじて、おとなしく湯を浴びている。犬の顔に苦痛は残っていなかった。あたたかい湯を浴びてやすらぎ、心地よげであった。

 そのこめかみに小さい古傷が点とついていた。
 小さな星のようなケロイドが残っていた。

 ――こめかみに……ルの痕が。

 不意に神父の言葉がよみがえった。はっきりすべての音がよみがえった。

 ……ドリルの痕が。
 
 わたしはうすく口をあいて犬を見た。
 だが、犬は頓着しない。暴力や痛みは、体内で、雪のようにふり積もるままに置き去られ、当人にさえ省みられない。

 この犬はもう、あきらめたことさえ覚えていない。うつろな、愚かしいような、眠いような、透きとおった顔をして、シャワーをたのしんでいた。

「ワン――ジョーディ」

 わたしはうなだれた。

「おまえにアイスクリームを買ってきてやったぞ。全部、食っていい。あの馬鹿の分も。全部食って、腹こわしてもいいぞ」



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