第9話

 エクソダスの活動は、クライアントの依頼からはじまる。

 家族や恋人を奪われた人々が、警察や探偵事務所、あるいは民間軍事会社をまわり、どこにも相手にされず、最後の望みをたくしてやってくる。

 クライアントはさまざまな妨害を乗り越えてきたタフな人々だ。救出された男たちは強い愛情に迎えられる。困難はあれ、愛が支えてくれるのだ。

 ジョーディには依頼人はいなかった。間違って救出され、宙ぶらりんになっていた。




「まともなところだよ」

 グリーンウッド神父は紅茶のカップをすすめ、自分もひとつ取った。

「大きくはないんだが、スタッフは十分いて、ケアが行き届いている。訓練もきちんとしてくれる。薬漬けにするようなとこじゃないよ。安心していい」

 わたしの躊躇をそうした心配ととったのだろう。たしかに患者を薬漬けにするようなところではこまるが、それを聞いても気持ちが晴れない。

「――手のリハビリもしてくれるんですか」

「必要ならそうしてくれるだろう」

「金がかかりますね」

 神父はうなずき、紅茶を飲んだ。「――送りたくないんだね」

 わたしはいやな気がした。憮然と黙っていると、神父はやさしい微笑を見せた。

「うれしいよ。きみがジョーディのことを大事に思ってくれて」

「ファーザー、あなたは」

 わたしはバカなことを言った。

「あなたはいかがですか。この教会に彼を置くわけにはいかないですか」

 静かな教会の生活なら、彼もやっていけるのではないか。障害はもっとマシになる。侍者ぐらいにはなれるかもしれない。
 だが、神父はしずかに、ノー、と言った。

「わたしは彼を世話してやれない」

 なんのいいわけもしなかった。

「わたしたちの感傷より、ジョーディの幸せを考えないといけないんだ」

 もうひとつ方法がある。もっとばかげた方法だ。
 わたしが引き取るというものだ。
 
 これは愚にもつかないたわごとだ。わたしは危険な職業についていてるし、なにより、飽きっぽい。拘束されるのが何より嫌いなタチだ。いずれ重荷になる。施設の医者よりいいわけがない。
 
 わたしはこの方法は口にしなかった。
 来週、ジョーディを施設へ送ることになった。




 わたしはなぜか、あちこちに電話をかけまくった。
 FBIの知人。軍の友人。商売仲間。情報屋。

 ジョーディの親類を探していた。
 施設行きに抵抗しているわけではない。なにか変えようというのではない。自分でもこの活動になんの意味があるのかわからなかった。

「妹がテネシーにいる?」

 わたしは商売仲間から、新しい情報を聞いた。
 ジョーディに妹がいた。彼の母親と再婚相手との間に出来た子らしい。

(地元に兄弟がいたんじゃないか!)

 信じられないことに、グリーンウッド神父の調査員は肝心なことを見落としていた。妹は結婚して姓が変わっていたが、生家からそれほど離れていないところに住んでいたのだ。

「おいで。ドライブだ」

 わたしはジョーディを連れ出した。
 ジョーディの生家はテネシー州のナッシュビル郊外にあった。飛行機で行けば、ニ時間ほどで着く。

 だが、わたしは車の旅を選んだ。なぜだか、ゆっくり行きたかった。ジョーディにいろんな風景を見せてやりたいような気がした。

「おまえの家も残ってるらしい。赤の他人が住んでるが。――だが、タンディは近所に住んでる。一度、都会へ出たが、戻って幼なじみと結婚したんだとさ」

 ほこりっぽいハイウェイを運転しながら、わたしはひとりでしゃべった。

 ジョーディはうつむいている。ドライブという状況に緊張しているのだろう。
 わたしがミシシッピー川やカッコいい車や、横切る鹿などを見せようとしても、ワイパーより上には目をあげない。

 彼が唯一反応したのは、ドライブスルーでハンバーガーを注文した時だけである。その時だけは腹の虫をぐうぐう言わせ、満身期待にみなぎっていた。

 けわしい形相でフィッシュバーガーをほお張る相棒を見て、わたしは苦笑した。

「妹に会う前に満腹にさせておかないといかんな」

 ケンタッキーのマンモスケイブ公園の近くでモーテルに一泊する。

 モーテルにはベッドがふたつあった。
 座りっぱなしで疲れたのだろう。ジョーディは心地よげにからだを伸ばした。

「気に入ったか」

 思えばこのひと月、ずっとソファに寝かせていた。窮屈だったに違いない。

「ベッドぐらい買ってやればよかったな」

 部屋もひとつ空けてやればよかった。

 だが、ジョーディは夜中、寝つけなかったらしい。朝起きると、わたしの毛布の上にキャンディの包み紙がいくつも置いてあった。
 



「ジョーディ、顔をあげてごらん」

 土くさいカントリー・ソングの町ナッシュビルを過ぎて、フランクリンに入る。のんびりした田舎の住宅地だ。
 空が広い。土地はひろく整頓され、人間が少ない。

 ジョーディは半分眠ったように目を伏せている。カーナビによると、すでに彼が子ども時代走り回ったであろう地域に入っていたが、故郷の風がなにかを呼び覚ますという風はなかった。

「ここだ。今のタンディの家だよ」

 わたしは古い家の前に車を停めた。
 まず、ティッシュでジョーディの顔からパンケーキの屑とシロップをぬぐう。新しいシャツを着せたのに、もうシロップで汚してくれた。それを拭き、シートでつぶれた髪の毛を手ぐしで梳いてやり、眠そうな青い目を覗きこんだ。

「少し愛想よくしろ。妹が泣いちまうぞ」

 わたしは彼を車から降ろし、呼び鈴を押した。
 なかなか反応がない。ガレージに一台ワゴンがあるのだが。
 うるさく押すと、マタニティドレスを着た女が不機嫌そうに出てきた。

「タンディ・アボットさん?」

 女は目をすがめ、「は?」と聞き返した。

「ここにはそんな人いないわ」

 わたしが何も言わないうちに、彼女はドアを閉めた。
 なにか手違いがあるのだろうか。

 何度か電話を入れたが、いつも留守電だったため、アポイントはとれていない。
 もう一度呼び鈴を押すかどうか迷っていると、

「ジョーディ?」

 道を小さな老婦人がよたよた歩いてくる。ジョーディに向かい、

「まあ、ジョーディ? あんたジョーディよね。帰ってきたの? あたしよ。まあ――」

 わたしは失礼ですが、と割って入った。

「ジョーディは病気で、言葉が出ないんです。奥様は」

 婦人はジョーディの事情などどうでもいいようだった。

「あたし? この子たちの家の隣に住んでたのよ。この子が生まれた時から知ってるわよ。よくお菓子を作ってあげたわ。あたしの家はあの――」

 長い思い出話がはじまりそうだ。

「すみません、ミセス?」

「エバンズです」

「エバンズさん。この近くに彼の妹が住んでいると聞いたんですが」

「あら、ここよ」

 彼女が指したのは、果たしてさっきの妊婦の家だった。ミセス・エバンズは頼みもしないのに、ポーチをあがり、

「タンディ、タンディ! マーサよ!」

 老人らしいが遠慮のなさでドアを激しく叩く。先の妊婦が顔を出し、じろりとわたしを見た。
 わたしは助け舟を出した。

「どうも。押し売りと間違えられたようで――」

 タンディはわたしたちを中へ入れた。ミセス・エバンズも入ろうとしたが、

「マーサ。悪いけど、家で待っていてくれない?」

「あら、どうして」

「――もしかしたら、警察に電話してもらうかもしれないからよ」

 最後の言葉は、わたしたちにも聞かせていた。
 ミセス・エバンズは感動の再会シーンを見たがったが、しぶしぶ出て行った。

 わたしは咳払いした。

「こんにちは。ミセス・アボット。わたしは――」

 挨拶しようとすると、タンディは眉を逆立てた。

「なんで連れて来たの! 困るって言ったでしょ! 何度も電話してきて! 訴えるって言ったの聞いてなかったの?」

 いきなり剥き出しの怒りを浴びて面食らった。さらに、彼女はなにか勘違いしているようだ。

「誰かとジョーディのことを話したんですか?」

「あなた――グリーンウッドじゃないの?」

 わたしはすこし混乱した。
 グリーンウッド神父は彼女に連絡をつけていた? なのに、言わなかった。

「その男とは別働隊です。パスカルといいます。彼を保護した者です。ジョーディはある犯罪組織に捕らわれて」

「聞いたわ。パーになったんでしょ」

 彼女は言い、うるさそうにこめかみをおさえた。

「死んだって聞いてたのに、生きてて、パーになったって。今さらふざけないでよ」



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