第10話 |
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タンディは兄をほとんど見ない。 ジョーディはあいかわらずうつむいている。おとなしくしているが、妹を認識していないようだった。 「ジョーディはうちを出てったのよ」 タンディはソファの端に尻をひっかけ、面倒くさそうに言った。 「うちが嫌いだったの。パパとあたしが。ハイスクールを出て、さっさと軍に入って、それっきりよ。軍から脱走したって報せが来て、噂で死んだって聞いたわ――」 「噂を信じてたんですか」 「さあね。とにかく、ずっといないもんだと思っていたわけよ。もともと、あんまり家にいなかったから、どうってことないわ。だからね。こまるのよ。いきなり帰ってこられても」 わたしは自分の愚かな失敗に気づいた。 タンディがおどろくだろうとは思っていた。いや、本当のことを言えば、彼女のことはあまり考えていなかったのだ。シカゴで涙の再会しか見ていなかったため、油断していた。 女のアイスブルーの目が辛辣にわらった。 「あたしの亭主、ふたつ仕事してんの」 ウイークデーは自動車会社で働き、土曜はナッシュビルでレジを打っているという。彼女自身も写真屋の店番をしていた。 それだけ働いても、保険やローンの支払いで火の車だと言った。 「金食い虫の子どもが生まれるでしょ。あたしの歯のローンがまだ残ってるし、家も直したいしね。ここ古いのよ」 タンディは金がない、と言っていた。もうひとり置く余裕はない。施設へやる金もない。だれの世話もしたくない。 タンディが経費のリストを読み上げる間、ジョーディは神妙に目を閉じていた。 その呼吸がなだらかだ。眠ってしまったらしい。 「それにもうすぐパパが出所してくんのよ」 だからね、と彼女はわらった。 「いきなり、パーになったから引き取ってくれっていわれてもこまるわけ。関係ないのよ。うちは」 これ以上、聞く必要はなかった。 わたしはジョーディを起こし、立たせた。玄関を開けると、ジョーディはとっとこ出ていった。 わたしは何も言わずに去ろうと思った。 だが、エントランスには、届いたばかりのベビーベッドの箱が置かれていた。壁には海辺で笑っている若夫婦の写真があった。 わたしはふりかえり、タンディに言った。 「べつに養って欲しいとおもって、連れてきたわけじゃない」 なんのために連れてきたのだろうか。こんな言葉を聞くためではなかった。彼女に見苦しい貧乏自慢をさせたくもなかった。 いったいなんのために来たのだろう。 「――ただ、チキンを作ってやって欲しかった」 タンディは眉をひそめた。 「チキン?」 「チキンか、なにかわからない。おれは彼の好物が何か知らない。彼が以前、好きだったもの。長く離れていた家族が、食べさせてやりたいと思うようなものさ」 タンディはそっけなく言った。 「おあいにくさま。女がみんな料理好きだと思わないで」 わたしはポーチを降りた。 ジョーディは眠そうに目をしょぼつかせて待っていた。痩せた体に新しいシャツがひどくみすぼらしく見えた。 わたしは葉巻を咥えたまま、グラスにバーボンを足した。一本空けたが、胸によどんだ冷たいものがまぎれていかない。 グリーンウッド神父は知っていた。 だから、施設に入れることにした。 (結局、おれのひとりよがりか) わたしは愚かにも、ジョーディを喜ばせてやろうとした。 右から左へ施設へ放り込む前に、なにかあたたかいものを残してやろうとした。一日ぐらい楽しい日があればいいとおもったのだ。 顔の前に、ぬっとプラスチックの蓋が差し出された。ジョーディが紙コップの蓋をつまみあげている。 「ゴミをあさるな」 わたしは腕でそれをどけた。だが、ジョーディはまだ蓋をつまんだまま、突っ立っていた。 わたしはにわかに逆上した。 「いったいなんだっていうんだ、おまえは!」 怒鳴ったとたん、抑えがきかなくなった。 得体の知れない猛々しい感情が腹の底から噴き上がった。ままならぬことへ怒りが満ち満ちていた。数日来、わたしはなにかに駆り立てられ、頭をぶつけつづけ、怒り狂っていたのだ。 わたしは浴びせた。 「いったいなんだというんだ。おまえは押し付けられたワン公だ。おれはいやだった! おまえは友だちでもない。女でもない。おれがなんだって、おまえに負い目を感じなきゃならないんだ。なんでおれはジタバタしてるんだ。おまえはとっとと施設に行けばいいんだ! おまえとおれとは関係ない。あの女以上に関係がないんだ! 赤の他人だ!」 ジョーディは硬直して、わたしを見ていた。 その体がだんだんちぢんでいった。指をにぎり、心臓をかばうようにして、肩をまるめた。青い目がさざなみのように揺れた。 わたしは自分のしでかしたことに気づいたが、荒々しいものはまだ消えなかった。 かろうじて顔をそむけた。 「とっとと寝ろ。おれはばかばかしくて泣きそうなんだ」 寝ろといったところで、ジョーディが理解するわけもない。彼はしばらくすくんだままでいた。 わたしは放っておいた。バーボンをあおり、目をとじた。 酔った頭に聖書の句がぐるぐるめぐった。 『オンドリが鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないというだろう』 浅い眠りから目を醒ました時、ジョーディはいなくなっていた。 |
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