第11話

「もしもし! ジョーディはそっちに行ってないか。ジョ――タンディに代わってくれ」

 電話に出た亭主は眠りから叩き起こされて、不機嫌なうなり声をあげた。すぐにタンディが代わった。

『何時だと思ってるの!』

「ジョーディがいないんだ! きみの家に行ったのかもしれない。外を見てくれ!」

 タンディの家には行っていなかった。
 わたしはモーテルから車を出し、夜の町を探し回った。

(上等だ。あのクソ犬が)

 ちょっとヒステリーを起こした結果がこれだ。あのバカ犬は逆行したのだ。残酷な主人に苛められると思って、トンズラしたのだ。

(とっとと施設に放り込むべきだ。ああいうのは素人が面倒みちゃいけないんだ!)

 やみくもに車を走らせても意味がない。わたしは荒い息をおさえ、冷静になろうとつとめた。

 ――生家かもしれん。

 ジョーディの意識が覚えてなくても、からだが覚えているかもしれない。

 カーナビを見ながら車をまわすと、後ろから白いワゴンが近づいた。
 タンディと亭主らしい男が乗っていた。

「近所にはいないわ」

 窓をあけ、タンディが叫んだ。「警察に知らせる?」

「さきにそこの家を見てみる。――」

 そう言った時、短い爆音が夜闇に響いた。銃声だ。
 タンディの影が凍りついていた。

「もとの家だわ」

「きみらは来るな」

 わたしはアクセルを踏んだ。
 
 ――やはり自分の家に戻っていた。

 不法侵入を働こうとして、住人に撃たれたのだ。

 また銃声が響いた。
 近所の家に電気がつきはじめている。男の怒鳴り声が聞こえた。

「地獄へ落ちろ!」

 見ると二階の窓からショットガンをかまえている老人がいた。
 わたしは車から降りると怒鳴った。

「撃つな! 泥棒じゃない!」

 だが、興奮している住人はわたしのほうに銃口を向けた。すぐにワゴンから、タンディが叫ぶ。

「マコーリーさん! 撃たないで!」

 亭主もいっしょに、撃つな、とわめいているため、よく聞こえない。わたしはふたりに近づくな、とわめいた。妊婦が撃たれたらどうするのだ。
 だが、女の声が一番よく通った。

「タンディ・シンプソンよ! ここの家にいた! 撃たないで! 兄なの! ジョーディなの!」

 ショットガンの銃口が窓から引っ込んだ。
 すぐに階下に電気がつき、パジャマ姿の男が出てくる。

「いったいなんのいやがらせだ!」

 わたしはタンディに説明を任せ、庭に踏み込んだ。ジョーディを呼ぶ。

「庭の木に登って、に、二階に侵入しようとしやがったんだ」

 興奮おさまらぬ住人が、どもるようにわめいた。

「一発で打ち落としてやった」

 わたしはぎょっとしてふりかえった。

「当てたのか」

「当ててやったさ! ネズミみたいに落ちやがった」

 手がふるえそうになった。
 最悪だ。わたしは暗闇に目を凝らし、倒れているジョーディを探した。

 タンディが何か訴えている。住人はまだ悪態をついていたが、家中に電気をつけて、庭を照らした。

 くだんの木はそれほど家屋に近くない。だが、たしかにその根元には壊れかけた椅子が置かれ、においの強い生の葉が散らばっていた。ジョーディはいない。
 わたしはタンディ夫婦を残し、家を出た、




「ジョーディ、どこだ――」

 早く見つけ出さなければ失血死してしまう。
 あのあたたかい塊が石のように冷めてしまったら、と思うとおそろしかった。

 いままでいくつもの棺をのぞいてきた。陽気な悪党どもが、棺のなかではみなおとなしく目を閉じていた。どうしようもなくバカで、ホラ吹きで、小僧っ気の抜けない悪党が、きれいに髭を剃られ、ピンク色の死に化粧をして、冷たくかしこまっていた。

 わたしたちはそれを指差し、冗談を言った。辛気臭い司祭の話に茶々を入れ、笑い飛ばしてやった。

「ジョーディ、おれがこわいのか。もう怒ってないぞ」

 泣くわけがない。センチメンタルになぞならない。馬鹿が欲の皮つっぱらかして、ドジ踏んで死んだだけのことだ。どいつもこいつもろくでなしだ。

 ジョーディは最たるろくでなしだ。
 二十五にもなってオムツをしているマヌケ野郎だ。頭に穴を開けられ、鞭打たれ、間違えて助けられた。妹にも捨てられた。

 笑ったことは一度もなかった。楽しんだことは何もなかった。いつも消えたテレビを見ていた。いつもうつむいていた。あまりに壊れすぎて、粉々すぎて、収拾がつかなかった。光を灯してやりたくても、あがいても、どうにもできなかった。駆けずりまわっても、何もできなかった――。

「ジョーディ、声をあげろ!」

 闇のなかに青く町の輪郭が浮き上がりはじめた。空が白い。
 警察に行かなければならない。
 
 その前にわたしは車をモーテルに戻した。もしや、とおもったのだ。

 果たして、モーテルのドアが開いていた。
 はだしの足が見えた。ふたつのベッドの間にジョーディは倒れていた。

「ジョーディ!」

 大声をあげると、ジョーディはバネじかけのように飛び起きた。

「怪我は? おまえ、撃たれなかったか」

 シャツに血はついていなかった。顔も手足も鋭いひっかき傷だらけ。足裏は泥で汚れていたが、弾にはあたらなかったのだ。

「おまえ――」

 安心した途端、ぐわっと怒りがこみあげた。殴りつけようとした時だった。

 背中から、ポトリと何かが落ちて転がった。
 濃い緑色のなにかの実だ。不意に部屋に満ちたにおいに気づいた。

 ――レモン?

 見ると、ベッドの上いっぱいに、妙なものが並んでいた。
 
 たくさんの青いレモンの実だった。ピンポン玉ほどの青い実や、こぶしほどのうす緑の実がよたよたと列をつくっている。ちぎれたばかりの生の葉が強い芳香を放っていた。

 ジョーディはわたしが探している間中、これを並べていたらしい。

「なにをやってくれてんだ、おまえは――」

 そう言いかけた時、突然、これが彼のプレゼントなのだと気づいた。
 わたしあての、ジョーディの言葉だった。

 黒いような青い小さな実や、いびつな黄色い塊が、パレードでもするように並び、こちらを向き、語りかけている。

 笑って、と言っていた。
 もろい指先で置かれたレモンのひとつひとつが言っていた。

 笑って。
 悲しまないで。
 笑って。

 間違っていなかった。アイスブルーの目は気遣わしげに瞬き、わたしが喜ぶのを待っていた。

 わたしは喜べなかった。心臓に銃弾を食らったように狼狽していた。

 傷だらけの、ぼろぼろの魂が首をかしげて見ていた。不器用な手で、他人の傷をふさぎ、小さな花を差し出していた。

 わたしはへたへたと尻をつき、口をあいた。胸の芯にしわがより、圧しちぢむように痛んで、息ができなかった。



←第10話へ            第12話へ⇒




Copyright(C) FUMI SUZUKA All Rights Reserved