第3話

「パンテオンのトルソー犬が一匹、近く薬殺処分になる。リストラだ。あそこは規模縮小してるんだ。だが、その犬にはファンがついていて、そいつが措置に納得しない」

「――」

「その犬の世話係だ。世話しているうちに情をうつした。そいつはおれに頼みにきた。恋人の処分をやめさせろ、いや、解放しろと言ったな」

「……」

 なぜ、おれに? と彼は自分で言った。

「おれはただのアクトーレスの班長だ。経営側に口をきく権利なんかない。そう説明したが、やつは信じない。おまえにはプラエトル(ヴィラ支配人)との強いコネがあるはずだっていうんだ」

「?」

「変わってるだろ? でも、そう言うんだ。おまえが奴隷から復帰できたのはプラエトルに気に入られたからだ、コネがあるはずだ、プラエトルに今すぐ電話してくれ、と」

「……うーん」

 イアンは酒でのどを湿し、

「おれは言ったさ。あれは向こうの都合で、勝手に復帰させたのであって、おれがお願いして、なんかさせたわけじゃないんだ、と。個人的に会ったことは一度もない、と。だが、そいつはものすごく頭が悪いんだ。おれがごまかしていると思い込んでて、がんばるのさ。あげく――」

 彼は黙った。なにかを鎮めるように目を伏せ、憮然としていた。

「あげく?」

「『あんたはまた、トルソーを殺すのか』だと」

 おれはおもわず、呻いた。

 事情がある。
 関係者はイアンの無実を知っている。イアンはサーシャの死には関係がない。

 だが、ヴィラはピアソンの詐欺に踊らされたことを認めなかった。文書の上では、イアンはいまだサーシャ殺しの犯人として残っているのだ。
 新人は派手な表向きの話しか知らないだろう。

 イアンはまた飲んだ。にわかに噛みつくように言った。

「おれはいつまでサーシャに祟られなきゃならないんだ? ラッセルはやつのために死んだ。おれも地獄を見た。足の傷は今でも痛む。――もう十分だろう!」

「……」

 こたえずにいると、彼は顔をそむけた。とりつくろい、おざなりに酒を褒めた。
 おれは黙って、彼と自分のグラスに酒を注いだ。

 しばらくふたりで飲んだ。
 彼はじっと自分のはらわたの生傷を見ていた。そこに淡々とそそぎかけるように、ウイスキーを流し込んだ。
 おれはイアンの宇宙になにがあるのか、想像しなかった。
 ただ、飲んで、待った。

 やがて、

「なぜ、おれはあんな目に遭ったんだろう」

 低い声が言った。

「時々、考える。あんな、起きるはずのないことが、なぜ、おれだけに、ふりかかってきたんだろう――」

 おれはイアンを見た。彼はそれ以上は言わなかった。憮然と酔眼を壁に向けていた。

 すでに遅かった。
 おれに言えることはあまりない。彼にたずねた。

「ほんとうに、プラエトルにコネはないのか」

「あったら、おれがおどろきだ」

 ない、と言った。だが、おれの目を見なかった。
 おれは友に言った。

「じゃ、忘れろ。ちゃんと自分の部屋に戻って寝ろ。――だが、ふっきれないなら、後悔しないようにしろ」




〔イアン〕 ;アクトーレス 第五デクリア所属 身分 デクリオン(隊長)


 ほんの少し前は時代が今よりやさしかった。
 残酷な遊びをするには隠れ家にこもらねばならなかった。
 いまは外の世界のほうが荒々しい。客たちは暴力に飽きて、遊びに糖分をもとめている。

 パンテオンには最盛期、二ダース近いトルソー犬が飼われていた。四肢切断の判断も今より簡単になされていた。
 いまや、十匹にも満たない。
 それでもヴィラは多いと判断した。二匹削って、維持費を縮小しろという。

 さいわい、一匹は買い手がついた。
 もう一匹が、どうしても売れない。
 トルソーを好む客は少ないのだ。

 死刑判決を受けた犬は、メル・ウッドストック。競馬の騎手だった。

 おぼろげに記憶がある。
 ムセイオン(研修施設)の講習で、トルソーの扱いを習う時に連れてこられる犬だ。
 騎手の小柄。知的な、賢い男の顔をしていた。そのくせ、どこか少年っぽいあどけなさがあった。とび色の目が明るかった。

 あの明るさは恋のせいだろう。
 メルは恋をしていた。相手は自分の世話係の下級スタッフ。
 その男は今、彼を助けようと望みのない戦いをやっている。 



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