第4話 |
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〔フレディ〕 ;パンテオン(四肢切断犬用施設)付きスタッフ あのアクトーレスのデクリオンが来た。 「上にはかけあった」 デクリオンはぶっきらぼうに言った。 「答えはノーだ。あとの手段は、メルに飼い主を探すことだけだ。いま、アクトーレス・マクシムスを通して、家令長に宣伝を頼んでいる」 おれはぼんやり彼を見た。彼のしゃべった意味がようやくわかると、言った。 「その飼い主は、メルに足をつけてくれるのか」 「そんなこと知らん。こっちは売るだけだ。言っとくが、きみには監視をつけてるからな。くだらない真似はするな」 デクリオンは不愉快そうに帰っていった。 (監視――) おれがメルを逃がそうとしていることを、彼は見通していた。 こまったことだ。 だが、なんとかなるだろう。二三人多く殴ればいい。 メルはおれが運び出すしかない。結局そうなのだ。ここの客は好き勝手に遊ぶだけだ。メルに手足をつけてくれるわけがない。 彼をかばんに詰めて、おれが連れていこう。 だが、メルはまた抵抗するだろう。 この前は彼が騒いだせいで、レイプの疑いをうけた。担当をはずされ、あやうくヴィラから放り出されるところだった。 メルは死ぬ気だ。 ――逃げてどうする? このからだで? 外の世界で何をする? 歌でも歌うのか。 彼は言った。 ――フレディ。おまえにはわからない。おれが、どんなにこの終わりを待ってたか。毎日毎日、あの天井を見ながら、どんな思いで過ごしてきたか。おれはずっと神に願っていた。早く、終わりにしてください。死なせてください、って。それがやっとかなうんだぜ。今度こそ、ほんとうに、解放なんだ。 わかってくれ、と訴えた。 おれにはわからない。メルの目がとじて、メルのからだが冷たくなって、何がいいのかまったくわからない。 だが、おれはしゃべるのが苦手だ。考えるのも。 ただ、言った。 「あんたをまた、馬に乗せるから」 あの時、メルの目が大きくなった。 「あんたを抱いて、おれが手綱をとる。そうすれば――」 「やめてくれ」 メルはいやな顔をした。 「最悪の冗談だ。だいたい、おまえは馬なんか扱ったことないだろう」 傷ついたように彼は顔をそむけてしまった。 おれは黙った。そうだ。おれは馬など見たこともない。そんなお上品な育ちじゃない。 物心ついた時には、母親が酔った父親に殴り殺されていた。親戚もろくでなしぞろい。その間をゴミのようにたらいまわしにされて育った。 世界は灰で出来ていた。おれも灰で、なんの希望もなく生きていた。 ゴーレムだ。なんの意思もなかった。 だが、メルはおれの手にキスをした。首をねじまげて、おれに話しかけた。 ダービーの話を。馬の話。観客も何も消え、馬とからだが溶け合う瞬間の話。別の世界の話を。 彼はおれに命を吹き込んでくれた。 (あいつをまた馬に乗せてやりたい) ここから出して、彼を馬に乗せてやる。 それがゴミのようなおれの人生の、唯一すてきなことだ。 |
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