第4話

〔イアン〕


 今月はもうあと十日もない。
 処分の予定は三十一日。ニューイヤーには、メルは消えてしまう。

 パンテオン側はほかの犬に優先して、メルを紹介すると言ってくれた。クリスマスには客も善行を積みたくなるから、チャンスがあるかもしれない、と。
 だが、よい知らせは聞こえてこない。



〔ラインハルト〕;アクトーレス 第五デクリア所属 


「犬一匹がなぜ売れない!」

 受話器を置くと、イアンは椅子を蹴りつけた。革張りの重役椅子が、隣のゴミ箱もろともひっくり返る。紙くずが床に散らかった。

「おいおいおい」

 おれは彼に深呼吸をうながした。

「家令は売ってない!」

 イアンは吐き捨てた。

「やつら動いてないんだ。ご興味のある方にだけ、お話してます、だと。ご興味のある方? そいつは何人だ?」

「しかたないさ」

 おれは椅子を起こし、彼の肩をつかんで椅子に押し込んだ。

「誰にでも買えるものじゃないだろ。トルソーだ。ごいっしょにポテトもいかがですか、って具合にはいかないよ。――コーヒーでも飲む?」

 イアンは首を振った。
 かわいそうに。肩が落ちている。
 あちこちの部署に足を運んで、メルの売り込みを頼んでいるが、どこも動きがにぶい。薬殺されるトルソー犬に、関心がない。

 あたりまえだ。
 ここは人道団体じゃない。今さら一匹助けてどうするのか、という気分がある。

『これからすべての犬を救ってまわる気かね?』

 だが、イアンは動き続けている。
 腹をたてながら、がむしゃらに交渉している。
 少し、変だ。がむしゃらに行動しつつ、彼はどこかうわずっているように見えた。

「アクトーレスは動いてるよ」

 おれはコーヒーにミルクをたっぷりそそいで彼の前に出した。

「ムセイオン(研修施設)でメルは人気者だったらしいな。やつが死ぬのはイヤだってさ。客に話してみるって。ただ、みんな口ベタだからなあ」

「いざとなったら――」

 彼はため息をつき、カップに手を伸ばした。

「レオに買ってもらうしかない。だが、それはしたくないんだ。おれの問題で――」

「おれの問題なの?」

 その時、携帯のバイブが鳴った。イアンのだった。

「はい――」

 みるみるイアンの顔色が変わった。

「あの、馬鹿!」

 彼は部屋を飛び出していった。

 メルの世話係フレディ・ブルッケンズが、軍団に逮捕されたという知らせだった。




〔モモ〕; 仔犬の手サロン付 マッサージ師 使役犬


 メルは言っていた。

 ――最初来た時は、ぬけがらみたいなやつって思ったさ。人間じゃない。影に色がついてるだけ、みたいな。

 フレディは荷駄をひく家畜みたいな男だった。
 何を見ても動揺しない。笑いもしない。二十三歳で髪は半分白髪。壁みたいな広い肩をしていたが、その首は肩のなかにすくんでいた。メルは彼をゴーレムと呼んだ。

 言いつけに従い、黙々と働くだけの姿が、魔法で動かされる泥人形に似ているといった。

 だが、メルは彼を愛した。運ばれ、風呂に入れられながら、陰気な青い目をのぞこうと、不自由なからだで伸び上がった。

 ――やつにはトラウマがあるんだ。母馬と早く離された馬みたいな。この世界を信用できないんだ。

 メルは物言わぬ生き物と語るすべを持っていた。傷ついた馬を馴らすように、ゆっくりとフレディに愛情を注いだ。

 三年。
 ぼくはメルの話を聞いた。彼の話を聞くのが好きだった。どんな姿になっても、ひとを愛している人間は、エネルギーにあふれ、まぶしかった。

 ――ほんの一瞬なんだ。ほんのちょっぴり、おれはやつの胸にもたれるんだ。やつもわかってる。じっとしててくれるんだ。それがキスなんだ。愛の言葉なんだ。それだけ。それだけで、おれは一日幸せなんだ。




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