第10話

〔家令フミウス〕

「というわけで、ご主人様にアンカーをお願いしたいのですよ」

 長い話を終え、わたしはパトリキを見た。にんまりと笑った。
 いきなり話をふられて、彼は見返した。

「おれ?」

「はい」

 パトリキは唸り、すぐ返事をしなかった。庭木の葉っぱをちぎったりしながら、こちらを見ない。
 わたしは黙って、彼と庭園を歩いた。
 やがて、パトリキはつっけんどんに、

「なぜ、きみは、おれにその犬の話をしなかった?」

「そうですな」

 わたしは言った。

「お話するわけにはいきませんでした。ご主人様は酔狂者ですから、言えば自分のトクにもならない犬に、ポンと5億払われたでしょう」

 パトリキがむっと見返す。

「解放して、その後の面倒もこまごまとみられたでしょう。馬すら買い与えたでしょうな。そういうご損な性格の方に、恵まれない犬のお話などするわけにまいりません。ご主人様は慈善ではなく、遊びにここにいらしているのですから」

 パトリキはまた黙った。すこしふてくされているようでもあった。

「犬の買取りにサインして、解放するだけか」

「ご主人様にしかできないことです」

 彼は意地悪く笑い、

「なんかご褒美があるのかね。引き受けると、指名したアクトーレスがキスしてくれるというような」

「キスはございませんが、すてきな見返りがございます」

「ほう」

「『これを引き受けると、夜道を歩いていてもアクトーレスたちにボコられない』そうです」

「……」

 わたしはうなずいた。

「お受けになったほうがよろしいかと思われます。みな、楽しみにしております」




〔とあるパトリキ〕

 フレディは農場にいた。
 数人の仲間と石垣を作っていた。
 ほかの男たちはふつうの労働者だろう。ヴィラで、強制労働のペナルティを受ける者は少ないと聞く。
 
 イアンが監督に来意をつげ、フレディを呼び出してもらう。監督は腹から大声を出した。

「ブルッケンズ!」

 フレディはすぐに走ってきた。
 だが、われわれに気づくと、つんのめるように止まり、立ち尽くした。

 彼はこちらを凝視して、凍りついていた。
 わたしは隣のメルを見た。
 メルはしずかな目でフレディを見ていた。

 メルは歩き出した。
 人造の足はなめらかに動き、土を踏みしめて進んだ。
 フレディのほうはぴくりとも動かなかった。魔法が解けて、動けなくなった泥人形のように、かたまってメルを見ていた。

 小柄なメルが彼の前に立った。
 メルはその両腕をふわりと前に伸ばした。
 腕はそのまま上に浮かび、こわばった指がフレディの顎をつかんだ。

「手があったら、こうしたかった。ずっと――」

 メルの手首が動いた。
 フレディの顔が軋むように上にむけられた。その首がのびた。表情のない青い目にアフリカの明るい空がうつった。




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