第11話


 ファビオは病室の小さいテレビをぼんやり眺めていた。
 通販番組がにぎやかにサーモスタットの宣伝をしている。イヤホンは外れて、音声が聞こえていない。ファビオは女優の胸を見ながら、どんよりと放心していた。

 腹の傷はたちが悪かった。腸から流れ出た毒素が腹膜炎を引き起こし、修復に時間がかかっていた。歩くのにも杖がいる。
 不自由は若いファビオを苛立たせ、鬱屈させた。

「ファビオ」

 ニールの長身が入ってくる。「客を連れてきたんだ。そいつを消せよ」

「だれだ」

 ファビオが動かないうちに友人はテレビを消した。初老の男が入ってくる。しげみのような眉をした貧相な男だった。
 ニールは快活に紹介した。

「ホフマンさん。こちらがカレッラさん。ファビオ、ホフマンさん」

 うながされ、しかたなく手を差し出す。ファビオは友人を見やった。

「で、どちらさまだ?」

「ホフマンさんはミッシング専門の調査員の方だ。おまえの友だちの件の相談に乗ってくれる」

「失踪?――失踪じゃない。誘拐だ」

「わかってる。同じことだ」

「同じじゃない」

「失踪事件の大半が他者による誘拐です」

 むさくるしい眉の下から小さな黒い目が見つめた。「犯罪組織による誘拐も多々あります」

 ファビオはじろりと男を見た。

「ヴィラ・カプリの誘拐でも取り返すことができますか」

「ヴィラは不可能です」

「じゃあ、お引き取りください」

「ヴィラは不可能ですが」

 茂みのような眉がいっそう目の上にかぶさった。

「彼の所有者は今、ヴィラではなく、会員だと思われますが」

「だから?」

「ヴィラの追求が甘くなります」

 ファビオははじめて聞く姿勢をとった。




(くそ――埒があかない)

 クロフォードはバルコンから真っ青なビスケイン湾を睨んだ。
 瑠璃色の海を白いクルーザーがのんきに過ぎていた。船上の観光客は豪邸見物を楽しんでいる。

 だが、クロフォードは豪邸から出られず、歯軋りしていた。
 扱いはそうひどくない。部屋には施錠されず、ヴィラのように裸で過ごせと命じられることもなかった。
 一週間に一、二度、主人が訪れた時だけ抱かれる。愛撫はやさしくさえあった。

 だが、クロフォードは動けなかった。
 監視されているのはわかっていた。ドン・ニコラはクロフォードの出方を見ている。
 何か探ろうとすれば首の根をつかまれるだろう。ファビオのことを蒸し返されないとも限らない。

 ドン・ニコラ流の遊びだった。泳がせて、尻尾をつかみ、罰をくだす。

 クロフォードは手すりを拳で打った。
 殺してしまいたかった。隣で寝息をたてている男の上に鈍器を振り落とすのはむずかしくない。

 だが、それをすれば逃げられない。刺し違えたり、手下に殺されてしまうのでは意味がなかった。ここを出て生きることが、ゴールだった。

 自分で手を汚すことはできない。殺すのであれば、誰かを動かして殺さねばならない。だが、誰とも接触できず、クロフォードは焦っていた。

(あわてるな。おれならどうする。おれが彼なら?)

 犬が――いや、子飼いの部下が裏切ろうとしていたら? 内部情報を売ろうとしていたら? 
 クロフォードは眼を細めた。そのまま待ちつづけるだろうか。それとも。

 ――こちらから仕掛ける?

「フランシス」

 ドアが開き、熊のようなボディガードが顎をしゃくった。
 主人のお呼びだ。




「待て」

 ボディガードがクロフォードを止めた。
 部屋からは客の甲高い声が聞こえている。

「あれが株主に知れたら、わが社はおしまいなんです。あっというまに全社をあげてホームレスだ。ほんとうに――」

「わかっています。かならず、わたしがお力になります」

「カステリーニさん。本当にお願いします。リカータ・ファミリーをぶっつぶしてください」

「大丈夫です。リカータ家はあなたに言われなくても、われわれの敵です。その件については、安心なさってください」

「まあ、とにかく期待しています。なんだって、マフィアがうちを。いや、あなたは別だ。あなたはきちんと合法のビジネスをされている。ヴィラであなたに会えたのはまだ、神がわたしを愛しているという証拠だ。わたしはいつもツイている」

「そうですね。ところで、リントさん――」

 ドアの前でクロフォードは眉をひそめた。聞き覚えのある名前だった。うわずった高い声にも聞き覚えがある。

 不意に傍らから大きな拳がドアをノックする。主人が許し、ボディガードはドアを開けた。

「連れてきました」

 部屋の中にいた男がふりかえる。ひょろっと背の高い中年男だった。その顔を見て、クロフォードは打たれ、動けなくなった。

「クロフォード!」

 客が素っ頓狂な声をあげた。

「なぜ、ここに――」

「わたしの犬です」

 カステリーニが言った。「わたしの一番の気に入りなのですよ。フランシス、おいで」

 クロフォードは凍りつくと同時に火に炙られる思いがした。

 その男はかつて同じ社にいた。
 オーナーの息子で、営業のクロフォードの下に配属された。
 クロフォードがCEOに抜擢された時、その男は彼をヴィラに放り込んだ。

「フランシス」

 カステリーニがひとさし指をあげて呼んでいる。クロフォードはふらふらと主人の元に歩み寄った。

「なんとまあ、こちらに! おお、これはこれは」

 男はにわかにはしゃいだ。「わたしが彼に目をつけたのですよ。逸材だと思ったのでね。おお、カステリーニさんが――。えらく、金がかかりましたでしょう」

「ヴィラにべらぼうにふんだくられましたよ」

 カステリーニはクロフォードに床にひざをつくよう命じた。クロフォードは三度言われてもそれに気づかなかった。腕を引かれ、ようやく膝を折る。
 男は昂ぶってしゃべりつづけた。

「本当はわたしの犬にしたかったのですよ。前から目をつけてたんです。知り合いにミッレペダの人間がいましてね。連絡したら、すぐですよ。あれよあれよというまに、アフリカに送られてしまって」

 クロフォードはぼう然と膝をついていた。カステリーニが彼の顎をつかんでのぞきこんでいることにも気づかなかった。

 CEOに就任して半年後、ホールドアップにあった。車から下ろされ、別の車に乗せられた。そこで意識をうしなった。
 気づいた時、頭の上で男たちが話していた。

『いいじゃないか。一回ぐらい』

『申し訳ありませんが。バージンであるなしによって、値段が変わってまいりますので』

『わたしの犬だよ』

『残念ながら、この場合、リントさまの犬とは認められません。また、ご自身の犬を預けられる場合、ヴィラに飼育費を払っていただくことになります』

『がめついな。どうせ、こいつでがっぽり儲けるんだろ』

『犬一匹育てるにはそれなりに経費もかかるのですよ。それより、リントさまにはお礼として報奨金が出ます』

 クロフォードははっとわれに返った。主人が彼に話していた。

「リントさんがおまえを御所望だ。かわいがっていただきなさい」





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