「フランシス・クロフォードさんの居所がわかりましたよ」
オープンカフェの椅子に腰をおろすなり、調査員は目をしょぼつかせて言った。
「それで――お話する前に申し上げたいのですが、わたし、この件からこれで手を引かせていただきます」
「はあ?」
ファビオは怒鳴るように聞き返した。「あんた、まだ何もしてないのに何言ってるんです?」
「調べたことは申し上げます」
茂みのような眉の下から、小さい目が情けなさそうにしばたく。
「ニコラ・カステリーニ氏はマイアミのホテル・グループのオーナーで、マイアミ観光業界の支配者です。家族は妻と娘がふたり。家はビバリーヒルズにありますが、一週間に数日、マイアミの邸宅に戻ります。このマイアミのお邸にクロフォードさんはいるようです」
「住所」
「後で渡します。――これがカステリーニ氏の表の顔。裏の顔はNYとマイアミに地盤を持つ新興マフィアです。元はNYのある一家のコンシリエーリ(相談役)だったのですが、ボスを殺して王位を簒奪しました。彼がボスになってから、ファミリーはめざましい発展を遂げています」
頭のいい悪党です、と眉を寄せる。
「資金源はマイアミのカジノと麻薬、企業のみかじめ料。フォーチュン500に載っているような大企業からたらふく金を吸い取って、宇宙みたいに膨張しています。その金で政治家や警察ともパイプを強めている。NYの五大ファミリーもカステリーニ・ファミリーを牽制しようとしているらしいですが、いまだ成功していません」
ファビオが口をあけるや、調査員は続けた。
「もうひとつ。カステリーニ氏はけっこうまめにヴィラに出入りして、男の子を買っています。たいがい数ヶ月で飽きて、取り替えているようです。ところが、クロフォードさんは六年も彼のところに囲われている。――よほどのお気に入りとみて、間違いないでしょう。あなたがのこのこ出て行って、返してくれる確率はゼロでしょうな」
「それをなんとかするのが探偵だろう?」
どうやって? と調査員は唇をゆがめた。
「軍隊を持っている人間と戦う術はありません」
「でも、あんたは」
「わたしたちは警察に協力を頼み、犯罪組織に交渉し、金を払い、ようやく子どもを取り返すんです。民間組織にできるのはこんなもんです」
「警察――」
「ヴィラの犬に警察は動きません」
「じゃ、マフィアはどうやって牽制しているんだ?」
「は?」
「NY五大ファミリーはカステリーニ・ファミリーが煙たいんだろ」
「同じロウアー・マンハッタンを根城にするリカータ家をけしかけているようです。地味に小競り合いが続いていますが、決着がつきませんね」
「せめて交渉の糸口くらいつけられないのか」
「――あなた、1億2000万ドル持ってるんですか?」
ファビオは言葉につまり、カッとわめいた。
「じゃあ、やつのふたりの娘とやらを誘拐してやるさ。その娘たちと交換でどうだ」
「わたしはごめんです」
調査員は言った。「彼は処刑の島を持ってるそうですよ。人間を輪切りにするのが大好きだそうです。その時は、アレから切られるらしいです」
ファビオはやりきれぬ思いで男を見つめた。調査員は逃げに入っている。ファビオにもあきらめろ、と連呼していた。
「ホフマンさん」
ファビオはうめいた。
「あんたならどうする? あきらめる? あんたの家族が誘拐されたら」
「お気の毒ですが」
調査員は擦り切れたカバンから書類を出した。「住所です」と言って、立ち上がろうとする。ファビオは彼の袖を掴んだ。
「おれはあきらめられない」
ファビオは調査員の小さい目を見つめた。
「フランシスが必要なんだ。彼が大事なんだ。彼を放っておいたら、おれはなんだ? どうやってこの後過ごすんだ? 何に誇りをもてるんだ? 日銭稼いで、ビール飲んで、フットボール見て、デートして、ローン返して。だらだらだらだら。ずっと欲求不満のまま。だらだらだらだら! いつか後悔にまみれて老人ホームで死ぬんだ。おれの人生、くだらなかったなって。墓になんて刻むんだ? ただテレビを見ていた男、ここに眠る?」
ファビオは涙ぐんだ。
「まっぴらだ。そんな人生、おれはいやだ。彼のためなら、輪切りにされてもいいよ」
(あの人に会いたい)
自分でもおかしいほど、年上の恋人に夢中だった。なんの迷いもない。
これに賭けて、命を落としたら、それはそれで小気味よい人生ではないか。
彼は濡れた眼で頼んだ。
「あんたならどうするか、言ってくれ」
「わたしなら」
調査員はつまらなそうにファビオの杖を見やった。「まず怪我を治しますね。いつでも走れるようにしておきます」
陽はすでに傾きかけていた。
空は暖色に染まり、遠いバハマの島々がすでに黒く翳をおびている。
船はそのひとつの島に向かっているようだった。
「久しぶりの外だ。気持ちいいかい」
いかつい肩が隣にならぶ。
クロフォードは海から視線を戻した。男は手すりに肘をつき、狎れた笑いを見せる。
「少しうれしそうな顔をしろ。おれはドンよりやさしいだろ」
「どうせ、無料じゃない」
クロフォードは無愛想に言った。誰かの相手をさせられることはわかっていた。「またリカータ家に泣かされた客か」
男はニヤニヤした。長い腕でクロフォードの肩を被い、大きな鼻を近づける。
「聞いてどうする? よけいにサービスしてやろうってのか。おまえには関係ないこった」
聞くんじゃない、とたしなめる。
クロフォードはまた黙って島影を見つめた。
不機嫌を装っていたが、その実、めまぐるしく頭を働かせていた。
何をさせられるのであれ、ドン・ニコラの眼のないところに出られるのはチャンスだった。
(電話に近づけないだろうか)
クロフォードはNYのミケーレ・ブレガと連絡をとりたかった。ミケーレならリカータ・ファミリーに詳しい。
リカータ家にパイプが欲しかった。交渉相手さえ見つかれば、釣り出す自信はあった。
(水を欲しがっている、咽喉がカラカラに渇いたやつを探し出せれば、かならず動かすことができる)
ミケーレ・ブレガなら、それを選別するだけの情報を持っている。
――あの狡猾な男は、気づかないふりをして教えるに違いない。
島には小さな入り江があった。
船はゆるやかにすべりこみ、エンジンを止める。入り江にはすでに何隻か大型クルーザーが入っていた。
「ラニエリさん」
岩の上に片目に黒い眼帯をした男が手を振っていた。頭に赤い布を巻き、腰にはおもちゃのようなカトラス(剣)を下げている。遊園地の海賊のようだった。
「ようこそ。ようこそ。みなさん、お集まりですよ。もう酔っぱらっちまってまさ。バーベキューはまだかってご婦人方が――」
クロフォードがタラップをおりると、男は丸顔に安っぽい愛想笑いを浮かべた。
「こちらは?」
「ペットだ」
ブルーノ・ラニエリが間に入り、男をいざなう。「ジョージ、あのクソ野郎は来ているか」
「クソ野郎はたくさん来てますよ。どのクソ野郎で」
「フラナガンよ」
「ああ、フラナガン先生ならさっき見えました。浜にいらしてますよ。お呼びしましょうか?」
「自分から出てくるさ」
ふたりの背後で、クロフォードはあっけにとられていた。
浜辺には火を赤々と灯した松明が並んでいた。ヴァイオリンが鳴り、酔漢の銅鑼声が聞こえる。
人々の風体が異様だ。浜辺の男たちは三銃士のような羽帽子をかぶり、カトラスを下げている。女はビクトリア朝のドレスを着ていた。
(いいおとなが、海賊ごっこか)
だが、それほど無邪気ではなかった。
宝箱の中には年端のいかない裸の子どもが膝をかかえている。松明の傍の杭には、全裸の女が括り付けられ、むくつけき男たちに足を抱えられ、犯されていた。
「ヴィラを思い出すだろう」
ブルーノが笑いかけた。「だが、ここはヴィラより面白いぜ」
突如、悲鳴があがった。浜の上にスーツ姿の青年が放り出された。青年は太い鎖で縛られていた。
「なんなんだ。あんたら。頭おかしいのか」
そこに半裸の大男がふたり、襲い掛かる。たちまち、靴が飛び、青年のズボンが脱がされた。
「やめろ。気違い! やめろ」
下着が剥がれ、白い尻がさらされる。ドレスの女たちが悲鳴のような歓声をあげた。「上も脱がせて! 股を裂いて! 大砲みたいなのをぶちこんでちょうだい!」
ふたりの男に足首を引っ張られ、青年がわめく。めいいっぱい開かれた股間の前に、一頭のポニーが連れてこられた。
「やめろ! いやだ、やめてくれ」
青年が死にもの狂いで暴れる。そのペニスに刷毛で何かが塗られた。
「ヒイッ」
ポニーの鼻面が青年の股に押しつけられる。せわしない鼻息とこわい毛がそのペニスをなぶると、青年は半狂乱になって泣き叫んだ。
クロフォードは目を背けた。来てまもなかったが、めまいがしていた。
「ブルーノ」
ふたりの前に、背の高い海賊が立った。仮面をつけて、顔の上半分は見えない。だが、身ごなしに品のよさが香った。
「フラナガン」
ふたりは頭をよせ、両の頬に事務的なキスした。
「彼がそうか」
仮面の目の穴がクロフォードに向く。「1億2000万ドルの犬」
「ああ、連れてきてやった。言っておくが、ドン・ニコラはよく思っていねえ。わがままはこれきりにしろ」
「われわれは友だちだ。友だちにはやさしくするものだよ」
クロフォードがふりむくと、ブルーノはいかつい顎をしゃくった。
「行け。――接待だ」
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