第13話


「フランシス・クロフォードさんの居所がわかりましたよ」

 オープンカフェの椅子に腰をおろすなり、調査員は目をしょぼつかせて言った。

「それで――お話する前に申し上げたいのですが、わたし、この件からこれで手を引かせていただきます」

「はあ?」

 ファビオは怒鳴るように聞き返した。「あんた、まだ何もしてないのに何言ってるんです?」

「調べたことは申し上げます」

 茂みのような眉の下から、小さい目が情けなさそうにしばたく。

「ニコラ・カステリーニ氏はマイアミのホテル・グループのオーナーで、マイアミ観光業界の支配者です。家族は妻と娘がふたり。家はビバリーヒルズにありますが、一週間に数日、マイアミの邸宅に戻ります。このマイアミのお邸にクロフォードさんはいるようです」

「住所」

「後で渡します。――これがカステリーニ氏の表の顔。裏の顔はNYとマイアミに地盤を持つ新興マフィアです。元はNYのある一家のコンシリエーリ(相談役)だったのですが、ボスを殺して王位を簒奪しました。彼がボスになってから、ファミリーはめざましい発展を遂げています」

 頭のいい悪党です、と眉を寄せる。

「資金源はマイアミのカジノと麻薬、企業のみかじめ料。フォーチュン500に載っているような大企業からたらふく金を吸い取って、宇宙みたいに膨張しています。その金で政治家や警察ともパイプを強めている。NYの五大ファミリーもカステリーニ・ファミリーを牽制しようとしているらしいですが、いまだ成功していません」

 ファビオが口をあけるや、調査員は続けた。

「もうひとつ。カステリーニ氏はけっこうまめにヴィラに出入りして、男の子を買っています。たいがい数ヶ月で飽きて、取り替えているようです。ところが、クロフォードさんは六年も彼のところに囲われている。――よほどのお気に入りとみて、間違いないでしょう。あなたがのこのこ出て行って、返してくれる確率はゼロでしょうな」

「それをなんとかするのが探偵だろう?」

 どうやって? と調査員は唇をゆがめた。

「軍隊を持っている人間と戦う術はありません」

「でも、あんたは」

「わたしたちは警察に協力を頼み、犯罪組織に交渉し、金を払い、ようやく子どもを取り返すんです。民間組織にできるのはこんなもんです」

「警察――」

「ヴィラの犬に警察は動きません」

「じゃ、マフィアはどうやって牽制しているんだ?」

「は?」

「NY五大ファミリーはカステリーニ・ファミリーが煙たいんだろ」

「同じロウアー・マンハッタンを根城にするリカータ家をけしかけているようです。地味に小競り合いが続いていますが、決着がつきませんね」

「せめて交渉の糸口くらいつけられないのか」

「――あなた、1億2000万ドル持ってるんですか?」

 ファビオは言葉につまり、カッとわめいた。

「じゃあ、やつのふたりの娘とやらを誘拐してやるさ。その娘たちと交換でどうだ」

「わたしはごめんです」

 調査員は言った。「彼は処刑の島を持ってるそうですよ。人間を輪切りにするのが大好きだそうです。その時は、アレから切られるらしいです」

 ファビオはやりきれぬ思いで男を見つめた。調査員は逃げに入っている。ファビオにもあきらめろ、と連呼していた。

「ホフマンさん」

 ファビオはうめいた。

「あんたならどうする? あきらめる? あんたの家族が誘拐されたら」

「お気の毒ですが」

 調査員は擦り切れたカバンから書類を出した。「住所です」と言って、立ち上がろうとする。ファビオは彼の袖を掴んだ。

「おれはあきらめられない」

 ファビオは調査員の小さい目を見つめた。

「フランシスが必要なんだ。彼が大事なんだ。彼を放っておいたら、おれはなんだ? どうやってこの後過ごすんだ? 何に誇りをもてるんだ? 日銭稼いで、ビール飲んで、フットボール見て、デートして、ローン返して。だらだらだらだら。ずっと欲求不満のまま。だらだらだらだら! いつか後悔にまみれて老人ホームで死ぬんだ。おれの人生、くだらなかったなって。墓になんて刻むんだ? ただテレビを見ていた男、ここに眠る?」

 ファビオは涙ぐんだ。

「まっぴらだ。そんな人生、おれはいやだ。彼のためなら、輪切りにされてもいいよ」

(あの人に会いたい)

 自分でもおかしいほど、年上の恋人に夢中だった。なんの迷いもない。
 これに賭けて、命を落としたら、それはそれで小気味よい人生ではないか。

 彼は濡れた眼で頼んだ。

「あんたならどうするか、言ってくれ」

「わたしなら」

 調査員はつまらなそうにファビオの杖を見やった。「まず怪我を治しますね。いつでも走れるようにしておきます」




 陽はすでに傾きかけていた。
 空は暖色に染まり、遠いバハマの島々がすでに黒く翳をおびている。
 船はそのひとつの島に向かっているようだった。

「久しぶりの外だ。気持ちいいかい」

 いかつい肩が隣にならぶ。
 クロフォードは海から視線を戻した。男は手すりに肘をつき、狎れた笑いを見せる。

「少しうれしそうな顔をしろ。おれはドンよりやさしいだろ」

「どうせ、無料じゃない」

 クロフォードは無愛想に言った。誰かの相手をさせられることはわかっていた。「またリカータ家に泣かされた客か」

 男はニヤニヤした。長い腕でクロフォードの肩を被い、大きな鼻を近づける。

「聞いてどうする? よけいにサービスしてやろうってのか。おまえには関係ないこった」

 聞くんじゃない、とたしなめる。
 クロフォードはまた黙って島影を見つめた。

 不機嫌を装っていたが、その実、めまぐるしく頭を働かせていた。
 何をさせられるのであれ、ドン・ニコラの眼のないところに出られるのはチャンスだった。

(電話に近づけないだろうか)

 クロフォードはNYのミケーレ・ブレガと連絡をとりたかった。ミケーレならリカータ・ファミリーに詳しい。
 リカータ家にパイプが欲しかった。交渉相手さえ見つかれば、釣り出す自信はあった。

(水を欲しがっている、咽喉がカラカラに渇いたやつを探し出せれば、かならず動かすことができる)

 ミケーレ・ブレガなら、それを選別するだけの情報を持っている。

 ――あの狡猾な男は、気づかないふりをして教えるに違いない。
 



 島には小さな入り江があった。
 船はゆるやかにすべりこみ、エンジンを止める。入り江にはすでに何隻か大型クルーザーが入っていた。

「ラニエリさん」

 岩の上に片目に黒い眼帯をした男が手を振っていた。頭に赤い布を巻き、腰にはおもちゃのようなカトラス(剣)を下げている。遊園地の海賊のようだった。

「ようこそ。ようこそ。みなさん、お集まりですよ。もう酔っぱらっちまってまさ。バーベキューはまだかってご婦人方が――」

 クロフォードがタラップをおりると、男は丸顔に安っぽい愛想笑いを浮かべた。

「こちらは?」

「ペットだ」

 ブルーノ・ラニエリが間に入り、男をいざなう。「ジョージ、あのクソ野郎は来ているか」

「クソ野郎はたくさん来てますよ。どのクソ野郎で」

「フラナガンよ」

「ああ、フラナガン先生ならさっき見えました。浜にいらしてますよ。お呼びしましょうか?」

「自分から出てくるさ」

 ふたりの背後で、クロフォードはあっけにとられていた。
 浜辺には火を赤々と灯した松明が並んでいた。ヴァイオリンが鳴り、酔漢の銅鑼声が聞こえる。

 人々の風体が異様だ。浜辺の男たちは三銃士のような羽帽子をかぶり、カトラスを下げている。女はビクトリア朝のドレスを着ていた。

(いいおとなが、海賊ごっこか)

 だが、それほど無邪気ではなかった。
 宝箱の中には年端のいかない裸の子どもが膝をかかえている。松明の傍の杭には、全裸の女が括り付けられ、むくつけき男たちに足を抱えられ、犯されていた。

「ヴィラを思い出すだろう」

 ブルーノが笑いかけた。「だが、ここはヴィラより面白いぜ」

 突如、悲鳴があがった。浜の上にスーツ姿の青年が放り出された。青年は太い鎖で縛られていた。

「なんなんだ。あんたら。頭おかしいのか」

 そこに半裸の大男がふたり、襲い掛かる。たちまち、靴が飛び、青年のズボンが脱がされた。

「やめろ。気違い! やめろ」

 下着が剥がれ、白い尻がさらされる。ドレスの女たちが悲鳴のような歓声をあげた。「上も脱がせて! 股を裂いて! 大砲みたいなのをぶちこんでちょうだい!」
 ふたりの男に足首を引っ張られ、青年がわめく。めいいっぱい開かれた股間の前に、一頭のポニーが連れてこられた。

「やめろ! いやだ、やめてくれ」

 青年が死にもの狂いで暴れる。そのペニスに刷毛で何かが塗られた。

「ヒイッ」

 ポニーの鼻面が青年の股に押しつけられる。せわしない鼻息とこわい毛がそのペニスをなぶると、青年は半狂乱になって泣き叫んだ。

 クロフォードは目を背けた。来てまもなかったが、めまいがしていた。

「ブルーノ」

 ふたりの前に、背の高い海賊が立った。仮面をつけて、顔の上半分は見えない。だが、身ごなしに品のよさが香った。

「フラナガン」

 ふたりは頭をよせ、両の頬に事務的なキスした。

「彼がそうか」

 仮面の目の穴がクロフォードに向く。「1億2000万ドルの犬」

「ああ、連れてきてやった。言っておくが、ドン・ニコラはよく思っていねえ。わがままはこれきりにしろ」

「われわれは友だちだ。友だちにはやさしくするものだよ」

 クロフォードがふりむくと、ブルーノはいかつい顎をしゃくった。

「行け。――接待だ」





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