カルロ・ロッシが邸を去った。
邸内にはまだ護衛がいたが、カルロのように熱心ではない。ボスを恐れて、一階のかぎられた場所しかうろつかなかった。
その朝、ドン・ニコラは「書斎の鍵が壊れた」とわめいていた。召使が呼ばれ、午後、修理人が呼ばれることになった。
主人の車が出た頃を見計らって、クロフォードは二階へあがった。
途中、ボディガードが彼を見たが、かまわなかった。カルロの事件以来、ボディガードたちはなるべくクロフォードに近づかないようにしている。
クロフォードはあっさりと書斎に入った。
主人のPCはいつものように机の上に放置してあった。起動するとパスワードを要求される。クロフォードはいくつかの方法を試みた。
指先が汗ばむのがわかる。心臓の鼓動のために音が聞こえない。何度も指がキーをそれ、呼吸がつまる。
(来い!)
エンター・キーを弾いた途端、PCは反応し、彼を使用者と認めた。
クロフォードは息をふるわせて待った。
メーラーを開き、ミケーレ・ブレガを探す。
リストには知っている名前がいくつかあった。
いずれもヴィラの会員だった。NYやこの邸でクロフォードを抱いた男たちである。
つい、開封された一通を見た。
――リカータ家側が示談を申し入れてきました。受け入れるべきでしょうか。その金額は――
これもリカータ家に脅された人間らしい。
さらにもう一通開けると、やはり、リカータ家関係の相談内容だった。
(リカータ家に脅された人間はみな、カステリーニのところに駆け込むのか)
クロフォードは妙な気がして、無意識に受信歴を繰った。ひとつの差出人に気づく。
――フラナガン。
先日、海賊の島で彼を抱いた男だった。
クロフォードはすでに開封されたそのメールを開いた。
――親愛なるドン・ニコラ・カステリー二。
手違いと思われますが、約束の期日にご提示の五百万ドルが入金されておりませんでした。ドン・リカータはなんらかの行き違いであろうと――
クロフォードの呼吸が止まった。
――ドン・リカータはなんらかの行き違いであろうと――。
指がふるえた。
彼はモニターを見つめ、殴られたようにぼう然とした。
(おれはなんてバカだったんだ)
彼は自分がおそろしい考え違いをしていたことを知った。
フラナガンはドン・リカータの代理人であった。
両家の間には金銭のやりとりがあった。カステリーニ家とリカータ家は対立なぞしていない。それどころか、協力関係にある。
(――ということは)
クロフォードの脳が熱く灼けた。
金持ちたちは、リカータ家に脅される。そこへ都合よく、ドン・ニコラが現れ、助ける。金持ちたちは感謝して彼に保護料を払う。その一部が協力者、リカータ家へまわる。
クロフォードは喘いだ。あやうく、ドン・ニコラの陣営に暗殺を依頼してしまうところだった。
(どうすれば――これでは、いったいどうすれば)
「フランシス」
クロフォードは飛び上がりかけた。ふりむくと、ボディガードのひとりが戸口に立っていた。
「ゲーム・オーバー」
階下にひきずりおろされた時、クロフォードはすべて終わったと知った。
鳥のような甲高い笑い声が彼を迎えた。ドン・ニコラが苦しげに身をおりまげて、ヒイヒイ笑っていた。
「バカな子だ」
石のテーブルの上には三台のモニターがあった。どこを映していたのかは見ずともわかる。書斎にカメラがあったのだ。
クロフォードは砂のように折り崩れた。
ドン・ニコラはクロフォードの芝居に気づいていた。出かけるといって、彼が何をするか、カメラを設置して待っていた。
鍵を壊したのも本人なのだろう。
クロフォードはまっすぐに罠にむかって歩いていたのだ。
「頭がいいとうぬぼれていたな」
ドン・ニコラは笑いながら、クロフォードの顎をつかんだ。
「バカで、愛らしい、マタ・ハリのように情熱的なスパイだよ。おまえの媚びる様はかわいらしくてなあ! 嘘とわかっていても、楽しかった。ずっと続いて欲しかったよ」
嘘つきめ、と指に力をこめる。
クロフォードはその手をつかみ、剥がした。
もう逃げようがない。自分の手に夢中になって、相手が見えていなかった。負けたのだ。
「パソコンで何をしていた?」
「――」
「言え」
「株価を見ていた」
ドン・ニコラは吹き出した。
「わかった。――子猫ちゃん、罰は何がいい?」
彼は立ち上がり、「絞首刑? ギロチン? ジョージみたいに火炙りがいいか。だが、あれも嘘なんだろう? おまえは死ぬのなんざこわくない。いつも死にたがってるもんな」
「こわいさ」
クロフォードはドン・ニコラの目を見て言った。「だが、死にはいいところがある。――これが終わることだ」
自分の首輪をつかんで見せた。目に無念がにじむのはどうしようもない。
ドン・ニコラがニヤニヤ笑う。アイスブルーの双眸が細くなった。得意は消え、かわりにぬらりと恨みが浮き上がっていた。
「わかった。おまえの罰は、これが永遠に続くことだ」
クロフォードは怒鳴った。
「続けば、おれは逃げる!」
「逃げられない」
ドン・ニコラはけだるく微笑んだ。「おれも追いかけっこばかりしてられないんだ。鎖をつけておくさ」
ボディガードに言った。「ヘロインだ」
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