第16話


 カルロ・ロッシが邸を去った。
 邸内にはまだ護衛がいたが、カルロのように熱心ではない。ボスを恐れて、一階のかぎられた場所しかうろつかなかった。

 その朝、ドン・ニコラは「書斎の鍵が壊れた」とわめいていた。召使が呼ばれ、午後、修理人が呼ばれることになった。

 主人の車が出た頃を見計らって、クロフォードは二階へあがった。

 途中、ボディガードが彼を見たが、かまわなかった。カルロの事件以来、ボディガードたちはなるべくクロフォードに近づかないようにしている。
 クロフォードはあっさりと書斎に入った。

 主人のPCはいつものように机の上に放置してあった。起動するとパスワードを要求される。クロフォードはいくつかの方法を試みた。
 指先が汗ばむのがわかる。心臓の鼓動のために音が聞こえない。何度も指がキーをそれ、呼吸がつまる。

(来い!)

 エンター・キーを弾いた途端、PCは反応し、彼を使用者と認めた。
 クロフォードは息をふるわせて待った。

 メーラーを開き、ミケーレ・ブレガを探す。
 リストには知っている名前がいくつかあった。
 いずれもヴィラの会員だった。NYやこの邸でクロフォードを抱いた男たちである。
 つい、開封された一通を見た。

 ――リカータ家側が示談を申し入れてきました。受け入れるべきでしょうか。その金額は――

 これもリカータ家に脅された人間らしい。
 さらにもう一通開けると、やはり、リカータ家関係の相談内容だった。

(リカータ家に脅された人間はみな、カステリーニのところに駆け込むのか)

 クロフォードは妙な気がして、無意識に受信歴を繰った。ひとつの差出人に気づく。

 ――フラナガン。

 先日、海賊の島で彼を抱いた男だった。
 クロフォードはすでに開封されたそのメールを開いた。

 ――親愛なるドン・ニコラ・カステリー二。
 手違いと思われますが、約束の期日にご提示の五百万ドルが入金されておりませんでした。ドン・リカータはなんらかの行き違いであろうと――

 クロフォードの呼吸が止まった。

 ――ドン・リカータはなんらかの行き違いであろうと――。

 指がふるえた。
 彼はモニターを見つめ、殴られたようにぼう然とした。

(おれはなんてバカだったんだ)

 彼は自分がおそろしい考え違いをしていたことを知った。
 フラナガンはドン・リカータの代理人であった。
 両家の間には金銭のやりとりがあった。カステリーニ家とリカータ家は対立なぞしていない。それどころか、協力関係にある。

(――ということは)

 クロフォードの脳が熱く灼けた。

 金持ちたちは、リカータ家に脅される。そこへ都合よく、ドン・ニコラが現れ、助ける。金持ちたちは感謝して彼に保護料を払う。その一部が協力者、リカータ家へまわる。

 クロフォードは喘いだ。あやうく、ドン・ニコラの陣営に暗殺を依頼してしまうところだった。

(どうすれば――これでは、いったいどうすれば)

「フランシス」

 クロフォードは飛び上がりかけた。ふりむくと、ボディガードのひとりが戸口に立っていた。

「ゲーム・オーバー」




 階下にひきずりおろされた時、クロフォードはすべて終わったと知った。
 鳥のような甲高い笑い声が彼を迎えた。ドン・ニコラが苦しげに身をおりまげて、ヒイヒイ笑っていた。

「バカな子だ」

 石のテーブルの上には三台のモニターがあった。どこを映していたのかは見ずともわかる。書斎にカメラがあったのだ。
 クロフォードは砂のように折り崩れた。

 ドン・ニコラはクロフォードの芝居に気づいていた。出かけるといって、彼が何をするか、カメラを設置して待っていた。
 鍵を壊したのも本人なのだろう。
 クロフォードはまっすぐに罠にむかって歩いていたのだ。

「頭がいいとうぬぼれていたな」

 ドン・ニコラは笑いながら、クロフォードの顎をつかんだ。

「バカで、愛らしい、マタ・ハリのように情熱的なスパイだよ。おまえの媚びる様はかわいらしくてなあ! 嘘とわかっていても、楽しかった。ずっと続いて欲しかったよ」

 嘘つきめ、と指に力をこめる。
 クロフォードはその手をつかみ、剥がした。
 もう逃げようがない。自分の手に夢中になって、相手が見えていなかった。負けたのだ。

「パソコンで何をしていた?」

「――」

「言え」

「株価を見ていた」

 ドン・ニコラは吹き出した。

「わかった。――子猫ちゃん、罰は何がいい?」

 彼は立ち上がり、「絞首刑? ギロチン? ジョージみたいに火炙りがいいか。だが、あれも嘘なんだろう? おまえは死ぬのなんざこわくない。いつも死にたがってるもんな」

「こわいさ」

 クロフォードはドン・ニコラの目を見て言った。「だが、死にはいいところがある。――これが終わることだ」

 自分の首輪をつかんで見せた。目に無念がにじむのはどうしようもない。
 ドン・ニコラがニヤニヤ笑う。アイスブルーの双眸が細くなった。得意は消え、かわりにぬらりと恨みが浮き上がっていた。

「わかった。おまえの罰は、これが永遠に続くことだ」

 クロフォードは怒鳴った。

「続けば、おれは逃げる!」

「逃げられない」

 ドン・ニコラはけだるく微笑んだ。「おれも追いかけっこばかりしてられないんだ。鎖をつけておくさ」

 ボディガードに言った。「ヘロインだ」






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