第17話


 クロフォードは死に物狂いで暴れた。
 何度か、蹴りがうまくボディガードの腹に入った。拳がかたい顎を打った。
 だが、彼の筋力はよわかった。ふたりのいかつい大男に押さえ込まれると、跳ね除ける力はなかった。

「やめて、やめてくれ!」

 クロフォードは狼狽してわめいた。「殺せばいいだろう。ひと思いに! 火炙りでもなんでもいい。殺せ。なぜ、こんな卑怯な」

「愛しているからさ」

 ドン・ニコラはキスを投げてみせた。「おまえにぞっこんなんだ」

 彼はソファにふかぶかと腰をおろした。

「おれは醜い牧神だ。恋人に純粋な愛をささげても、いつも逃げられる。おれの角や蹄がみんなをこわがらせるんだな」

「ドン・カステリーニ! いやだ」

「笛の腕前は超一流、だが誰もおれを愛さない」

「ドン・カステリーニ!」

「ああ、かわいそうなおれ!」

 ボディガードが銀のケースの蓋をあけた。細い注射器が現れ、クロフォードは血の気を引かせた。
 ドン・ニコラが面白そうにクロフォードを眺めている。
 ボディガードの太い指がヘロインを溶かす。
 クロフォードは足掻いた。その足を捕えている男たちの膝が押さえる。

「ドラッグははじめてか」

 針が薬液に浸される。「いい心がけだ。こんなに太い鎖もないからな」

「ドン・ニコラ……」

 クロフォードははじめて心から哀願した。「――プリーズ」

 ドン・ニコラはうっとりと目を細めた。

「なんて甘美な声だ。心を揺さぶられる。騙されているとわかっても、涙が出そうだぜ」

 だがな、と彼は白い歯を剥いた。

「おれのような男はな。信じたらおしまいなんだ。やられちまうんだ。おまえみたいなやつにな。おれは生きているかぎり標的だ。おれは悪党だからな。四六時中、影みたいに敵が寄り添っている。死と死の間のひとりの道だ。おれは永遠に孤独だ。だからどうした。トップはみんな孤独だ。――そうだろう? フランシス」

 彼は手を軽く振った。「天国へ行ってこい」

 背後の男がクロフォードの腕を裂くように伸ばした。注射針が近づく。肘の裏が押さえられ、浮いた血管に針が沈みこんだ。

(いやだ!)

 クロフォードはけものじみた悲鳴をあげた。
 その時だった。

「旦那さま。警察の方が」

 召使の声にボディガードの手元が振れる。クロフォードは身をはねて抗った。注射器が床に落ちた。

「ああ、――クソ」

 ドン・ニコラはふりむいた。

「サツがなんの用だ。呼んでないぞ」

「空き巣のことで、旦那さまに是非お話を聞きたいと」

「だれだ」

「ホワイト巡査とサンチアゴ巡査です」

「制服がよく来れたもんだ。追い返せ」

 それが、と召使が言いかけた時、靴音がした。

「勝手に失礼しますよ」

 ふたりの制服警官がずかずかと入ってきた。ひとりは背の高い黒人警官で、くちゃくちゃとガムを噛んでいる。もうひとりはサングラスをかけ、口髭をはやした白人警官だった。
 その場にいた誰もがあっけにとられた。

「ニコラ・カステリーニさんは――」

 白人警官はしゃがれ声で言いかけて、異様さに気づいた。「何やってるんです? あんたがた」

 裸の男がふたりのでかい男に取り押さえられている。その前には注射器を持った男がいた。

「助けてください!」

 クロフォードが真っ先に我に帰った。ボディガードの腕をふりほどき、警官に飛びつく。

「誘拐されたんです。今、麻薬を打たれそうになった!」

「インスリンですよ」

 ドン・ニコラが立ち上がった。「彼は糖尿を患っていてね」

「うそだ! あれはヘロインです。調べてみればわかる」

「少し頭がイカレてしまって。かわいそうに、むかし悪さをしたせいで今だにフラッシュバックが出る。――こっちへおいで」

 クロフォードは警官の腕をつかんだ。

「おねがいです。ここから出してください。殺されます」

「フランシス、来なさい。公務の邪魔だ」

 ボディガードが動いた。クロフォードの肩をつかもうとした時、

「触るな」

 白人の警官のしゃがれ声が言った。「彼はこちらで保護する」
 ドン・ニコラがいぶかしげに眉をひそめた。

「きみたちは誰だ? わたしの家に何をしに来た」

「おれはホワイト巡査」

「サンチアゴ巡査」黒人警官がガムを噛みながら「最近、ご近所で貴金属ねらいの空き巣事件が起こっているんでそのご注意を」

「それで勝手にわたしの家の者を連れ出すというのか」

 黒人はピンク色の歯茎を剥いた。「どうしたって、この状態でこの人を置き去りにはできんでしょ」

「できるさ」

 ドン・ニコラはおだやかに警官を見つめ、

「ブキャナン署長はきっと許してくれる。帰りなさい。ここへ来たことは黙っておいてあげよう」

「そらきた」

 白人のほうが憤然と彼の前に立った。「あんたが誰かはちゃんとわかってます。ブキャナンの野郎があんたにぶちこまれようと知ったこっちゃねえ。いいか。ここは法治国だ。他人に勝手にヤク打っちゃならねえって法律があんのさ。聞いたことねえのか。監獄って知ってるか、旦那?」

 コリン、と黒人がその腕を軽くたたき、ドン・ニコラに言った。

「おれたちは空き巣の件でうかがっただけですんで、あなたを連行したりはしません。どうせ、すぐ出ていかれるんでしょうしね。だが、この人は預かりますよ。ヤク打たれちゃかわいそうですから」

「誤解だよ」

「そうだといいんですがね」

 黒人はクロフォードの肩を叩き、出るよううながした。
 その背から、ドン・ニコラが声をかけた。

「きみたちの上司は?」

 白人がふりかえった。

「バンダムっていうダム(畜生)だ。内緒話したかったら気をつけろ。めちゃくちゃ口が臭えからな!」




 パトカーはポーチにつけてあった。
 黒人が運転席に座る。白人のほうはクロフォードを後部座席に押し込むと、自分もすぐ隣に入った。

 パトカーは広大な敷地を走りぬけ、門に向かった。クロフォードはバックミラーで背後をうかがった。ボディガードがポーチに走り出てくるのが小さく見えた。

(助かった。だが、警察はダメだ――)

 クロフォードは隣の警官を見やった。
 警官たちは黙っていた。クロフォードはようやく自分の姿に気づいた。全裸で首輪だけという異様な風体である。にわかに戸惑ったが、警官たちは気遣おうとしなかった。ますぐに門を見ている。

 無線がひび割れた声でしきりと何か言っていた。だが、黒人警官はマイクを取らない。

 前方に監視小屋のついた鉄の門が現れた。パトカーがかなり近づいても門は閉ざされていた。
 黒人ははじめてマイクをとった。

「警察だ。ボスをパクられたくなければ、門を開けなさい」

 門は思い出したように、しずしずと開いた。
 車が門を抜けた。その途端、ふたりの警官は同時に飛び上がって歓声をあげた。

「やったぞ!」

 ふたりは猿のように叫び、拳をふりあげた。あっけにとられるクロフォードに 白人警官ががばと抱きつく。

「フランシス! おれだ。フランシス!」

 おれだ、とむさぼりつくように抱きしめた。

「は……」

 クロフォードは答えられなかった。
 ファビオの声だった。ファビオの腕、彼の胸、においだった。
 抱きしめられ、クロフォードは阿呆のように口を開いていた。 

 唇がふさがれた。熱い舌がもぐりこんできた。強い腕が体を抱き、太陽のような熱と光が肌に流れ込んできた。

(ファビオ――!)

 稲妻のような叫びが身を貫く。だが、息ばかりで声が出ない。腰が抜けてしまっていた。





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