「こいつはニール・ウォーレン。正義の新聞記者だ。ニール、フランシスだ。このパトカーは道で拾ってきたんだ。おれたちプロなんだ。こんなことばっかりやってたんだよ、ガキの頃は」
ファビオは幸運にうわずってしゃべりつづけた。
運転席でニールが顔の靴墨を拭っている。
「ファビオ、しゃべってないで彼に着るものをやれよ。おまえも着替えろ。もう下りるぞ」
ファビオは気づいて布の塊をクロフォードに渡した。
「おれの着て。あとでちゃんとしたの買うよ。ニール、じゃあ、おれたち行くからな」
「ああ。着いたら連絡しろ」
どこへ、とTシャツをかぶりながら、クロフォードが聞いた。
「エジプトだよ、エジプト」
「エジプト?」
ファビオははしゃいだ声を出した。「ピラミッド見物だ。知り合いがいるんだ。あそこならやつらの勢力圏外だろ」
パスポートを投げてよこす。クロフォードの写真があったが、名は違った。国籍もカナダになっている。
「おれたちはカナダ人。イスラムでアメリカ人はウケないからね」
ファビオは得意げに言った。
「もう心配いらない。むこうで楽しく暮らそう。これからはもう誰もあんたを苦しめないよ」
クロフォードはパスポートを見つめ、黙り込んだ。ファビオがやさしくその顎をとる。暖かい唇が近づいた時、
「そこのホモふたり」
運転席からニールが唸った。「警官の前でいちゃつくな。おれは、その――ちょっとショックだ」
南国らしい椰子の下に乗用車が二台停まっていた。
彼らはパトカーを乗り捨てた。ニールはその一台に乗り、ここでふたりと別れた。ファビオとクロフォードはマイアミ空港に向かった。
「あとは全部手配してある」
ファビオは運転しながら、「エジプトのホテルまでばっちりだよ。途中、ロンドンでトランジットして、カイロだ。本当は自家用ジェットでひとっ飛びと行きたいところなんだけどね」
クロフォードは近づく青い空港ビルを見つめ、生唾を飲んだ。いやな気がしていた。
「行こう。ダーリン」
ポーチひとつ取って、ファビオが車を降りる。クロフォードは駐車場に降り立った途端、寒気を感じた。
レンタカー会社の並びに近づいた時、
「ファビオ、待て」
クロフォードは恋人を呼び止めた。数件先のカウンターの前で、大柄な男が携帯電話をかけている。空気がどこか不自然だった。
「ダメだ」
クロフォードは咽喉をひきつらせた。
「戻って。ここはダメだ!」
後じさった途端、駐車場の人間が数人駆け出した。ファビオも気づき、あわてて車に駆け戻る。
「止まれ。撃つぞ、止まれ」
その途端、ファビオが、あっと叫んだ。ポーチが跳ね飛ぶ。
「ファビオ!」
ファビオの姿勢が崩れかけた。が、すぐに彼は脱兎のごとく走り出した。
乗ってきた車に飛びつくと、気狂いのように鍵を開ける。
「フランシス、乗れ! 早く」
クロフォードが飛び込む。ドアが閉まらぬうちに、ファビオはアクセルを踏んだ。まわりの車を削りながら飛び出していく。
「なぜだ?」
ファビオは目を大きく剥いて、ハンドルにしがみついていた。
「なんでいるんだ?」
クロフォードもまた息をはずませていた。
「わたしのせいだ」
「なんだって」
「前、逃げたんだ。あの空港で捕まった」
「でも、おれたちは一直線に来たんだ!」
ファビオは知らず怒鳴っていた。ハンドルをつかむ手がふるえている。
「撃たれたのか」
「だいじょうぶ。空港はいくらでもある。――オーランドだ。オーランド空港から出る」
その途端、ファビオが悲鳴をあげた。
「カバン!」
ファビオは急ブレーキを踏んだ。クロフォードがぎょっとして、後ろ、と叫ぶ。中央車線にそれた途端、背後からトラックがかすめて行った。
「なんだ?」
「カバンだ。落とした! チケット。パスポート!」
落としたポーチの中にパスポートが入っていた。彼はあわててふりむき、Uターンしようとした。
「よせ」
クロフォードがその腕をつかむ。「もうだめだ。もうない」
「五千ドルもしたんだ!」
「ファビオ! 無理だ」
「あれがないと――」
ファビオは言いかけ、その不可能に気づいた。取り返しがつかなかった。
「クソッ!」
傍らから、クラクションが鳴って過ぎた。
「とにかく――進もう」
うながされ、ファビオはしかたなく車線に戻った。
クロフォードはバックミラーを見つめ、呟いた。
「車、替えたほうがいい」
「ああ」
「カードも中か?」
「ある」
「レンタカーを――」
ファビオはハンドルを殴りつけた。
「わかってる! 黙っててくれ!」
ハンドルに置かれたファビオの手がふるえている。こめかみが硬くひきつり、息が浅い。
クロフォードは口をとじ、シートにもたれた。
ふつうに育った、ふつうの青年だ。殺し屋に追われて慌てないほうがおかしい。
ファビオはアトランタに行き先を変えた。
アトランタの友人の家に隠れ、ニールに頼んで、また偽パスポートを作らせるという。
クロフォードは反対しなかった。
その夜、遅くファビオはモーテルに車を入れた。再三、あたりをうかがい、クロフォードに先に寝るように言った。
「明日はあんたが運転して。おれ、車の中で寝るから」
外を見張って寝ずの番をするという。クロフォードは逆らわずシャワーを使い、ベッドに入った。
少し眠った。
だが、すぐ目を醒まし、椅子の上で石のように膝をかかえているファビオを見つめた。
ファビオは寝てはいない。外に注意してもいなかった。息をひそめ、じっと暗闇を見つめている。
「ファビオ」
クロフォードは呼びかけた。「敵は来ないみたいだ」
休むようすすめたが、ファビオは動かない。クロフォードはベッドから這い出た。「おれが代わる。もう寝たから」
ファビオははじめて洟をすすった。
「寝られないよ」
涙声が言う。「あんた、なんで寝られるんだ。おれが、こわくて、チビリそうになってんのに」
「ファビオがいるからだよ」
クロフォードは椅子の傍らに立った。「きみが来てくれたから寝られるんだ」
ファビオはクロフォードにしがみついた。息がふるえている。
「おれ、ハリソン・フォードみたいじゃないけど、がっかりしないでくれ。なんにでも最初はあるだろ」
「来てくれて助かった」
「銃がこわいんだ――。前に喰らったら、腰抜けになっちまった。バカだ。パスポートを落とすなんて。みっともねえ。こんなヒーローいねえ」
クロフォードはファビオの髪にキスした。「来てくれなかったら、おれは薬漬けにされるところだった。もうだめだ、とおもった。きみはヒーローだ」
抱いてくれ、とささやく。
ファビオの息にもさすがに苦笑がまじった。
「ちぢみあがっちまってるよ」
「プリーズ」
クロフォードはくりかえした。「――プリーズ」
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