第21話


 早朝の495号線はさすがに流れていた。
 クロフォードはぼんやりと運転しながら、丈高い街並みを眺めた。なじみのニューヨーク、ロングアイランド島に入る。

 細い島の南端、華やかなハンプトンズには、大きな取引が待っていた。
 クロフォードはミケーレ・ブレガに会うつもりでいた。

 逃げつづけているわけにはいかなかった。ドン・ニコラはすでにファビオのことを知っている。自分たちが逃げても、ファビオの家族に累が及ぶかもしれない。

 クロフォードは手を講じた。そのプログラムには少し時間がかかった。それがなされるまで、ミケーレに保護を願う。ミケーレはかならず彼を助ける。勝算があった。

(これが終わったら――)

 朝焼けに映えるビルを眺め、クロフォードはなつかしく思った。

 これがすべて終わったら、あの子のアパートに帰りたい。また朝食を作ってほしい。コーヒーのにおいで目をさまし、ベッドの上でトーストが焼けるのを待つ。彼の陽気な鼻歌を聞きながら、ベーコンが焼ける音を聞きながら、彼が呼んでくれるのを待っていたい。

(もうすぐだ。ひと月、いや十日かからないかもしれない)




「これはこれは」

 ミケーレはダイニングで朝食をとっていた。パンケーキを切りながら苦笑いをきざむ。

「どうした。ノミのサーカスか。天井を外しても飛べなくなったのか」

 ダイニングには、ボディガードを含め、数人の男がいた。クロフォードは人払いを頼んだ。

「話せよ」

 ミケーレは眉をあげた。「おれは気にしないぜ。おまえはすぐいなくなる。小包で送るよう言われているんだ」

「聞かれないほうがいいと思うが」

「じゃあ、話すな」

 クロフォードはあきらめた。

「わかった。聞いてくれ、ミケーレ。わたしはあなたの保護が欲しい」

 おお、とミケーレがおどけて天をあおぐ。

「わたしとファビオの保護だ。手を出さないでほしい。彼の家族にも」

「フラン、この間の約束はどうした」

「果たした」

「なんだと」

「果たしたんだ」

 クロフォードはミケーレの目を見つめて言った。

「ドン・ニコラは破滅する。そのためのプログラムを起動した。一月もたない。あなたは王国を受け取ったんだ」

 ミケーレの目がかすかにたじろいだ。

「いったい――」

「あの男はやりすぎた。ヴィラで」

 言おうとした時だった。だしぬけにクロフォードは背を強く殴られた気がした。衝撃は続けざまに響き、体が浮く。

 クロフォードはよろけかけた。

「カルロ!」

 ミケーレが叫ぶと同時に何かを投げつけた。背後で人が弾かれ、ひるむ気配がする。

「魔女め!」すぐ男の引き攣れた声が叫んだ。「邪眼だ。おれが退治してやった!」

 クロフォードはふりむこうとした。そのとたん、膝が抜け、体が床に伏した。咽喉から何かあふれ、呼吸がうまくできない。

(え?)

 自分の胸の下に血がゆるゆるとひろがっていた。口からも息のかわりに血があふれてくる。

 ――血? 撃たれたのか? 

「フラン!」

 ミケーレがかがみこんでいた。彼の顔がにがい。

「くそ。心臓だ。助からねえ」

 うそだ、と言おうとすると、咽喉から大量の血があふれた。酸素が入らない。どこかから漏れている。咳き込もうとしても、力が出なかった。
 急速に意識が暗くなった。

 ――死ぬのか。

 クロフォードは目を閉じた。
 こんなに持ち時間が少なくなっていたのか。
 ファビオにどう告げよう、とおもった。







「あの坊やは来ている?」

「今日はまだですわ。もうすぐ見えられると思いますけど」

「じゃあ、さっさと退散しないとな」

 ミケーレ・ブレガは大きなバラの花束を抱えて、病室に入った。
 病室は静かだった。ベッドの患者は石のように動かず、ベッドサイドモニターの光だけがひっそりとまたたいている。

「フラン、元気か」

 ミケーレはクロフォードの枕もとを見て苦笑した。
 硬く目を閉じたクロフォードの枕もとには、ワインの小ビンや、チョコレート、旅行パンフレットが乱雑に置かれている。

「あのバカ小僧、整理整頓ということを知らん」

 ミケーレはそれをとりのぞくと、自分の持ってきた花束を代わりに置いた。

「匂いぐらいわかるだろ」

 ミケーレは椅子をとり、傍らに座った。もの言わぬクロフォードの青白い顔を見下ろす。

 弾丸は背中から三発打ち込まれた。一発は貫通し、二発が胸部にとどまっった。失血から一時、心停止した。
 蘇生したが、クロフォードは目を醒まさなかった。生命維持装置につながれたまま、ひと月、眠りつづけていた。

「ひさしぶりだな。おれもいろいろ忙しかった。――今日、リントって野郎から連絡があったよ」

 ミケーレは寝顔に語りかけた。

「おまえをヴィラに売った男だそうだ。覚えてるか。――そいつが言うにはな。自分がドン・ニコラの陰謀を暴いたって言うんだ。ドン・ニコラはヴィラで餌食を物色していた。ドン・ニコラとリカータ家ははじめからつるんでいた。自分はそれを暴いて、ヴィラの軍隊ミッレペダに知らせたんだと」

 ミケーレは手をのばし、クロフォードの頬に触れた。頬はきれいに髭が剃ってあったが、体温が低い。肌も蝋のようにうすかった。

「ドン・ニコラは死んだ。ブルーノも。ドン・リカータも。リカータの相談役フラナガンも。おまえが撃たれてから、十日もたってなかった。ファラオの呪いみたいに一斉に死んだ。素晴らしい機動力だよ、ヴィラは。――あの男は、自分の手柄だから恩に着ろって、おれに言うのさ。だが、本当はおまえなんだろう?」

 ミケーレはさびしく笑った。

「おまえがあのリントに知らせたんだ。自分を売ったあの男に。あの男がその軍隊と昵懇だって知ってたからだ。――あのバカはおまえのタレコミを聞いて、おそらく大慌てで、軍隊に知らせたんだ。ヴィラはすぐ調査して、ドン・ニコラに会員が食いものにされているのを知った。ヴィラの手でおまえの敵は処分された。――これが、おまえのプログラムだ」

 そうだろう? と指先でまぶたをなぞる。

 ミケーレは動かない男の顔を見つめた。
 クロフォードの寝顔にはどこにも反応がない。酸素吸入器の下で、息さえしているのかわからない。

「おまえは利口な阿呆だ」

 ミケーレは身をかがめ、その瞼に唇をつけた。「かわいそうに。せっかく自由になれたのにな。――このスパゲッティみたいなの、全部引っこ抜いてやろうか」

「そんなことしたら、おまえの首も引っこ抜く」

 背後にファビオがむっつりと立っていた。

「フランシスに触るな。病原菌がつく」

「病原菌でもくっつかないかぎり、これじゃ死ぬこともできんよ」

 ミケーレは立ち上がった。「もう自由にしてやったらどうだ」

「よけいな世話だ」

「かわいそうだろ」

「今はおれと暮らしているんだ」

 ファビオは目を瞋らせて言った。

「やっと平和に――おれとふたりで生活しているんだ。やっと安心して寝られるんだ。安心して気持ちよく寝てるんだ!」

 ミケーレはニッと笑い、いなすように彼の肩を叩いた。

「いい子だな、坊や」

 ミケーレが去ると、ファビオは憤然とクロフォードの毛布を直した。

「ダーリン、大丈夫だ。あいつが触ったところは全部拭いてやる」

 アルコールを浸したティッシュを取り、律儀に顔を拭った。

「まったく、寝てたってムシがつくんだからな――おちおち仕事してらんないよ」

 顔の横に置かれた大きなバラの花束がひどくかさばった。みずみずしい花の陰で、やせた寝顔がいっそう小さく見えた。ベッドにとけこむほどにうすく、小さい。

 ファビオはにわかに烈しい憤怒にかられた。花束を掴むと、乱暴にドアに叩きつけた。

「くそったれが!」





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