早朝の495号線はさすがに流れていた。
クロフォードはぼんやりと運転しながら、丈高い街並みを眺めた。なじみのニューヨーク、ロングアイランド島に入る。
細い島の南端、華やかなハンプトンズには、大きな取引が待っていた。
クロフォードはミケーレ・ブレガに会うつもりでいた。
逃げつづけているわけにはいかなかった。ドン・ニコラはすでにファビオのことを知っている。自分たちが逃げても、ファビオの家族に累が及ぶかもしれない。
クロフォードは手を講じた。そのプログラムには少し時間がかかった。それがなされるまで、ミケーレに保護を願う。ミケーレはかならず彼を助ける。勝算があった。
(これが終わったら――)
朝焼けに映えるビルを眺め、クロフォードはなつかしく思った。
これがすべて終わったら、あの子のアパートに帰りたい。また朝食を作ってほしい。コーヒーのにおいで目をさまし、ベッドの上でトーストが焼けるのを待つ。彼の陽気な鼻歌を聞きながら、ベーコンが焼ける音を聞きながら、彼が呼んでくれるのを待っていたい。
(もうすぐだ。ひと月、いや十日かからないかもしれない)
「これはこれは」
ミケーレはダイニングで朝食をとっていた。パンケーキを切りながら苦笑いをきざむ。
「どうした。ノミのサーカスか。天井を外しても飛べなくなったのか」
ダイニングには、ボディガードを含め、数人の男がいた。クロフォードは人払いを頼んだ。
「話せよ」
ミケーレは眉をあげた。「おれは気にしないぜ。おまえはすぐいなくなる。小包で送るよう言われているんだ」
「聞かれないほうがいいと思うが」
「じゃあ、話すな」
クロフォードはあきらめた。
「わかった。聞いてくれ、ミケーレ。わたしはあなたの保護が欲しい」
おお、とミケーレがおどけて天をあおぐ。
「わたしとファビオの保護だ。手を出さないでほしい。彼の家族にも」
「フラン、この間の約束はどうした」
「果たした」
「なんだと」
「果たしたんだ」
クロフォードはミケーレの目を見つめて言った。
「ドン・ニコラは破滅する。そのためのプログラムを起動した。一月もたない。あなたは王国を受け取ったんだ」
ミケーレの目がかすかにたじろいだ。
「いったい――」
「あの男はやりすぎた。ヴィラで」
言おうとした時だった。だしぬけにクロフォードは背を強く殴られた気がした。衝撃は続けざまに響き、体が浮く。
クロフォードはよろけかけた。
「カルロ!」
ミケーレが叫ぶと同時に何かを投げつけた。背後で人が弾かれ、ひるむ気配がする。
「魔女め!」すぐ男の引き攣れた声が叫んだ。「邪眼だ。おれが退治してやった!」
クロフォードはふりむこうとした。そのとたん、膝が抜け、体が床に伏した。咽喉から何かあふれ、呼吸がうまくできない。
(え?)
自分の胸の下に血がゆるゆるとひろがっていた。口からも息のかわりに血があふれてくる。
――血? 撃たれたのか?
「フラン!」
ミケーレがかがみこんでいた。彼の顔がにがい。
「くそ。心臓だ。助からねえ」
うそだ、と言おうとすると、咽喉から大量の血があふれた。酸素が入らない。どこかから漏れている。咳き込もうとしても、力が出なかった。
急速に意識が暗くなった。
――死ぬのか。
クロフォードは目を閉じた。
こんなに持ち時間が少なくなっていたのか。
ファビオにどう告げよう、とおもった。
「あの坊やは来ている?」
「今日はまだですわ。もうすぐ見えられると思いますけど」
「じゃあ、さっさと退散しないとな」
ミケーレ・ブレガは大きなバラの花束を抱えて、病室に入った。
病室は静かだった。ベッドの患者は石のように動かず、ベッドサイドモニターの光だけがひっそりとまたたいている。
「フラン、元気か」
ミケーレはクロフォードの枕もとを見て苦笑した。
硬く目を閉じたクロフォードの枕もとには、ワインの小ビンや、チョコレート、旅行パンフレットが乱雑に置かれている。
「あのバカ小僧、整理整頓ということを知らん」
ミケーレはそれをとりのぞくと、自分の持ってきた花束を代わりに置いた。
「匂いぐらいわかるだろ」
ミケーレは椅子をとり、傍らに座った。もの言わぬクロフォードの青白い顔を見下ろす。
弾丸は背中から三発打ち込まれた。一発は貫通し、二発が胸部にとどまっった。失血から一時、心停止した。
蘇生したが、クロフォードは目を醒まさなかった。生命維持装置につながれたまま、ひと月、眠りつづけていた。
「ひさしぶりだな。おれもいろいろ忙しかった。――今日、リントって野郎から連絡があったよ」
ミケーレは寝顔に語りかけた。
「おまえをヴィラに売った男だそうだ。覚えてるか。――そいつが言うにはな。自分がドン・ニコラの陰謀を暴いたって言うんだ。ドン・ニコラはヴィラで餌食を物色していた。ドン・ニコラとリカータ家ははじめからつるんでいた。自分はそれを暴いて、ヴィラの軍隊ミッレペダに知らせたんだと」
ミケーレは手をのばし、クロフォードの頬に触れた。頬はきれいに髭が剃ってあったが、体温が低い。肌も蝋のようにうすかった。
「ドン・ニコラは死んだ。ブルーノも。ドン・リカータも。リカータの相談役フラナガンも。おまえが撃たれてから、十日もたってなかった。ファラオの呪いみたいに一斉に死んだ。素晴らしい機動力だよ、ヴィラは。――あの男は、自分の手柄だから恩に着ろって、おれに言うのさ。だが、本当はおまえなんだろう?」
ミケーレはさびしく笑った。
「おまえがあのリントに知らせたんだ。自分を売ったあの男に。あの男がその軍隊と昵懇だって知ってたからだ。――あのバカはおまえのタレコミを聞いて、おそらく大慌てで、軍隊に知らせたんだ。ヴィラはすぐ調査して、ドン・ニコラに会員が食いものにされているのを知った。ヴィラの手でおまえの敵は処分された。――これが、おまえのプログラムだ」
そうだろう? と指先でまぶたをなぞる。
ミケーレは動かない男の顔を見つめた。
クロフォードの寝顔にはどこにも反応がない。酸素吸入器の下で、息さえしているのかわからない。
「おまえは利口な阿呆だ」
ミケーレは身をかがめ、その瞼に唇をつけた。「かわいそうに。せっかく自由になれたのにな。――このスパゲッティみたいなの、全部引っこ抜いてやろうか」
「そんなことしたら、おまえの首も引っこ抜く」
背後にファビオがむっつりと立っていた。
「フランシスに触るな。病原菌がつく」
「病原菌でもくっつかないかぎり、これじゃ死ぬこともできんよ」
ミケーレは立ち上がった。「もう自由にしてやったらどうだ」
「よけいな世話だ」
「かわいそうだろ」
「今はおれと暮らしているんだ」
ファビオは目を瞋らせて言った。
「やっと平和に――おれとふたりで生活しているんだ。やっと安心して寝られるんだ。安心して気持ちよく寝てるんだ!」
ミケーレはニッと笑い、いなすように彼の肩を叩いた。
「いい子だな、坊や」
ミケーレが去ると、ファビオは憤然とクロフォードの毛布を直した。
「ダーリン、大丈夫だ。あいつが触ったところは全部拭いてやる」
アルコールを浸したティッシュを取り、律儀に顔を拭った。
「まったく、寝てたってムシがつくんだからな――おちおち仕事してらんないよ」
顔の横に置かれた大きなバラの花束がひどくかさばった。みずみずしい花の陰で、やせた寝顔がいっそう小さく見えた。ベッドにとけこむほどにうすく、小さい。
ファビオはにわかに烈しい憤怒にかられた。花束を掴むと、乱暴にドアに叩きつけた。
「くそったれが!」
|