第4話


 ドアマンはクロフォードの姿を見かけると、慇懃に挨拶した。
 クロフォードはうわのそらで答え、エレベーターに入った。エレベーターボーイが心得てフロアのボタンを推す。

(疲れた)

 点滅するランプを見上げながら、クロフォードはぼんやりと後悔した。
 あんな若者を相手にするのではなかった。主人に意趣返しするなら、エイズのゲイでも選ぶべきだった。

 だが、クロフォード自身、計画して抱かれたわけではない。若者に口づけられた時、ふとその健康なにおいに惹かれた。
 単純で、健康な、若い男の弾むような感触についふらふらとそんな気になった。

(軽はずみだ)

 若い男が愚かなものだということを忘れていた。

 自宅のドアを開けると、人の気配がした。クロフォードは一瞬飛びのきかけ、すぐになじみの香水の匂いに気づいた。

「おかえり。どこ回って来たら、こんなに遅くなるんだ」

 ソファから黒い頭がふりむく。黒いたれ目が笑いかけた。

「来ていたんですか。ミケーレ」

 クロフォードは熱のない声で言い、上着を脱いだ。内心、呻きそうだった。家に帰ったら何も考えずにベッドに倒れたかった。

「毎度ながら、おまえの家は何もないな。水しかない」

「食べるものなら、近くに店があります」

「いい。今度おれがごちそうしてやる。おれ、料理うまいんだぜ――フラン」

 男はひとさし指でクイっと呼んだ。
 クロフォードはためらった。

「着替えてから」

「着替えさせてやる。おいで」

 クロフォードが近づくと、男は自分の膝の上に座らせた。片手に抱え込んで、口づける。そうしながら、クロフォードのベルトをはずした。

(……)

 今日は何時に寝られるだろう。クロフォードはおざなりに相手の舌を吸いながら、憂鬱におもった。

 ミケーレ・ブレガは主人の部下のひとりだった。クロフォードの番人であり、時々たずねては、相手をさせる。優雅で、気まぐれで、残忍で、狡猾だった。

「あ……」

 ペニスを愛撫され、クロフォードは身をすくめた。ミケーレはクロフォードの下肢からズボンを抜き取ると、指でペニスを嬲った。

「昨日はえらい目に遭ったな」

 クロフォードは目を伏せた。

「わかっててやったな」

「――」

「あの若いのに惚れたのか」

「いいえ」

「じゃ、なんだ」

 クロフォードは眉をしかめた。愛撫のためにペニスは熱く脈打っていた。腹のなかに熱い溶岩がうごめいている。
 ミケーレがクスッとわらって、クロフォードに口づける。唇を離すと、彼は言った。

「あの小僧といつからつきあってたんだ?」

「――ッ」

 クロフォードは飛び上がりかけた。ミケーレの手がペニスをわしづかみにして、握り締めている。

 黒いたれ目が氷塊のように冷えていた。

「あのガキとはいつからつきあってた」

「な――」

「一回で、おまえさんにのぼせあがったってことはないだろ。いつからだ」

「なにを――アッ」

 勃起しかけたペニスを握りつぶされそうになり、クロフォードは凍りついた。目の前が真っ赤にそまる。

「小僧をたらしこんで、ドンとさよならしようって算段か。だから、おまえみたいな悪賢いのを外に放すなって言ったんだ」

「待て――ま――」

 クロフォードは息もできずにいた。激痛に意識が離れそうになる。つかまれたまま、もがくことさえできなかった。

(あそこにいたのか)

 ようやく、ミケーレが何を言っているかわかった。この男は先の駐車場にいたか、盗聴したかして、あの若者の言葉を聞いたのだ。

「――ちがう。彼には一度しか会ってない」

「会社のトイレで会ってたんじゃないのか」

「彼と寝たのは一回きりだ――」

 クロフォードは歯軋りした。

「ドン・ニコラが――嘘ばかりつくから――頭にきた。彼が近づいてきて、それで――やけになった――。一度だけだ。疑うなら調べてくれ」

 不意に拷問の手がゆるんだ。

 ミケーレはいきなり彼に口づけ、ソファに押し倒した。ニヤリと笑って見下ろす。

「フラン、冗談だよ。おまえはいい子だ。二度と間違いはやらない。おれは注意しただけだ。ドンがうるさいんでね」

 クロフォードの目じりに落ちた涙に唇をおしあてる。見下ろした黒い目はあたたかくなごみ、慈悲深いとさえいえた。

「かわいそうにな。自由になれると思ったのに、いつまでも籠の鳥で。しょうがない。おまえは男好きがするんだ。ドン・ニコラはおまえに惚れてるんだよ」

(どうでもいい)

 ミケーレのキスを首筋に受けながら、クロフォードは天井を睨んだ。
 ドン・ニコラ・カステリーニにとって利用価値がある以上、自分は解放されない。首縄でつながれ、男たちに与えられるだけだ。
 どうおだてられようと未来はふさがれていた。




「ファビオ――だからね。これはヤバイんだって」

 ニールは声をひそめた。

「記者も警察も私立探偵もたくさん死んでるんだ。ひどいのになると、連れていかれちゃったりしてな」

 ファビオは苛立った。

「どこへ」

「だから、そこへ」

「だから、それはどこにあるんだ。そのヴィラ・カプリってのは」

 シーッ、とニールが目を剥く。彼は本気でクラブのフロアを警戒した。

「おまえ、オメルタって知ってるか」

「なに」

「マフィアの沈黙の掟。これにもそれがあると思ってくれ。うかつなことを言ったら跡形もなく消されるぞ」

 友はふざけているわけではないらしい。ファビオは鼻息をつき、カシューナッツをつまんだ。

「誰か知り合いいないか? ホモで羽振りがよくて、協力的なヴィラの会員」

「いないし、知り合いになりたくもない」

「おれもいろいろクラブとかで聞いてまわったんだけどさ――」

 ニールは目を剥いた。

「聞いてまわった?」

「ゲイ専用のエスコートクラブとか」

 よせよ、おまえ、と彼は喘いだ。

「――おれがあんなことを言ったのがまずかった。あのな、ヴィラ関係のことはどんな大新聞でもタブロイドでも記事にできねえ。必ずデスクに消される。はなはだしい時は記者も消される。どういうことかわかるか。政府がからんでいるんだ。――素人が聞いてまわっちゃいけないんだよ」

「ある人がそこにつかまった。ある男に買われた。そいつは一生、その男に飼われつづけるのか。身代金をいくら払えば買い戻せるんだ? 人身売買なら金を払えばおれにも買えるってことだろ」 

 知らねえよ、とニールはうめいた。

「そいつのご主人様に聞けばいいじゃねえか。いくらで取引させていただけるのか」

「わからねえんだよ、ご主人様が」

「奴隷のほうは知ってるだろう」

「奴隷が言わないんだよ!」

 ニールは目を丸くした。「じゃ、なんでおまえが助けるんだ?」

 ファビオは言葉につまった。

「――オメルタ」




 なぜ、買い取るなどと言い出したのか、ファビオにもわからない。
 脅して金をとるはずだった。なぜか抱いてしまった。一度は飛びのいた。

 だが、あのゴージャスな客を見てから、ファビオは落ち着かなかった。かきむしられるような思いに苛まれていた。

 上等の男だった。いいスーツを着て、威厳があって、セクシーだった。この世界は彼らのものだ、と自覚していた。

 クロフォードは彼のおもちゃだった。
 そのおもちゃをファビオも欲しかった。

 上流階級はいつも最高のものを奪っていく。ファビオは彼らから取り上げたかった。

(あいつが好きなわけじゃないさ)

 だが、クロフォードを自分のものにしたかった。腕があの感触を忘れずにいた。筋肉があの男を抱きたがっている。

 男を蕩しながら、にべもなく拒絶する冷酷なあの男の心臓に触れてみたかった。凪のようににぶい彼の心にさざなみをたててみたい。あの男を自分だけのペットにしてみたい。

(一度は手に触れた。おれにもチャンスはあるはずだ)

 ファビオは駐車場で待った。
 だが、クロフォードは運転手つきのリムジンを利用するようになり、現れなかった。
 ファビオは郵便を使い、会いたい、と書き送った。返事も来なければ指定した場所にもクロフォードは現れなかった。

「ボスの携帯の番号わからないか」

 ファビオは思い余って、クレアに聞いた。クレアは例の計画のためと思って番号を教えた。三度連絡すると電話は通じなくなった。「オフィスにたずねたら?」

 これにはファビオがためらった。クレアはやりとりを盗聴するだろう。

 ――かくなる上は、

 ファビオは高級スーツをレンタルした。クロフォードの住むブルックリン・ハイツのアパートには、受付と恰幅のいいドアマンが控えていて、無用の者は中に入れない。

 土曜の午後、ファビオは身なりを整えてアパートに潜入した。

「ジャック・ルイスだ」

 ファビオはヴィラの客らしい保険業界のVIPの名をあげた。
 受け付け係は確認をとり、あっさりファビオを通した。ファビオはふんぞりかえってエレベーターボーイに、「クロフォード氏のフロアへ」とチップを渡した。

 フランシス・クロフォードの部屋はすぐ見つかった。
 チャイムを鳴らすと、鍵が開けられる。ドアが開くや、ファビオは中に突進した。
 クロフォードがぎょっと身を退かせた。その灰色の目が丸くなる。

「――きみ」

「ダメじゃないですか。ニューヨーカーがチェーンをはずすなんて」

 ファビオは彼の傍らから中へずかずかと進んだ。





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