窓から朝日が差し込む。
クロフォードは惚けたように光に見とれた。
ファビオは隣で心地よげないびきをかいている。彼の心臓はやすらかで、いびきもやすらかだった。
光すら、手ごたえがたしかで、跳ね返るようだった。
クロフォードはファビオの肩に口づけた。頬擦りしてその熱をたしかめる。あたたかですべらかで弾力がある。
「――」
ファビオが身じろぎして、ねぼけまなこを開けた。クロフォードに気づくと、ねぼけた微笑を浮かべる。
「やあ、ダーリン」
クロフォードは首をのばし、その頬にキスした。ファビオが満足したライオンのように微笑む。
「おはよう。腹減った?」
クロフォードは、あいまいにうなづいた。ろくに食べない日がつづき、空腹感など忘れていた。
「待ってて」
ファビオはすぐにシーツから出ていった。キッチンでにぎやかな音がたつ。バスルームから水音がする。鼻歌がきこえる。
クロフォードはベッドに肘をつき、なかば、あぜんと朝の風景を眺めた。
部屋にみずみずしい光が差している。使い古された空気は一新され、なにもかもきよらかだった。クローゼットも、くしゃくしゃのシーツも脱ぎ散らした衣服も埃だらけの窓も、みな神聖だった。
コーヒーの香りが漂いだし、クロフォードはぼう然とした。
(こんな朝もあったんだ)
ファビオが顔をのぞかせた。
「卵はどのように?」
「両面焼いて」
クロフォードはベッドから這い出た。着るものをつかんで、バスルームに入る。
身じまいして出てくると、朝食が出来ていた。皿にソーセージとベーコン・エッグが油を跳ね、木のボールにポテトサラダが盛られていた。コーヒーポットの隣にフレッシュジュースのジャーが置かれている。テーブルクロスは清潔だった。
「すごいな」
クロフォードは素直に言った。「テレビの朝食みたいだ」
「新婚だからね」
ファビオはコーヒーを差し出した。「いっしょに暮らそう。あのアパートにはもう帰らないでくれ」
クロフォードはコーヒーを飲んだ。鼻腔にほろにがい香りを感じ、うまいとおもった。ひさびさに味を感じた。
「会社も辞めるんだ。今夜、メキシコへ行こう」
クロフォードはトーストをとって、バターを塗った。
「聞いてる?」
「無理だ」
「メキシコに知り合いがいる」
「ファビオ、おれは行けない」
「じゃ、どこがいい? エジプト?」
「なんだか、ひさしぶりにものを食べた感じがする」
「ソーセージ、まだあるよ。――ダーリン。前向きにいこう。逃げないならそれでもいい。おれにあのブレガと話をさせてくれ。まず交渉のテーブルについて」
「おれの値段は1億2000万ドル。飼い主はひねくれもので、マフィアのドンだ。ブレガは彼の手下だよ」
「わかった。ドンと戦うよ」
クロフォードは鼻息をつき、コーヒーを飲んだ。ファビオは首を振った。「ふざけてると思ってんだろ」
「ふざけてはいないが、現実を認識していない」
「はっ、あんたはピーナツみたいに、おれをデンバーへ弾き飛ばしてくれたけどね。おれは東海岸バイヤー界のエースなんだ。テロリスト相手に値引き交渉できる。いわんやマフィアのドンをや」
「コーヒーもらえる?」
ファビオはコーヒーを注いだ。
「まあ、上司が何を言おうとおれはやるから」
クロフォードは夢中でファビオに口づけた。歯を、歯の裏を、舌を、上あごを、飢えた者が甘露をむさぼるように舌をすべらせた。
彼はファビオの膝の上に跨っていた。若い恋人にからだをひらき、体重を預けきっている。クロフォードはもはや逃げようとはしなかった。
大きな手が腰を支えていた。尻を撫でている。その手がずれるだけで、クロフォードの細胞は炭酸の泡のように沸き立った。
ファビオの手はせわしなく動いた。尻をつかみ、腰をさすり、彼の胸にすべりあがった。
「ア」
クロフォードは肩をすくめた。
ファビオの指が乳首をいじっている。いじりながら、なお唇を求めてくる。
舌を受け入れながら、クロフォードは眉をしかめた。乳首の刺激に急激にからだがざわめく。からだのあちこちが小さくスパークする。
クロフォードは手をファビオの股間に伸ばした。あたたかくいきり立ったそれを手のひらにつかむ。彼はやや気ぜわしく恋人のペニスを愛撫した。愛撫しながら、ファビオの舌を吸った。
荒い息の合間にファビオが微笑みかける。なにか言おうとする。クロフォードはあえぐだけだった。すでに彼のペニスはぐっと命をおびて天を向いていた。
「ファビオ――もう、欲しい」
たまりかねて、恋人を抱きしめる。「今――今――」
ファビオの手が腰をつかんだ。持ち上げ、自らのペニスの上に据える。ゆっくりとからだをあわせていく。
「あ――あ――」
クロフォードはのけぞった。
「ファビオ!――アアッ――」
熱い生命の塊につらぬかれ、クロフォードは歓喜した。古い肉体が剥がれ落ち、深奥のエネルギーが燦然と輝く。翼が大きくひろがる。
「ああ……ファビオ――あ、ハッ」
ファビオが肌を吸っている。その振動がペニスにあふれんばかりに熱い血を送り出す。
クロフォードは叫んだ。恋人にしがみつき、何度もその名を呼んだ。
――ファビオ。好きだ。ファビオ。ファビオ!
(何をグズグズしているんだ。もう行かなければ――)
クロフォードはカウチにもたれ、ぼんやりと汚れた窓を見ていた。
四時を過ぎていた。携帯電話には怒りのメッセージがたまっている。ミケーレ・ブレガの手下が捜索に出ている。帰らなければならない。
だが、椅子から立てなかった。
二時間、彼は汚れた窓を見ていた。
頭では、バカなことをしているとわかっている。ファビオと逃げる気はない。
以前、逃げた。空港でつかまり、アイロンで足の裏を焼かれた。
ヴィラの犬は逃げられない。それなら、すぐに帰るべきだったが、クロフォードは動かなかった。
何をしようというのでもなく、まったくの無策だった。ただ時間を無駄にしている。
(おれは怯えている――)
彼は憂鬱に窓ごしの空をながめた。
また鉄条網の中へ帰るのがこわい。待っているであろうリンチがこわい。また男たちの慰みものにされるのがこわい。
ファビオとはもう会えないだろう。彼の手を放すと思うと、胴がふるえそうになるほど恐ろしかった。
この三ヶ月間、自分でも呆れるほど消耗した。何も我慢できなかった。袋の中につめられたネコのようにパニックを起こして暴れていた。
どうやってまた耐えていけるのか。
(いっそ、ここで終わりに――)
そう思った時、唐突に玄関のチャイムが鳴った。それは続けて鳴った。
クロフォードは身をこわばらせて玄関のほうを見た。ドアノブがガチャガチャ鳴る。
――来た。
彼は思わず窓を見た。飛び降りるなら今しかない。
だが、ため息を大きくつくと、彼は身を起こした。
「今、開ける」
声を待たずにドアに穴が開いた。鍵がめくれるようにははじけ飛ぶ。ゆらりとドアが開いた。
「やあ、フラン」
ミケーレの手下が立っていた。サイレンサーのついた銃を向けながら、黄色い歯をむいて笑う。
「元気か、フラン。殴っていいか、フラン。いいわけなんか聞かないぜ。おれは猛烈に腹がたってる。おまえに訴訟をおこしたいぐらいだ」
男は言った。「フロリダからお呼びだ。ドン・ニコラ・カステリーニが帰ってこいとさ」
「上着をとってくる。ちょっと待っててくれ」
クロフォードはそっけなく言って、身をひるがえした。息が硬くこわばるのはどうしようもなかった。
|