第9話


「ブレガだよ! ブレガっていうマフィア。調べてくれ。すぐ」

『ファビオ、頼む。今電話すんな』

「ボスじゃないらしい。幹部クラスだと思う。髪も目も黒。身長6フィート3ぐらいで、いやらしい映画スターみたいな」

『ここはハリウッドじゃねえ!』

 電話が切れる。ファビオはすかさずリダイアルした。

『この野郎。仕事中だっつってるだろうが』

「おれの――友だちが誘拐されたんだ。大スクープだろ!」

『おまえの友だちは大統領か? ちがう? じゃ切る』

「ニール!」

『明日!』

 ファビオはすかさずリダイアルしたが、つながらなかった。

「くそっ」

 午後、ファビオはメキシコ行きの準備のために出ていた。帰ると、ドアの鍵に風穴が開き、クロフォードは消えていた。

 警察には知らせた。警官がふたり調べにきたが、ひとしきり質問されただけでなんの解決もしていかなかった。

 ファビオはクロフォードのアパートまで駆けつけた。ドアマンに金を握らせて聞くかぎり、彼が帰った気配はない。

 ――フランシス。

 ファビオは狼狽した。
 クロフォードの背後には銃口があった。その現実はドアの穴が表している。

 なんとかしなければ、と浮き足立つ一方、ともすると呆然として永遠にへたりこんでしまいそうだった。

 クロフォードはやさしかった。以前とは比べ物にならないほど、大胆にファビオを求めた。
 まるで、別れを告げるために来たかのようだった。

(――冗談じゃねえぞ!)

 ファビオは足を踏み鳴らして叫んだ。

「おれを甘く見るな! おれはあんたのためなら、ドラゴンとだって戦えるんだ! マフィアだろうと!」

 夜中突如、電話が鳴った。
 ファビオは飛び上がり、電話をつかんだ。

『おれだ』

「フランシス?」

『ノー、寝不足のミスター・ニール・ウォーレン』

「ニール! ブレガについてわかったか」

『近づくな』

 友のかすれた声が言った。『殺し屋だ。近づくとろくなことにならない』

「もっと具体的に言え」

『近づかないと宣誓しないうちは言えない』

「わかった。近づかない。プロにまかせる。彼の住所を言ってくれ。彼のボスは? どのファミリー? ボスの家はどこだ」




 ミケーレ・ブレガの邸宅はロングアイランド島の高級住宅街ハンプトンズにあった。

 ファビオは車を流し、その敷地のまわりをめぐった。壁は高く、高圧電流が通っている可能性があった。入り口は正面の両開きの鉄の門。

(開けてもらうにはカメラに向かって笑いかけなきゃならん)

 何度まわっても、中に入るいい考えが浮かばない。彼は肚を決め、正面玄関に車を止めた。
 首をのばし、インターホンに営業用の声で呼びかける。

「ホテル・ルクスのコスタといいます。ブレガ氏に至急お見せしたいものがあります」

 ファビオはニールから聞いたブレガ支配下のホテルの名を告げた。

『どういうご用件ですか?』

「ブレガ氏にしかいえません。マネジャーのジャクソン氏から直接、お見せして、お話を伺ってくるように言われてますので」

『どういうご用件か伺わないと――』

「――ではけっこうです。極秘事項ですので他の方にはお話できないのです。ジャクソン氏のもとから、わたしが急ぎでこちらに伺ったことだけお伝えください。失礼ですが、あなたのお名前は」

『――コスタさんですね。少々お待ちください』

 ファビオは苛々と待った。ホテルのマネジャーに連絡を入れられたら、そこまでだった。とにかく中に入らないことにははじまらない。

『コスタさま、お入りください』

 電動音がした。鉄の扉が大きく両側へ開きはじめた。




 クロフォードは暗闇に目を開いた。

 乾いた破裂音が数発、響いた。犬の吼え声。イタリア語の怒号が聞こえる。邸の中もあわただしく人の動く気配がした。

 クロフォードは闇の中でじっと耳をすましていた。
 騒ぎはしばらく続いた。どこかでミケーレの声が聞こえる。

 不意にあわただしい足音が近づいた。鍵が開く音がした。

「フラン。起きろ」

 ミケーレの手下が無理やり引き起こした。廊下に引き立て、階段をおりるようせかす。

 階下の広間には人が集まっていた。クロフォードは明かりのまぶしさに目を細め、人々が囲んでいるものを見ようとした。

(え?)

 男が床にたおれている。血がその衣服を染めていた。
 クロフォードはうすく口を開いた。心臓がきつく締まり、激しく暴れた。

「ファビオ――」

 彼は階段を駆け下り、人を押し分けた。

「ファビオ!」

 クロフォードはファビオの傍らに膝をついた。
 ファビオはどろりと目を向けた。

「あ――あ……」

 顎が血でよごれている。腹をおさえた手から血があふれていた。
 クロフォードはふるえる手でファビオの体に触れた。

(傷は――よし、心臓じゃない。腹だ。――くそ、なぜ来た! 腕もやられてる。失血死してしまう)

「救急車を呼んでくれ!」

 クロフォードはまわりの男たちに怒鳴った。「早く!」

「そいつが先に撃ったんだ」

 男が憮然と言った。

「ルイジも撃たれた。防弾ベストを着ていなかったら、あの世行きだった」

 クロフォードはミケーレをさがした。ミケーレ・ブレガは男たちの間でニヤニヤ彼を見ていた。
 クロフォードはあえぐように頼んだ。

「ミケーレ。救急車を呼んでくれ。彼を殺さないでくれ。たのむ――」

「なんのメリットがある?」

 ミケーレはおかしそうに唇をゆがめた。

「間男だ。おまえの浮気相手だ。助けてなんの得がある。おまえは何をしてくれるんだ?」

 その目の光を見て、クロフォードは息をつめた。
 この男はきわどい悪ふざけが好きだった。他人が慌てる顔を見るために、死者が出てもかまわない。

「わたしは、金を作れる――」

「一発一万ドル? そのキャッシュフローはもう確保したはずだが」

「そうじゃない――」

(金ではダメだ)

 脳味噌を沸騰させながら、クロフォードはゲームを終わらせる言葉をさがした。

(オファー。相手がおどろくようなオファー)

「……やめ、ろ……」

 ファビオがせわしく喘いでいる。血だまりが床に大きく拡がっていた。さむそうに唇をふるわせている。

「……フラ……。やめ…て…くれ」

 ファビオの目が涙にうるんでいた。クロフォードは恋人の血に汚れた手をにぎった。

(この阿呆め)

 ふりかえると、彼はミケーレを見上げた。

「あなたをカステリーニ・ファミリーの後継者にしてやる」

 ミケーレのたれ目が一瞬、瞠った。

「おやおやおや」

 裸の犬が、と吹き出しそうな顔をした。だが、その目はわらっていない。

「わたしはこれからフロリダへ行く。好んで行くわけじゃないが。ドン・ニコラはわたしを傍に置く。彼と話す機会は多い」

「たのもしいねえ。ピロー・トークで口説いてくれるっていうのかい」

「代わりにジャン・モラーナやブルーノ・ラニエリの名前をあげることもできる」

 ミケーレの頬が止まった。たれ目がギラリと抜き身のように光った。

「商売をやっていると裏世界の情報も入ってくる。ブルーノはマイアミで声望が高い。収益も。わたしはあなたを応援したいと思っているが」

 クロフォードはおだやかに言った。

「あまり考える時間はない。彼が死ねば、この話はなくなる」

 ほんの刹那、ミケーレの顔がぬっと曇った。すぐにその厚い唇が大きく吊り上がる。豪快に歯並びを見せ、

「たまらんやつだ。だからおまえはかわいい」

 彼は部下に応急処置をするよう命じた。

「……ダーリン、すまな、い」

 ファビオはすすり泣いた。「また助ける……」

「もうよしてくれ」

 クロフォードは苦笑しかけた。だが、笑えなかった。

 ファビオは涙と洟をたらし、病み犬のようにふるえている。その血まみれの手を見つめ、クロフォードは胸苦しさに歯をくいしばっていた。

(なんて男だろう――)

 聖なる生きものがそこにいた。彼の人生ではじめて見る、天使が哀れに彼を見つめていた。
 
 クロフォードは歯をくいしばって震えた。
 そのよごれた、神聖な手をつかみ、唇を押し当てた。

 ――ドン・ニコラから逃げてくるよ。おれはもう一度やってみる。
 




「失敗したな」

 ファビオが目を醒ますと、ニールが困ったように笑っていた。
 彼は病室にいた。体が燃え上がり、ひどく気分が悪かった。

「おれは――」

「体に四つ穴が開いている。右肩と腹に二発、左の太腿に一発。――行くなって言ったのに」

 ニールがこめかみに軽くこぶしをあてた。その途端、ファビオの目から涙がぼろぼろとあふれた。

「ファビオ」

「失敗した――」

 ニールは苦笑した。

「運がよかった。神様がおまえを助けたんだよ」

「助け、られなかった」

 ファビオは顎をふるわせた。「行っちまった。おれのせいで、おれを庇って」

 ニールは苦笑し、目をそらしてやった。窓を見やり、天気に興味があるふりをした。

「おれは……ろくでなしだ」

 ファビオはすすり泣きながら言った。

「何もできない。クソ野郎に手をひねられても何もできない。小者だ」

 ニールは遠い雲を見ながら、わずかに目を細めた。ファビオは息をふるわせた。

「いつもこうだ。……ガキの頃からチンケな小悪党だ。フットボールのキャプテンにもなれない。ワルのリーダーにもなれない」

「ワルかったよ、おまえは」

 ニールが苦笑いする。「何台盗んだ?」

「十七」

「ちがう、三十二だ」

「十七。残りはおまえだ」

「おまえがリサーチしたんだ。おれは移動させただけだ」

 ニールは友だちにティッシュの箱を渡した。

「おまえはクールだったよ。クスリには絶対手を出さなかった。稼ぎやすいのに――」

「あんなもん、やるのはバカだ」

「感謝してる」

 どうも、とファビオは重い左手でティッシュを引っ張った。顔に押しつけ、洟を拭く。そのまま、また泣いた。

「どうして……おれは小者なんだろう」





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