不貞  第6話

 ウィア・ウォルプタエに下りたのははじめてだ。
 おれは目をうたがった。ネオンが夜のメリーゴーランドのように明滅している。ラスベガスにでも来たようなけばけばしさだ。

 犬たちが鎖につながれて降りて来た。
 ウエリテス兵が彼らを電気棒で追い立て、店のスタッフに引き渡す。犬たちはまだ寝ぼけまなこなのか、ひどくおとなしい。
 だが、一箇所だけ騒ぎが起きていた。

「話が違うじゃねえか!」

 ひとりの男がスタッフともみ合っている。「おれはここじゃねえ。まだ戦える! ケガは治ったんだ! アクトーレスと話をさせてくれ」

 ふいに男は、糸が切れたようにバタリと倒れた。屈強なスタッフが枷をかけ、かるがると肩にかついで運び去っていく。

 犬たちは何ごともなかったように、それぞれのスタッフについて店内に入っていった。
 おれは通りの端でそれを見ていた。オクタビオを見上げるが、彼は説明しない。
 やがて、背の高い黒人スタッフが近づいて来て、オクタビオに言った。

「いいぜ。こいつ、ショーぐらい出たことあるんだろうな」

「ショーはない」

 オクタビオは憮然と言った。「店にも出てない。昨日は散歩に連れ出しただけで吐いた。そういう手合いだ」

 黒人はあきれたようにおれを見下ろした。いきなりおれの耳をつかみ、

「お嬢さま。おまえが来たのは地獄の下の地獄だ。少しでもイヤイヤ言ったら、犬ども全員におまえを食わせる。腹をくくんな。わかったな」

 彼はオクタビオについてくるよう言って、きびすを返した。
 オクタビオがリードをひく。

「彼の言った言葉は脅しじゃない」

 オクタビオは言った。

「ここの犬たちはおまえの友だちとはちがう。飼い犬をねたんでいるから気をつけろ」




 連れてこられたのはのぞき部屋だった。

 おれはバレリーナのような短いドレスを着せられた。
 それを着たまま、ステージで自慰をしろという。鏡のなかから客が見ているから、手足でからだを隠さないように、と注意を受けた。

「いつ、終わるんですか」

 おれが聞くと、犬たちがじろりと見た。スタッフは言った。「ベルが鳴ったらだよ。お嬢ちゃん」

 それ以上、なにか聞ける雰囲気ではなかった。おれは控え室の隅に引っ込み、ひとりで膝をかかえた。

 キースのことをおもった。
 彼は地下のことをほとんど話さなかった。話す時はひどくみじめそうだった。

『あそこは地獄だよ。正気の男はひとりもいない。おれを含めてね』

 キースはおれたちの誰よりまともだったが、たしかに傷はあった。何かの折にその傷に触れられて飛び上がる。

『おれが行く。おれひとりでいい!』

 昨日のキースの声を思い出した。人変わりしたような声だった。まるで先ほど電気ショックを与えられた犬のような必死な――。

「飲んでおきな」

 目の前に水の入った紙コップが突き出された。赤毛のハンサムな犬が見下ろしている。

「興奮剤だよ」

 犬は哀れむように笑った。「気分もりあげないと、ショーなんてやってられないだろ」

 麻薬だろうか。気味が悪かった。

「いらない」

「じゃ、ケツから飲みな」

 犬はいきなりおれの足首をつかんでひっくり返した。仰天して、その肩を蹴りつける。犬は吹っ飛んだ。

「お、やるじゃねえか」

 まわりの犬たちが立ち上がった。おれはすぐ立ち上がり、身構えた。

(スタッフは?)

 スタッフが消えている。控え室にいるのは犬だけだった。全員が立ち上がっていた。
 ドアは、と思った時、横から犬が飛び掛ってきた。その犬の腕をつかみ、ねじりあげる。

「ギッ――」

 すぐにべつの手が殴りかかってきた。おれはつかんだ犬を蹴り飛ばし、飛びのいた。

 だが、いきなり顔のまえになにかが飛んだ。と思うと、背後から首に腕が巻きついた。
 あっというまに、いくつもの腕につかまれ、無茶苦茶に殴りつけられた。
 内臓がつまって、動けなくなる。倒れたところに足が雨あられと降ってきた。

「この野郎。ふざけやがって――」

「気絶はさせるな」

「はやく。ベルが鳴ってる」

 足をつかまれている。胸に膝をおしつけられる。あらわになった尻穴を見て、犬たちが笑った。

「かわいらしい」

「ちょうどいい。拡張してやる」

「フィストのほうがいいんじゃねえか」

 どけおまえら、と仲間が叱る。尻の穴に硬い管が突き込まれた。

「イッ――」

 冷たいものが腹のなかにあふれだす。とたんに腸がよじれ、強い痛みが襲った。

(ばか、よせ――)

 大量の水が腹をかけめぐっていた。はげしい便意が肛門にふくれあがってくる。

「次、次」

 犬たちははしゃいでいる。笑いながら、さらに水を押し込んだ。

(痛ッ)

 腹のなかは水袋のようになっていた。少し動いたら、はちきれそうだ。

「おい、何やってる」

 スタッフの怒鳴り声がした。「ロビン・オコーネル、出番だと言ったろう!」

 おれはうずくまって動けなかった。直腸から大きなものが飛び出そうと頭をつきあげている。

「トイレ……」

 スタッフはおれの髪をつかみ、引き上げた。「さっそくイヤイヤか」

「トイレ、行かせてください」

 おれは冷や汗を垂らしていた。いますぐぶちまけそうだった。
 スタッフが犬たちを睨む。

「何をした」

「ショーがスムーズにいくように激励を」

 犬たちがわらう。「ちょっと牛乳を飲ませてやっただけです」

 その時、電子音のベルが鳴った。スタッフは毒づき、おれの腕をひっぱって部屋から連れ出した。

 ステージに押し込もうとする。おれはあわてた。

「無理です。先にトイレに行かせてください」

「ぶちまけたかったら、ぶちまけろ。その後で、オモチャをつかえばいい。演目はスカトロじゃない」

 耳をうたがった。スタッフはかまわず、おれをステージに突き飛ばした。
 鼻先でドアが閉められる。ノブに飛びつくが、開かない。

『さっさとその椅子に座れ!』

 スピーカーから声が叱った。
 中央に丸い藤椅子が吊られている。部屋は八角形の鏡ばりになっていた。ピンクのドレスを着た馬鹿な男が映っている。

 それを見ている別の視線があった。
 鏡の向こうに人間がひそんでいた。どの鏡からも、強い視線が見つめている。

「や、だ……」

 おれはとっさに背を向けた。ノブをつかみ、必死に揺さぶる。肩で当たる。足で蹴ったが、すぐ動けなくなった。
 直腸が大きく膨れている。肛門が破れそうだ。

『ロビン。そこに貼りつくんじゃない! 椅子に座れ』

(冗談じゃない)

 冷や汗が流れた。いつかのフォルムの悪夢がよみがえった。
 あの恥辱には二度と耐えられない。

「出してください」

 おれはあえぎ、ドアにすがった。石が突き上げるようだ。悪寒がする。生唾がだらだらとわいてくる。

 ――だめだ。絶対にいやだ。

 だが、直腸は風船のように膨れあがり、破裂寸前だ。出ようとする塊を押さえかねて、括約筋が痙攣しかかっている。もう耐えられない。

「お願いです。今回だけ」

『そこから離れろ! バカ犬! 罰を喰らいたいのか。やれ!』

「死んでもいやだ!」

 わめいた途端、肛門が吹っ飛んだ。

「わ」

 大きなものが噴出した。もう締まらなかった。生きものが飛ぶように白い水が飛び出し、床に落ちた。

「やッ――アッ――」

 懸命に尻をしぼる。だが、腹は勝手に波打ち、牛乳が弾丸のように噴き出していく。
 おれは動転してスカートの裾をつかんだ。隠そうとしたが、短くて尻すら隠れない。また直腸がふくらみ、肛門から水がどっと噴き出た。

「見るな! 見ないでくれ!」

 おれは悲鳴をあげ、足をばたつかせた。鏡が怖かった。思わず手で顔を覆っていた。
 スピーカーがドアから離れろと叱るが聞けない。

 眼が見ている。鏡の向こうから冷たい眼が、恥知らずな尻をなぞるように見ている。
 尻は爆発をつづけ、内股をぬるいものが覆った。汚泥のような便が貼りつき、足を汚した。

(ああ――うそだ――)

『この馬鹿犬! ぶっ殺されたいのか。椅子に座れ!』 

 スピーカーから何度も怒声が飛んだが、おれは顔を覆ってふるえていた。
 ベルが鳴ってひきずりだされても、小石のように固まって動けなかった。



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