不貞 第8話 |
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――アル、大丈夫かな。 ケージの冷たい床に頬をつけ、おれはそっと呻き声をもらした。 からだのあちこちが痛い。スタッフに殴られた傷が熱をもって疼いている。喰えず、力はもう一滴もなかった。 だが、最悪の混乱はもう去った。 ――ご主人様はおれを捨てたのではない。 彼は怒っている。罰を与え、叩きのめしているが、捨てる気はないのだとわかった。 (でなければアルがあそこにいたわけがない) アルフォンソはおれの避難所になってくれていた。最悪の時、彼は隣にいた。黙って、おれの罰を半分肩代わりしてくれていた。 なぜ、アクトーレスが見逃したのか。 ご主人様の意思がなければ、そんな奇妙なことが起こるわけないのだ。 ――見捨てられていない。 それが肝心だ。それなら、罰に耐えられる。 (でも、それなら、このむごい罰の理由はなんだろう) 翌日、おれはまたのぞき部屋に出された。昨日のやりなおしだ。またドレスを着せられ、ブラシのような棘つきのバイブで自慰させられた。 視線を思うと手が震えたが、おれは目をつぶって破廉恥なショーをやりおおせた。 終わった後、ひどくみじめだった。人目がなければ、毛布をかぶって泣きたかった。 ――なんでこんなことをさせるんだろう。 ご主人様はおれを見離したわけではない。だが、どうして自分の犬を汚すのだろう。人前にさらしものにして、きたならしい真似をさせてイヤじゃないのだろうか。 (おれの勘違いか。やっぱり嬲って捨てるのかな) 「喰えない。病院に行きたい」 食事を摂るよう命じられ、おれはオクタビオに駄々をこねてみた。 オクタビオは慣れたものだ。食事のかわりに、おれに点滴をつないだ。 「まるで北京ダックだ」 わがままが容れられず、おれはイヤミを言った。 「食べたくなくてもエサをつめこまれる。太らされ、出荷される」 「そうだ。おまえのからだはおまえのものじゃない」 オクタビオはあっさり言って、ほかの犬のほうへ行った。入れ替わりに、スタッフが来て、次のショーの衣装を投げていく。女物の下着だ。 「何するんですか」 「演技なんか期待しとりゃせんよ。絶望的な大根め」 スタッフはせわしなく出て行った。 下着は女優が着るような黒いキャミソールだった。パンティーもある。 (ハロウィンだと思おう) 情けない気分で見つめていると、 「また泣いてるよ。この嬢ちゃんは」 昨日、おれに襲い掛かった赤毛の犬が上から見ていた。ミールのトレーを持っていた。 おれは点滴をしたままだった。オクタビオがちらりとこちらを見る。 犬もアクトーレスの前で乱暴をするつもりはないようだった。 「ショックでものも喰えないか。ドムスでよっぽどいいもの喰ってたんだな」 言い返そうとしたが、相手の目の暗さにたじろいだ。 「おまえとおれとはどこが違うんだ?」 犬が小ばかにしたように問い掛ける。 「おまえのケツのどこにそんな価値があるんだ? ケツの穴が麗しいのか。え、嬢ちゃん」 声音は明るい。だが、ピエロのようにさむざむしい。 「ここは嫌いかい? おまえら地上の犬はクリーンだから? どうきれいなんだ? クソしねえのか? 男に掘られたら、やっぱりヒイヒイよがるんだろ?」 喰えよ、とミールのトレーを突き出す。 「甘ったれてんじゃねえよ! 飯ぐらい口で食え!」 トレーが顔にぶつけられた。オクタビオが犬を叱る。 犬はせせら笑った。 「この差はなんだい? なんで、このクソ犬には四六時中アクトーレスがついて、おれは三年もほったらかされてんだ?」 のぞき部屋のステージにはダブルベッドが置かれていた。 そこで毛布をかぶって寝ていろという。おれは視線を意識しないように毛布のなかにすべりこんだ。 ベルが鳴ると、すぐ共演の犬が入ってきた。三人いた。いずれも猿から進化したばかりといった、毛むくじゃらの大男だった。 (こいつらと――?) おれは何をさせられるのかと不安になった。 いきなり毛布が引き剥がされる。思わずちぢめた足をつかまれた。 「わッ――」 反対側の男が下着をつかみ、むしりとる。薄い布が音をたてて裂けた。 つき転がされ、ひっぱたかれ、押さえ込まれた。縄で腕を縛られる。 (何だこれは) 犬たちの手が荒々しい。本物の暴力だった。 本当にレイプされる――。 にわかに心臓がはげしく鳴った。 おれは悲鳴をあげ、足を舞わせた。かかとが男の顎に当たる。男がすっ飛び、鏡に打ち当たった。 あわててベッドから転げ、出口に体当たりする。 「出してくれ。こいつら変だ! こいつらちがう!」 だが、すぐキャミソールをつかまれ、引き戻された。ベッドに転がされる。荒っぽい手が尻から下着を引き下ろそうとした。 「放せ。いやだ――」 おれは足をバタつかせた。 男たちは笑い、ドイツ語で何か言った。ひとりがおれの咽喉もとをおさえ、大きく平手で張る。重い手のひらに打たれ、頭のなかが揺れた。 二度、三度打たれ、部屋がまわる。その間に足からするりと下着が抜き取られた。 「やめ――」 口のなかに布が詰め込まれる。足が開かれる。 笑いながら、男が跨った。股間にはたっぷりと白いクリームをぬりたくったペニスが突き立っていた。 (ヒ) 恐怖で一瞬、真っ白になった。のけぞり、意識をつかもうと足掻いた。 肛門が切れ、痛みが散る。だが、熱い肉塊はあっけなくからだを割って貫き、突き上げた。 おれは絶叫した。死にものぐるいで足掻いた。いくつかの手が押さえつける。 (グッ――) 腰のなかに重い槌がふりおろされる。男は容赦なくはらわたを打ちつけた。こわばった尻に荒々しくペニスが出入りする。 (いや、いやだ) おれ、が駆け足で逃げていこうとする。獰猛な恐怖がからだを乗っ取ろうとする。 だが、別の手が逃げるからだをつかんでいた。爪の先でかろうじて意識をとらえ、踏みとどまれ、とわめいていた。 無理だ。砕ける。花火のように飛び散ってしまう。 おれは泣き叫んだ。 黒い塊がおれを食っていた。頭蓋骨に牙をたて、バリバリ噛み砕いていた。闇の唇が脳を根こそぎ吸い上げていた。 腕が、からだが、食われていく。おれ、がからっぽになっていく。かわいた白い空洞になって、消えてしまう。 (もう、だめだ――) 一瞬、気をうしなったのだと思う。 いつのまにか、まわりの犬たちがクスクス笑っていた。腰のあたりが生暖かいもので濡れていた。 ペニスが勝手に小便を噴いている。 おれにかぶさっていた毛深い犬もなんともいえぬ顔をして、笑いをこらえていた。 「ボーイ」 傍らの大柄な犬が髭面を寄せ、片言の英語で、こわくない、とささやいた。 「これ、ショー。おれたち、怒ってない。パフォーマンス」 黒い目には哀れみがあった。 「こわくない。リラックス」 すぐにスピーカーから、ドイツ語の怒鳴り声が飛ぶ。犬はあわてて飛び下がった。カメラが頭上にあった。 毛深い犬がまた腰を揺すり始める。せわしなく腰を振ったが、ペニスはすこしずらされ、直腸の付近で出入りした。 肩をおさえる犬たちが、たのむように見ている。 目の前に、おれに乗っている犬の顔があった。 青い目は昂ぶりに光っていたが、敵意はなかった。毛深い腕には誰かの名前が彫ってあった。 不意に、なぜかこの男が港で働いていたような気がした。魚やなにか大荷物を動かし、日暮れには仲間とビールマグを掲げて笑っていた。そんな気がした。 おれの両脇にいる男たちも、服を着ていたら、だれかの夫であり、父親だった。スーツを着て、ネクタイを締め、休日を愉しみに働いていた、ふつうの男たちだった。 頭から分厚い熱気が去った。新しい風景にぼう然となっていた。 (――) 目から勝手に涙が出た。汚濁は彼らではなく、おれのほうにあった。それがかなしかった。 おもむろに傍らの犬がおれの胸にかぶさった。そっと乳首を舐める。母犬が生まれた仔を舐めるような、やさしい愛撫だった。 |
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