犬狩り  第3話


 闇のなかにテールランプがふたつ赤くが光っている。
 リッチーは地面をつかみ、起き上がろうとした。地面がせりあがって来るようにからだが重い。視界がさだまらない。

 車から人影があわただしく出てくる。背の高い男だった。男はいまいましげに毒づき、リッチーのそばにかがんだ。

「おい、きみ」

 答えようとして、リッチーはうすく口を開いた。

(あれ)

 青い目が心配そうに彼を見つめている。細面の顔。痩せた広い肩。
 リッチーはぼう然とした。

「レフ」

 だが、レフはいぶかしげに言った。

「ノー。レフじゃない。頭打ったか。ちくしょう――起きられるか。なんで裸なんだ」

 恋人の声ではなかった。ぼやけた視界はすぐに焦点をむすび、街灯の明りが別の男の輪郭をあらわした。

(ああ、くそ)

 リッチーは頭をふり、起き上がった。

「だいじょうぶだよ。車には当たってない。怪我はしてないよ」

「病院へ行こう。あとで訴えるのはナシだ。乗ってくれ」

 いいよ、と言いかけてリッチーは自分の窮状を思い出した。さりげなく膝をちぢめ、

「訴えないから、その、服があったら貸してもらえないかな。あとボストンまでのタクシー代と」

 男はリッチーを車に乗せた。

 どこかでサイレンが鳴っていた。発砲におどろいて、近所の住人が通報したのだろう。
 リッチーは痛む肘をさすった。

(マービンを連行してくれるかな)
 
 無駄だろう、とわかっている。警察がミッレペダの人間を捕捉できるはずがない。
 ニーヴスはヴィラ工作機関ミッレペダのデクリオン(十人隊隊長)だった。マービンもスタッフ。警官はすぐに無線で呼び戻されることになるだろう。

 リッチーは憮然と夜の町を見つめた。
 ぶっ殺す、と怒鳴ったマービンの後ろで、ニーヴスはゲラゲラ笑っていた。うすいブルーとグリーンの色違いの目に涙を浮かべ、腰が砕けるほど笑ったにちがいない。

(そうしたやつだ)

 サミュエル・ニーヴスに裏切られたのははじめてではなかった。
 ニーヴスは彼をおもちゃとしか見ていない。車に轢かれたとしても爆笑しただろう。
 リッチーは自分の愚かさがいまいましかった。

「スタントマンか」

 男が気さくに聞いた。リッチーは、そんなとこ、と受け流した。

「たいしたもんだな。ボンネットを飛び越えたろう」

「おぼえてないよ」

「なんで裸だったんだ」

「――間男」

 男は高く口笛を吹き、

「本当にいるんだな。素っ裸の間男。はじめて見た」

 ――ぜんぜん違うな。

 リッチーはケラケラ笑う男の横顔を見た。
 男はレフと似ていなかった。明るい声をした、屈託のないハンサムだった。髪の色も明るい。テニスやボートで鍛えたような、さわやかな厚い胸をしている。

(なんで見間違ったんだろう)

 あの一瞬、かなしいほど心がはずんだ。羽が生えたように、腕に飛び込みそうになった。

 意地っ張りのレフ。意地っ張りで頑固。長い不遇のせいか、どことなく哀れな野良犬に似ていた。
 野良犬は彼にやさしかった。やさしかった男が最後の日、泣くようにして怒鳴った。

『おまえはうそつきだ。奴隷商人だ。あの哀れな連中は、みんなおまえがさらってきたのか!』

 リッチーはうつろにその響きを聞いた。
 いつのまにか、鼻の奥がなさけなく湿っていた。借りたTシャツに熱いものが数滴したたった。

 どうしたのだろう、とリッチーは目をぬぐった。緊張がゆるんで、からだがおかしくなっているのだろうか。

「病院に行かないならさ」

 となりの男は明るく言った。「おれの部屋来いよ。手当てしてやるから。バックベイにホテルとってんだ。レノックスホテルって、知ってんだろ」

 声音に下心が透けていた。目に好色な笑いがきざしている。

「行かない」

 リッチーはすすりあげ、つっけんどんに言った。

「おれ、ホモきらい」




 ボストンの新興地域バックベイに、グラス・ビルと呼ばれるガラス張りのきらびやかなビルがあった。

 ビルにはからくりがある。警備会社が入っていたが、スタッフはどのエレベーターを使っても五階より上へ上がることが出来なかった。

 特別な入り口があり、その入り口に入る前に生体認証を求められた。秘密に属する者しか、上へ上がることはできない。
 ミッレペダ第五ケントゥリア――通称ボストン支局の基地はここにあった。

「C型肝炎、現在通院中! よく調べたのかよ、くそったれが」

 リッチーがフロアに上がると、犬狩り班の若いスタッフが、床に書類を叩きつけていた。パーテーションを蹴りつけ、

「てめえら、こっちは遊びでやってんじゃねえんだぞ」

 まあまあ、と調査班のオプティオ(副官)が彼らをいなしている。リッチーはその傍らをすり抜け、そっと自分のオフィスへ入った。
 同僚がすぐについて入ってきた。

「コリン、あれなんとかしてやれよ」

 ええ? と笑い、リッチーはコーヒーをデスクに置いた。

「なんでおれが。やだよ」

「腹たつじゃねえかよ。犬狩りの連中、ガアガア言いやがって。調査は神様じゃねえんだ。向こうはミスしねえのかよ」

「でも、狩った犬が肝炎じゃ、怒るの当たり前だよ」

 調査班は、捕獲前の犬について調べあげるセクションである。
 ひとりの人物が『犬』候補としてあげられると、まず調査班が徹底的に前歴を洗う。警察や暴力組織を手足と使い、三親等にいたるまで調べあげる。係累にヴィラ会員がないなど、諸条件をクリアした場合、はじめて『犬狩り班』が突撃をかけ、ターゲットをさらう。

 条件のうち健康体であることは最も重要だった。重篤な感染症がある者は商品にできないのである。

「おまえ、行ってやれよ。コリン」

「なんでおれなのさ」

「おまえなら、やつら怒れないじゃないか。元犬狩りだし。一時はやつらの上役だったんだし」

 一瞬ね、とリッチーは笑い、ランプの点滅している電話をとった。

「おれなんかダメだよ。落ちこぼれだ。――」

 メッセージのボタンを押す。メッセージを聞き、リッチーは立ち上がった。

「悪い。デクリオン(隊長)に呼ばれてる」

 上着をとって、オフィスを出て行く。フロアではまだ、犬狩りの若造がいきまいていた。その傍をすり抜けていく。

 なんのためにニーヴスに呼ばれたのか、わからなかった。
 いやな気がした。

(昨日のことじゃないだろうな)

 ニーヴスは時に公私をわきまえない。過去に執務室で抱かれたこともある。からかうつもりかもしれない。
 リッチーはためらった。冷静でいられるだろうか。

(オフィスでデクリオンを殴りたくない。戻ろうか)

「コリンが来ました」

 秘書がリッチーを見て、内線で知らせる。
 しかたなく、上着に袖を通し、眼鏡をかけると、リッチーはデクリオン・オフィスのドアを開けた。

「失礼します」

 部屋には先客がいた。ニーヴスが紹介するより先に、

「わおう、リッチー!」

 陽気な声がなれなれしく呼ぶ。リッチーはぽかんと口を開いた。

「あんた、なんで」

「昨日、うまいこと言って逃げられちゃったからさ」

 金髪の背の高い男が立ち上がり、長い腕をひろげる。

「ダンテ・ブルーノ。ワシントンの『五十番』から来た。今日からおれがきみのボスだ」

 昨日、彼を車で跳ねそうになった男が、うれしそうに笑みくずれ、抱きついてきた。



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