犬狩り  第4話


 ミッレペダはヴィラの工作機関である。犬の捕獲から、不正会員の制裁まで実際に手を下すのは彼らであった。

 だが、犯罪捜査を専門としているわけではない。
 犬の犯罪がからむと、主人は警察に訴えるわけにもいかず、ヴィラに泣きついてくる。
 そうした時、北アメリカでは『五十番』が呼ばれた。

 『五十番』とは、ワシントンDCの第一ケントゥリアにのみ存在する捜査専門のデクリアで、捜査員はほぼ現職のFBI捜査官で構成されていた。

(ボストン出張バンザイ!)

 ダンテは助手席で小躍りしそうになった。
 道路には並木がすずやかな木漏れ日を落としている。七月、緑深いニューイングランドは美しかった。夏の枝からは噴き出すように緑があふれ、陽に輝いていた。
 運転席に目をやると、また美しいものがある。

(なんて長い睫毛だ。ダテ眼鏡なんかかけちゃって。お堅く見せようったって、まるで無理だ。あの唇。キスして、って言っているようなもんじゃないか)

 リッチーは信号を待ちながら、

「どうして昨日、言ってくれなかったんです。おれだってわかったんでしょ」

「わかんなかった」

 ダンテは素直に答えた。「今朝ここに来て気づいたんだ。ラッキー。運命だね。リッチー」

「コリンです」

「リッチーでいいじゃないか」

「コリンって呼んでください。あの時間、アーリントンなんかで何してたんですか」

「きみと同じさ」

「?」

「間男」

 クソ、と毒づき、リッチーがはじめて笑った。笑うと眉が下がり、とたんにひとなつこい顔になる。

「みんなには言わないでくださいよ」

「すっぱだかで街中をうろついてたことをか。どうしようかなあ」

「ダメ。あそこに関係者がいるんです」

「なに?」

「相手はチームメイトなんです」

 ダンテはうなった。

「ホモなんか嫌いとか言っておいて」

「すみません」

「相手はどこの馬の骨だ」

「馬の骨って」

 リッチーは吹き出した。「デクリオンです。さっき会ったでしょ」

「サミュエル・ニーヴスか」

 ダンテは両目の色が微妙に違う異相の男を思い、鼻にしわをよせた。「――やめとけ」

「知ってるんですか。彼を」

「さっき知った」

 ダンテは言った。

「女に殺されるようなやつさ。甘ったれた、他人のエネルギーを吸い取って生きるタイプの人間。愛情なんかもってない。吸血鬼だ。坊や。プロの見立てだ。あれはやめとけ」

「どれならいいんですか」

「おれだな」

 ハハ、とリッチーは力なく笑った。

「おれはいい男だぜ。太陽みたいに愛情いっぱいだ。焼きたてのパンケーキみたいにあったかい。スタミナも抜群。めくるめく体験が今なら無料。ぜひ一度おためしを」

「仕事の話をしましょう」

 ダンテはだまって、リッチーの説明を聞いた。




 三人のヴィラ会員が私的な紳士クラブを作った。
 狩猟を愉しむスポーツマンのクラブだったが、やがて、ひとりが面白い趣向を思いついた。

 鹿の代わりに手飼いの若者『犬』を放つ。犬はおびえて死にものぐるいで逃げた。
 その姿に、彼らは思いがけぬ激しい性的興奮をおぼえた。中年になってついぞない魔の昂ぶりに、彼らは夢中になった。

 はじめは銃声で脅すだけであったが、やがて飽き足らなくなり、『犬』を撃ち殺しはじめる。
 猟のたびに新しい若者を買い入れては、饗宴の犠牲にした。過去三年の間に数十人の若者が殺されている。

 この猟園で、ついに主人が殺される事件が起きた。

「死体は全裸に剥かれていて、犯人の指紋も繊維も採取できていません。残されていたのは、銃弾と『イスマエル』のメッセージだけです。それと、三ヶ月前、主人のジェフリー・プレスコットのもとに『イスマエル』から殺人予告状が届いています」

 イスマエルはヴィラの犬である。ヴィラの犬が主人を害するとなれば、ヴィラで制裁しなければならない。

「でも、もう死んでいるんですよ。あの犬は」

 リッチーは不服そうに言った。

「それは絶対たしかなんです。ミッレペダで殺処分にしたので間違いないんです。わたしも見届けています」

 ダンテはおどろいた。

「そうなの?」

「ええ。二年前、ちょうどこっちに赴任してきたばかりの頃、あの犬の事件が起きたんです。わたしは犬狩り班にいたので、あの犬の捕獲、処分に立会いました」

 それさ、とダンテは聞いた。

「イスマエルはなぜ処分されたんだ」

 ヴィラへの敵対行為、とリッチーは言った。

「あの犬はゲームの時、猟園から逃げ、逃亡中に、フリーのジャーナリストに接触していました。猟園やヴィラの顧客名が暴露されていたことがわかったので、殺処分が決まったんです」

「薬殺か」

「そうです」

「あとでむっくり復活したなんてことはないよな」

「火葬されて骨になってしまいましたからねえ」

 ダンテはそっと苦笑した。かわいい口から出てくる言葉は、さむざむしいほど感傷がない。

(元犬狩りのエースだっけな)

 ダンテは助手席で長いからだを伸ばし、

「つまり、イスマエルは関係ない。犬の名を騙って、アルベール・セリエを殺したやつがいるわけだ」

 そうなんですよ、とリッチーが言った。

「だから、よくわからないんです。――なぜ、ヴィラがこの件を扱うのか」

「え?」

「だって、ヴィラの犬の仕業ではないのに、なぜ、われわれが犯人を見つけてやらなきゃならないんですか」

 ダンテは目をしばたいた。ヴィラの犬がからまなければ、私的なトラブルである。ヴィラに介入の理由はなかった。

「イスマエルではない、とは限らない」

「でも」

「幽霊かもしれないじゃない!」

 リッチーが眉をひそめて見返すと、ダンテは笑った。

「そんな、来たばっかりなのに追い返すなよ」

「べつに」

「伝説のウェイター・リッチーに会うのを楽しみにしてきたんだぜ。この件、ワシントンで争奪戦だったんだ。ボストンに行きゃ、リッチー・キャットに会えるって。きみをマンガ家野郎の代わりに幸せにしてやらにゃならんと、はりきってやってきたんだ」

 リッチーは答えない。不快そうであった。

 ダンテは真面目な顔をつくり、

「つまり、よくわからなくても、上の命令だからさ」

 と言った。

「上はこの件、けっこうナーバスになってんだよ。なにか不安要素があるらしい。イスマエルであろうと、なかろうと、こっちで事情を把握しておけって命令なんだ」

 それにさ、とうかがい見る。

「あとふたりの人間が殺されるかもしれないんだぜ。放っておくなんて胸が痛まない? おまわりさんにも頼めないんだよ。そっちも忙しいだろうけどさ――」

 おれはいいですけど、とリッチーは口篭もった。

「よし! じゃ、犯人は誰だろうな!」

 すかさずダンテが大声を出す。「――イスマエルのお父っつあんか。息子のカタキ討ち!」

「父親は早くに亡くなってますよ」

 リッチーは言った。「母親がケベックにいますが、国境を越えて復讐にきた気配はないですね。二日に一度、透析を受けているんです。殺し屋を雇うゆとりはありません」

 兄弟もいません、と言った。

「じゃ、親友だ。犬同士で彼と割りない仲になってたやつがいるかもしれん」

 犬仲間は全員死んだのか、とたずねる。

「最後のゲームの犬は四人残っています。このうち、ビンゴという犬だけはプレスコット氏の飼い犬で、イスマエルと長くいっしょにいたようですね」

「ビンゴォ! 犯人はそいつだな」

「そういいたいところですが、ゲーム中は後ろ手錠だったそうです。後ろ手で銃を扱うのはわたしでも難しいですね。それに犬たちの手からも手錠からも火薬痕が出なかったんですよ」

 犬たちが銃をあつかった形跡はない。ほかに園内の建物に使用人が五人、客がふたりいた。

「客ふたり?」

「主人らの付き人です。死んだセリエ氏の秘書と、もうひとりの主人、モンタン氏の甥ッ子。このふたりは同じ部屋にいて、五人の使用人もまた一堂に会していたそうです。つまり、全員アリバイあり」

 ダンテはため息をついた。

「迷宮入りだな」

「もうですか!」

「きみはどう思う」

 なんでおれに聞くの、とリッチーは笑った。

「おれより賢そうだ。きみについていくよ」

「五十番デクリアから切り札がやってきたんだと思ったけど」

 ダンテは首をふった。

「どこでもそう言われる。五十番デクリア! 現れるやたちどころに事件解決。便秘が治ったみたいにすっきり晴ればれ。三十人全員がシャーロック・ホームズ? とんでもない。三十人全員ワトソンくんだ。みんなウロウロ。事件が起こると、州警察に相談してはじめて、ああ、そうか、とわかるんだ」

「――」

「たすけてくれたまえ」

「――まいっちゃうな」

 リッチーは鼻息をつき、

「とりあえず、警察に聞きましょうか」

 車はアシュベリー市警察署の駐車場に入った。




「初期捜査を指揮したバラスコ部長刑事」

 リッチーががっしりした頑丈そうな中年男を紹介した。実戦で鍛えられた見事な肩に、短い首が埋まっている。ダンテは警戒して手を差し出したが、握手はそっけなかった。

 部長刑事は不機嫌だった。薄茶の小さな目はとげとげしく光り、あきらかにヴィラの訪問を迷惑がっていた。

「とくに新しい事実なんてありませんよ」

 バラスコは憮然と言った。
 リッチーが伝えたこと以外に新しい証拠はない。銃弾は45ACP。現場には薬莢すら残さない冷静な犯行であったことをつけ加えた。

「証拠品も検死書類も一切合財、そっちに送りますよ。あとはよろしく」

 あの猟園には部下を立ち入らせたくない、自分もかかわりたくない、と言う。
 ダンテは出されたコーヒーをとりつつ、

「そんなに危険なのですか」

「ばかばかしいからですよ」

 バラスコは薄茶の目をけわしくした。「あの猟園には少なく見積もって三十かそこらの死体があるはずです。そのうちの一体のためだけに働けってんですからね。あと二体血を吹いてる死体がころがっているのに。こういう理不尽な仕事させると、部下の士気にかかわるんです」

 いくらヴィラの意向でも、とリッチーを睨む。リッチーはあさってを向いて、聞き流していた。

「まあ、そうですが、放っておけば、さらに二つ死体が増えるかもしれませんから」

「あんなクソ野郎どもは死ぬべきです」

 ダンテは微笑んだ。刑事は真面目な男らしい。猟園について多く知っているようだった。

「バラスコ部長刑事。この件についてアシュベリー市警察に協力を依頼したいのですが」

「これっきりにしてもらいたい」

 刑事はにべもなく言った。「上の命令だから、こうして会っているが、本当はヴィラにもかかわりたくない。あんたがたもクソ野郎だ」

「タダとは言いませんって」

「収賄はせん」

「司法取引。こいつの居場所を教えましょう」

 と、壁に貼ってある連続婦女暴行犯の手配写真を示した。

「警察も情報屋から情報を買うでしょ。――市民の安全のために」

 ダンテは手土産に持ってきた暴行犯の情報を刑事に教えた。刑事はつまらなそうにそれを聞いていたが、ふたりが出る時、

「猟園の犯人は中にいた人間だろうね」

 と言った。

「え?」

「現場に余分な足跡がなかった。外から侵入した形跡はないですよ」



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