犬狩り 第6話 |
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ボストンから二時間半、ニューハンプシャーの湖水地方を抜け、緑の深い土地に入る。 アシュベリーと呼ばれる場所は、土地の起伏の関係でしっとりと霧に覆われることが多い。 冷涼な気候と湿気がゆたかに樹木を育て、秋にはあざやかな紅葉の景色を見せる。 この山中にひっそりと人狩りの猟園が隠れていた。 「ここです」 リッチーは山道に忽然と現れた鉄のゲートの前で車を止めた。インターホンごしのやりとりの後、門がしずしずと開く。 「セキュリティは猟園内に入らないそうです」 門衛のロッジの前を抜けながら、リッチーが教えた。 「観光客が入らないように、何人か雇ってパトロールしているようですが、中で行われているゲームについては知らせていないんだそうです」 門を越えてさらに数マイル走ると、金属のフェンスに囲われたエリアに入る。やがて緑の中に、小さなクリーム色の館が姿をあらわすと、ダンテは口笛を吹いた。 「これはまた――貴婦人でも出てきそうな」 館のまわりだけ小さな公園のようだった。 建物の正面に涼やかな噴水がきらめき、それを長腕で囲むように外階段がとりまく。外階段は伸び上がり、建物の二階中央に開けられた玄関に続いていた。 主要階は二階であった。 リッチーは階段の傍に車をすべり込ませた。 「あれがゲーム・キーパーです」 二階の玄関前には、すでに長身の男が出迎えていた。 ダンテは顔を上げ、一瞬、目をすがめた。 「白馬の騎士、というか白馬そのものだな」 シッ、とリッチーがたしなめる。ふたりはぐるりと外階段をのぼり、男に対面した。リッチーがさきに進み出て、 「ボンダールさん。また失礼します。こちらはミスター・ブルーノ。専門チームから派遣された捜査員です」 ダンテには、 「こちらはゲーム・キーパー(狩場番人)のボンダール氏」 と紹介した。 男は長い顔をほころばせて、手を差し出した。顔が引き伸ばしたように長く、目が離れ気味で、ひどく馬に似ている。 やさしそうな顔つきではあったが、ダンテは握手しながら、人物に不潔感を感じた。堅気の人間ではない。 「ゲーム・キーパー(狩場番人)というのは?」 「この猟園の管理人です」 その骨相から想像できるとおり、声は鼻にかかっていた。 「この館の管理から、ゲームの工夫まで、なんでもやります」 「犬の手配もあなたが」 「そうです」 彼はなかへ招きいれた。ふたりは荘重な吹き抜けの広間をぬけ、こざっぱりした応接室に通された。 フランス窓がひらき、モス・グリーンの壁が明るい。バルコニーのむこうにふくよかな森が広がっている。 この森が猟場であった。 ダンテはバルコニーに立ち、そこから容易に外に降りられることに気づいた。バルコニーは先にあがってきた外階段につながっている。 「プレスコット氏から聞いています。犬たちをごらんになりたいのでしたね」 飲み物をもてなした後、馬面の狩番は口を切った。 「最初に言っておきますが、こちらで使用している犬はほとんどネモで仕入れたものです」 ネモ・ネットワークという人身売買網がある。複数国家の暴力組織が編み上げた人身売買市場で、途上国の路上から若い女や子どもをさらってきては、売買していた。 近年、男も扱うようになり、ヴィラの市場に食い込んできている。 「質はそれほどよくありませんが、なにより安いですからね。ヴィラではどんな駄犬でも数百万ドルはしますから。――最後のゲームはああいうことになったので、四匹は生き残っています。うち、ビンゴはここにおりません。あれはプレスコットさま手飼いの犬で、ヴィラの犬です。いまはヴィラで療養しています」 ダンテは眉をひそめた。 「ビンゴはどうかしたのですか?」 狩番が、ホホと笑い、 「少しおかしくなったのです。殺されかけたんですから」 その時、戸口に大男がのっそりと立った。 「ボンダールさん。犬のほうの用意が整いました」 行きましょう、と狩番は立ち上がった。 館の一階は生活の場となっている。 キッチンや洗濯室、使用人ホールなどがあり、使用人たちはここで起居している。 犬の部屋もおなじ一階にあった。 その一間は、動物園と似ていた。大きな部屋を鉄の柵が枡に区切っている。そのひとつひとつに、哀れな男たちがうずくまっていた。 ダンテはひそかに皮膚が粟立つのを感じた。 どの顔も肉を削いだように痩せ、幽鬼のようにやつれはてている。目だけはなまなましく光り、死にたくない、と強く訴えていた。 「痩せますよ。あのゲームから十日近く、ここにいるわけですから」 狩番はこともなげに言った。 「たいがいゲームの前日に連れてくるんです。ここで長居させてもいいことは何もない。気に病んで痩せるばっかりで、使いものにならないんです」 家畜が肥らないと悩む牧場主のような口ぶりだった。赤毛の若い男をしめし、 「彼が当日、プレスコット氏のお相手をした子ですよ」 と教えた。 ダンテは目の前の格子ごしに赤毛の男を見た。やつれ、赤い不精髭に覆われていたが、きれいな顔だちをしている。まだ若い。 「あの日のことを話してくれ」 「出してくれ」 男はよろよろと格子に近づいた。青い目にみるみる涙がもりあがった。 「ここから出して! 殺さないでくれ」 ダンテは飛びのきかけた。ダンテの手首を男の冷たい手がつかんでいた。必死な、痛いほどの強さだった。 「質問に答えるんだ」 何度かうながすと、男はしゃくりあげながら話した。 「朝、庭に集められて。死にたくなきゃ走れって言われた。なんだかわからないうちに、やつら銃をぶっぱなして、男の子が殺された。おれは逃げた。おれはずっとひとりの男に追っかけられてた。そいつは威嚇して何度か撃った。おれはビビっちまって、足がもう動かなくなって、倒れて――そいつがレイプしてきた」 濡れた顔がゆがみ、彼は顔を被った。はげしく嗚咽し、 「こわ、くて、動けなかった。みんな、死んで。おれも、殺される、と思った」 「みんな?」 ダンテが聞き返す。「死んだのは、ふたりだけだろう」 「銃声が、鳴ってた! パンパンって。――それで、おれもう死ぬんだ、とおもって。気づいたら、もうひとり、太った男が来て、誰かが死んだってわめいてて、ふたりで、どっかに行った」 その後は恐怖の繰言ばかりだった。 「ゲームの最初から狙われていたのか」 うなずく。 ダンテはひそかに落胆した。 「――きみはあのゲームのどれほど前から来たんだ?」 「前の日」 「ほかの連中もいっしょか」 「……うん……」 間違いありませんよ、と狩番が口をはさんだ。 ほかのふたりもほとんど恐慌状態に近かった。セリエ殺しを見たという証言は得られなかった。 上へ戻ると、ダンテは狩番に「犬の納品記録」があるかたずねた。 「あの連中が本当に前日に来たのか知りたいんです」 「お持ちしましょう」 「あと、現場を見せてください」 狩番が去ると、彼は大きく息をついた。リッチーが横目で見て、クスリとわらう。 「何がおかしい」 「こわい顔してます」 「当たり前だ。あの馬面、半分に折り曲げてやりたいぜ」 「でも、おれたちのやってることってこういうことですよ」 リッチーはけろりとしていた。今の凄惨な光景にも心を動かした様子はない。 (犬狩りめ) ダンテはさすがに少しいやな気がした。 狩番が戻り、ファイルを一冊手渡すと、 「今現場にご案内しますが、あの犬たちはあとどれぐらいお入用ですか」 「は?」 「――そう必要でないなら、そろそろ」 「どうするんです」 「臓器屋に売ります。生かして帰すわけにもいきませんので」 ダンテはその顔をじっと見返した。 「それはまずいですな。彼らの証言だけが手がかりなんです。いや、生かしておいたほうがよろしい。ご主人がたのためにも」 「しかし」 「調べの途中です。したがってください」 では、と狩番は指示するために引き下がった。 ダンテは身震いし、ファイルを開いた。 (あれもなんとかしてやらにゃ) ファイルにはていねいに犬の名とデータ、納品日とゲーム日が記されていた。最後の欄は廃棄日となっている。 ダンテは胸が落ちるのを感じた。 「こんな子どもを殺したのか。ペドロ・リーリョ、十八歳、ホイユン・ジン、十七歳、ステファン・クラーメル、十九――」 ゲームは三年にわたり、ほぼ80人の犠牲者が名を連ねていた。命の値段は五万ドル前後。ベンツより安かった。 「コピーしますか」 「した」とダンテはこめかみを指差した。 「ネモのディーラーと照合して、間違いなかったら、あのみじめな連中はシロだ。来ていきなり、敵を返り討ちにしたあげく、木にイスマエルとも書けまいからな」 「そうですね」 「それが証明されたら、プレスコットもシロ。ゲームの最初からおっかけっこしてたなら、セリエを殺すヒマはない」 リッチーが聞いた。 「で、どうするんです? あの犬たち」 「え?」 「飼わせておいてどうするんですか」 「どうって、かわいいだろ」 リッチーの目は笑っていない。 「情にほだされたんですか? あれは会員の所有物です。不正に脅し取ったりするなら――」 まさか、とダンテは手を振った。 「事件の重要参考人として、確保してるだけだ」 「あなたがおかしな行動をとるなら監査に報告します」 ダンテはわかった、わかった、と笑い、 「リッチーに迷惑はかけないよ。仔猫ちゃん、まじめだなあ。そんなギャップも素敵だ」 リッチーはにこりともせず言った。 「ブルーノさん。口はばったいこと言いますが、われわれの仕事は不正が容易です。誘惑も多い。でも、かならず見つかるんです。いちいち情にほだされるようなら、辞めたほうがいい。あなたが制裁されることになりますよ」 ダンテは鼻白み、現場をみよう、と外へうながした。 |
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