犬狩り  第8話


 リッチーはダンテを車から蹴り出し、ひとりボストンに戻った。
 翌日もふてくされてダンテを迎えに行かなかった。オフィスで事務仕事をして、呼び出し電話も無視していた。

 ついにダンテ本人が来た。デスクの上にドーナツの箱を山と積み上げ、コーヒーを置く。

「食べない? ここのスゴクうまいよ」

 リッチーは作業を続け、答えない。
 ダンテは所在なげに見回し、郵便をいじった。

「ブラジルからだ。郵便なんか使うんだね。傍受よけ?」

 リッチーはその手から郵便をとりあげ、またキーボードを叩いた。
 ダンテがためいきをつく。

「ごめんって」

「出て」

 リッチーはふりむきもせず言った。「あなたの助手には、別のスタッフをまわします。ここは部外者立ち入り禁止です。出て下さい」

「ちょ、ちょっと待て」

 ダンテがあやまった。

「きみじゃなきゃ困る。二度と失礼なことはしないから」

 しばらくかき口説いていたが、リッチーは電話をとって同僚と話し、相手にしなかった。
 ダンテはやがて立ち去った。

(交替なんかできない)

 リッチーは置かれたドーナツの箱を見やった。

(それに、べつにムキになるほどのことじゃない)

 ダンテは無礼だったが、これぐらいのことは彼の人生にはしょっちゅうあった。笑ってすませてもかまわない程度のことである。
 だが、何かみじめな気がした。軽んじられたということが、いつになく悔しかった。

(ニーヴスのせいだ)

 リッチーの胸に暗いものが座っていた。ニーヴスに浮気されたことがこたえている。それを認めるのはくやしかった。

 置かれたドーナツの箱に手をのばしかけた時、同僚がオフィスに呼びに来た。

「コリン。窓の外見てみろ。あのFBI、なんかやってるぞ」

 窓にひとだかりがしている。

「ありゃ、小麦粉かね」

 リッチーが窓の外を見ると、はるか下の車道にダンテがいた。どこから持ち出したのか、白い粉の袋をかついでアスファルトの上に線を引いている。メッセージを描いていた。

(あのバカ)

 リッチーはあわて、上着をつかんで駆け出した。メッセージには、

 ――リッチー。ごめん。もうしません。

 とあった。
 



 運転しながら、リッチーはまだふくれている。
 だが、ダンテはとなりでラジオのように浮かれてしゃべっていた。

「まいったぜ、昨日は。車はけっこう通ったけど、誰も乗せてくれなくてさ。十マイルぐらい歩いた。リッチーに叱られて、とぼとぼ十マイル。歴史でこういうことあったよな。名犬ラッシー?」

 リッチーの口もとがヒクついた。すぐ唇を結んだが、頬がこわばっている。

(笑った)

 ダンテは得たりとほくそ笑んだ。

「それでさ。とぼとぼ歩きながら、明日はどうするか考えたんだ。ここは一発逆転、おれが殺人事件を解決する。レストランでお祝いの乾杯。きみはおれのあざやかな推理にうっとりする。ワインの酔いも手伝い、いいムードになったところで、ズキューン。いきなりの銃声。リッチーが見ると、倒れている名探偵。ああ、なんてこと。もっと親切にしておけばよかった。泣きながらすがるリッチー。しかし、そこで目をぱっちりあけるおれ。奇跡の復活に、意地を忘れて抱きつくリッチー。流れるボディガードのテーマ、エンダアアー♪」

「ばか」

 リッチーははっきりと吹きだした。ハンドルにしがみつき、笑いこけてしまった。
 ダンテは目尻を下げて見つめた。
 笑顔が可愛い。きまじめさが消え、イタズラざかりの仔猫のようにあどけなくなってしまう。
 リッチーは目に涙をためて笑いつつ、

「こんな風に口説かれたのはじめてだよ。あんた、コメディアン?」

「恋する男はみんなピエロだ。好きだよ。リッチー」

「もう、勘弁してください」

「許してくれる?」

 しかし、結局リッチーは笑ってゆるした。

「はやく解決して帰って。あんたといると調子狂うよ」

 猟園に着くと、クリーム色の館の奥に、無骨なヘリコプターが座っていた。

「あれは?」

 ダンテの問いに面長の狩番は、

「プレスコットさまのご子息さま、トリスタンさまがおいでなのです」

「よく来るの?」

 いいえ、と狩番は困惑気味に微笑んだ。

「来るのは二度目です。なぜ来たのか、わたしにもわかりません」

 ふたりは昨日の応接間に通された。狩番が去るとすぐに応接間のドアが乱暴に開いた。
 ダンプカーが立ったようないかつい人物が、にぶい目でふたりを睥睨した。ぼそっと低い声で、

「話があるんだって?」

 と言った。
 ダンテはたじろいだ。その人物はサムソンのような肩をしていたが、スカートをはいていた。

「奥様は?」

「マリア・カルボ。ここのコックだよ」
 


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