犬狩り  第9話

 マダム・カルボは古代の武将のようにいかめしく、無口だった。厚い肉の間からにぶい眼を据えて、じっと考えこんでいる。
 忘れたころに、

「ああ」

 とか、

「そうだね」

 と、低く答えた。

(だいたいこれは女だろうか)

 ダンテは一度ならず思った。うすい唇の上には髭があった。声もバリトンといっていいほど低い。
 ただ、ぜい肉にうまっているのでなければ、咽喉仏はみあたらなかった。

「なぜ、ここでお仕事を」

 女コックはむっつりと黙り込んだ。無視しているのか、と思った頃、

「金」

 と言った。
 いくつか身の上について聞いても、長考の末出てくるのは、薄笑いか、さあ、という愛想のない答えだった。

 事件当日のアリバイについても、ランチの支度をしていたことは答えたが、使用人ホールで何をしていたか、当日のメニューは何だったのか、といった細かいことは、おぼえていない、と言った。

 本当に魯鈍なのか、そう装っているのか、ダンテは決めかねた。

「マダム。五月四日、幽霊をごらんになったというお話ですが、何時ぐらいでしたか」

 にぶい眼がじっと動かなくなる。ダンテが問い直そうとした時、

「忘れた」

 と答えが返ってきた。

「幽霊はどのような感じだったでしょう」

 さらに一分が過ぎた時、女コックは言った。

「わからない」

 あの、とダンテはこまった。

「あれは幽霊じゃないとおもう」

 女がはじめて少し言い訳した。「物盗りでもない。誰もなにも盗られてないから。野犬かなにかの見間違いだね。ここらにゃ、野犬が多い」

 その後は、ほとんど具体的な話は何もしなかった。ダンテはあきらめ、森番に代わってくれるよう、たのんだ。
 



「お呼びだそうで」

 大女といれかわりに、小型のサンタクロースがちょこちょこ入ってきた。

 白髭に鼻メガネ。レッドソックスの野球帽の下の茶色い目は子どものようにひとなつこい。森番の『じいさん』である。

「あの事件の日な。おいら鼻風邪ひいちまってよ。お館の一階ホールでうたた寝してたのさ。ありゃクスリのせいだな。――目が醒めたら、みんなが騒いでて、蚊帳の外だ。ちっともわかんねえんだよ。――え? 幽霊の話かい。それ先に言ってくれよ」

 森番のじいさんは、女コックをおぎなってあまりあるほどににぎやかだった。
 インタビューがうれしいのか、椅子の上でもすこしもじっとしていない。小柄なからだをせわしなく動かして、しゃがれ声を撒き散らす。

「マリアがジャムがいるってんで、おいらの家にいっしょに行こうとした時のことよ。おいらの家に行く手前の道が坂になっていてな」

 あの、と言った。

「見たほうが早いと思うんだが、どうだ。うちへ来ないかい。手作りハムをご馳走するぜ」

 ダンテも女コックとの問答に疲れていた。狩番にことわり、森のはずれにある番小屋まで歩くことにした。

 外はカエデの緑がさわやかだった。木々の間にタイヤの後の残る坂道がつたっている。じいさんは歩く間もしゃべりつづけ、

「へへ。マリアと話したのかい。うすバカに見えんだろう。どっこい、あれでコルドン・ブルーの免状もってんだぜ」

「女性ですよね」

 サンタクロースはぎゃはは、と笑った。

「女だよ。おっかねえが、金玉はねえって。でも、おいら、あのコはレズビアンじゃねえかとおもってるよ」

「どうしてそう思うんです」

「おいらのセックスアピールに気づいてないからねえ」

 ぎゃはは、と笑う。
 ダンテとリッチーは目を見合わせた。

 よくしゃべる男だった。聞かれもせぬのに、自分の推理を語って聞かせ、また仲間のゴシップにも触れた。

「ビル――あのでかいやつは、海兵隊あがりでよ。チャーリーって黒人のコとつるんでやがんのよ。やつらムショにいた頃からの仲良しさ。そうそう、おいらたちゃ、ムショからのつきあいでよ。ビルは警官殴ってパクられ、おいらは小切手の宛名書き換えてパクられ、チャーリーはコロンビアの麻薬カルテルにかかわってるが、一応窃盗ってことになってる――司法取引でな。素敵な面々だろ」

 狩番のボンダールには前科はない、と言った。

「元は建築士だか設計士だよ。ラスベガスでカジノ作ってたって話さ。こんな遊園地、設計しちゃって、最近は素人のほうが怖いね」

 合槌をうたなくても、ひとりで機嫌よくしゃべった。
 出所して、路頭に迷っていた時、かつての服役仲間に声をかけられ、この仕事にありついたという。

 この猟園での彼の仕事は、森の世話と墓堀りだった。

「ビルの野郎に騙されたぜ。ただの森番だなんていいやがって。おいら物騒なことは大嫌いだよ」

「あんたも犬の世話をするんですか」

「とんでもねえ。死んでいくやつの顔なんか見れねえって。墓掘る時だって足しか見ねえよ」

 でも、客が多いときゃ、死体も多くて参るぜ、とこぼした。

「客?」

 ダンテがたずねた。

「三人以外にも加わっている人がいるんですか」

「飛び入りゲストがあるんだよ」

 小型のサンタはぎょろりと目をあげた。

「べらぼうな参加費払っても、人殺しをやってみたいって悪党がいるのさ。十人ぐらい来た時もあるよ」

「いくらぐらい払うんです?」

「ひとり百万ドルだ」

 十人で一千万ドル。不穏な金額である。ダンテは生臭いにおいを嗅いだ気がした。

「おっと、そこよ」

 唐突にじいさんが坂の上を指した。
 そこだけ急坂がのぼっており、頂上が舞台のように平らになっている。青空の下にじいさんの番小屋らしきログハウスの屋根があった。
 人影は坂の上から見下ろしていたのだという。

「マリアが不意に立ち止まってよ。見たら、人影が立ってるじゃねえか」

 ほんでもってよ、と唾を飛ばす。

「消えたんだよ。誰だって追いかけてったら、もういなかったのさ」

 ありゃイスマエルの幽霊にちがいねえ、と身震いした。
 ダンテは坂の上に立ち、あたりを見渡した。道の両側にまばらに木がそびえ、少し離れたところにログハウスが立っている。

(暗闇であれば、林にひそむのは難しくない)

 幽霊は生きている人間であろう、とおもった。

 ところで、とダンテは聞いた。

「イスマエルの顔はご存知なんですか」

「いんや」

 じいさんはあっさり言った。「おいら、死骸の顔は見ないもの。顔は暗くてよくわかんなかったさ」

「じゃ、なんでイスマエルだと」

「だって、あの後あんな事件が起こったじゃねえか。やつが来たんだよ。これからやるぜって」

 後知恵らしい。ダンテは気抜けして、相棒を見やった。
 リッチーは道の一点をじっと凝視している。

「リッチー?」

「あれは誰です?」

 じいさんもふりむく。山道をひとりの男が歩いている。いましも木々の間に消えていこうとしていた。

「あれはビル……じゃ、ねえな? だれだ?」

 リッチーはものも言わず、そちらに向かった。



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