犬狩り 第10話 |
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木々の間をひとりの男が歩いていた。 若い男だった。砂色の髪に時折、木漏れ日が明るくきらめいた。 「すみません」 リッチーが呼び止めても、男はふりかえらない。 「待ってください。ここで何をなさっているんですか。あなたは?」 男はリッチーに一瞬、目を向けた。が、答えず、そのまま黙って歩いた。 リッチーは口をとじ、いっしょに歩いた。 たがいに何も言わない。緑のざわめきを聞き、土を踏み、額に水晶のような光を受けて、黙って歩く。 (だれだろう?) リッチーは男を見たことがあるような気がした。 澄んだ横顔だった。アイス・ブルーの目はしずかだが、冷たくはない。まなざしがやわらかい。無心のようにも見え、なにか憂悶にひたるようにも見えた。 突如、森がひらけた。 「見なさい」 男は立ち止まり、はじめて口をきいた。 そこは陽のあたる畑となっていた。はだかの土には何も植わっていない。土には白いものが混じっていた。 妙な土地だった。川のように細長い。手前に山と積まれている白いものは石灰だった。その向こうに小さなショベルカーがある。 ――これは。 リッチーはようやくそれが、墓地だとわかった。ゲームで殺された犬たちがここに埋められているのである。 墓碑もなければ、十字架もない。ただの不規則な畝だった。 「あのひとでなしめ」 男は眉をひそめた。 「ひとりひとり埋葬してもやらんのか」 畝はたしかに少なかった。大きな穴が掘られ、数人の死骸が折り重なって埋まっているらしい。 リッチーはぼんやりと陽のあたる土の上にたたずんだ。足裏に死骸の蝋のような肌、苦悶にゆがむ顔を感じるような気がした。 陽の下に地獄がある。若芽さえ点々と生まれたふくよかな黒土の下に白い骨が積まれ、大地に溶けていた。 よくごらんなさい、と男はリッチーに言った。 「あなたと同じ若いひとたちです」 彼はくるりと身をひるがえし、来た道をもどった。 「どこへ行くんですか」 「この愚行をやめさせにいきます」 リッチーは追えなかった。後ろ姿はすでに彼を相手にしていなかった。 ぼんやり立ち尽くしていると、木陰の道をダンテの長身が歩いてくるのが見えた。 「あれはプレスコットの息子だってさ」 ダンテはリッチーに教えた。「親父が来てる。決闘しにきたらしい。館に戻ろう」 館に戻ると、父親のほうのプレスコットが彼らを迎えた。 「イスマエルは見つかったかね」 プレスコットはリッチーに意地悪く微笑みかけた。リッチーは生真面目に、 「イスマエルはすでに死亡しています。イスマエルの名を騙った殺人犯はただいま捜査中です」 と言って、ダンテを紹介した。 ダンテはプレスコットを見て、 (中年のお坊ちゃまだな) と思った。 ジェフリー・プレスコットは品のいい老け方をしていた。若い時は美男だったのだろう。 ほそい葉巻をくわえ、眉をしかめてほほえむくせがある。手品師のように指がきれいで、葉巻に触れる姿が美しい。 だが、中年紳士らしい色気がなかった。人生を知った男の寛容さ、大きさがない。人間としてのうすさがにおっていた。 (それに、なにか苛立ってる?) 「イスマエルを探せばいいんだよ」 プレスコットは煙を吐き、言った。 「チップが埋まっているんだろう。さっさと探せばいい。セリエを殺したのはあいつだ」 「チップは焼けました」 リッチーが困惑気味に言う。「死体といっしょに」 どうだかね、とプレスコットは葉巻をいじり、 「ヴィラが犬を死んだといつわって、ほかの客に使いまわすのはかまわんよ。経費節減だ。どこでもやる。だが、この始末は早くつけてもらいたい。使いまわすなら、檻から出さないでくれ」 ダンテは、リッチーが口を開く前に、 「なぜ、セリエ氏を殺したのがイスマエルだと思うのですか」 プレスコットはわらった。 「木にサインがあったからね。怪傑ゾロみたいに。――それに手紙も来た」 その手紙ですが、とリッチーが言った。 「現物はどうなさいました? お送りくださるよう申し上げたはずですが、あれは――?」 「捨てた」 「は?」 ダンテもおどろいた。「なぜ?」 プレスコットは肘掛にもたれて、けだるく唇の葉巻をいじり、 「ずいぶん前だ。やはりいたずらかと思いなおしたんだよ。ミッレペダじゃ、犬は処分したと言ってたし、あの時は何も起こってなかったしね。――きみ、わたしが毎日どれだけの封筒を開けているかわかるかね。とっておいたら、三日で書斎が埋もれてしまうよ」 「でも、殺人予告ですよ」 プレスコットは眉をしかめて微笑み、 「捨てちまったものはしょうがない」 そこに黒人の青年がティーセットを運んできたため、話が一度切れた。 黒人が退出すると、プレスコットは、 「イスマエルは性の強い子だ。一度死んで、生き返って逃げた。まだ生きていて、こんなイタズラをたくらんだんじゃないかって気がするんだがね」 「なにかそう思うわけがあるのですか」 ダンテの問いに、プレスコットは肩をすくめた。 「かわいがっていた犬だ。死んだと思えんのさ」 煙のなかで目を細め、小ばかにするようにダンテに笑いかける。ダンテは彼がずっと葉巻をいじっていることに気づいた。 「ではなぜ、イスマエルをゲームに出したのです?」 プレスコットは煙を吐いた。 「わたしの悪いクセでね。狎れると可愛いがれなくなってしまうんだ。ビンゴもだがね。たまに怖い思いをさせて、ご主人様の恐ろしさを思い出させてやろうとしたのさ」 死ぬ危険もあったが、そこは運に賭けてみたという。 はたして、イスマエルは飛び入り客の銃弾を受けて、死亡した。 「ところが仮死状態だったんだな。人目が離れた隙に、客の車に忍びこんだらしい」 イスマエルの生存は五ヵ月後、偶然、発覚する。 プレスコットが友人に誘われ、競争馬を見に行った時、イスマエルはその牧場で馬の世話をしていた。イスマエルは主人に気づき、その足で逃げたが、ミッレペダに通報が行き、捕まった。 「その後、イスマエルは新聞記者に近づいていたということで、わたしのもとに帰されることなく処刑された。勝手に」 「それについては家令から説明があったはずです」 ダンテはリッチーをおさえ、 「――わかりました。死者のことはおいて、生者のほうから検証いたしましょう。こちらのゲームは商売にしてらっしゃるんですか?」 アイスブルーの目が一瞬、止まった。プレスコットは煙を吐いて、少し言葉を選んだ。 「商売というわけではない。ただ、友人たちのうちに、興味を示す者がいれば、参加はさせている」 「無料じゃありませんね」 「犬を増やさなければならないからね」 「けっこうな利益が出るのではありませんか」 プレスコットはまた煙を吐いた。いいわけしようとするのを、ダンテは遮り、 「あなたがたの新規事業が、ヴィラの許容範囲か否かの問題は置きましょう。よその犬で商売しておいて、事故が起きたら、ヴィラの保護をたよるのはムシがいいような気もしますがね。まずは金の動きがあるかどうかです。はっきりおっしゃってください。これで儲けているのですか」 プレスコットはすこしためらった。葉巻を噛んだまま眉をしかめ、わずかにうなづいた。 「利益は出ている。事業化はまだだが、その方向で話している」 彼は言った。「はじめは純粋な趣味だったんだよ。ただ何人か、ひとを入れているうちに、このゲームはもっとひろく需要があるようだと気づいてね。いくら文明化しても、男には敵を殺し、奪うといった本能が根付いている。遺伝子のせいだ。さまざまな犯罪はその本能に起因する。戦争もね。それならいっそシステム化してはどうだ、ヴィラにはないサービスをはじめたらどうだ、という話にはなった」 「ひと殺しのサービスを」 プレスコットは眉をあげた。 「ヴィラでもプレイ中の犬の死は許容されている。これもプレイの一種だよ。剣闘士試合でも人が死ぬのではないかね」 「セリエ氏が亡くなった今、計画はどうされます?」 続けるよ、とプレスコットは言った。 「三分の一の出資者が死んで痛手ではあるがね。わたしとモンタンでもできないことはない。スタートの規模は小さくなるが、客をゲイの人間に限らなければ、数年で莫大な金の流れを作ることができる。こういう遊びはリピート率が高い」 ヴィラにも提携を申し入れるつもりだよ、と言い添えた。 ダンテは感想を避け、 「ご子息がいらっしゃいましたね。さきほどお見かけしましたが」 トリスタン、とプレスコットは首をふり、ほそく煙を吐いた。 「あれはこの猟園とはなんの関係もない男だ。わたしとも関係がない」 「実のお子さんではないのですか」 プレスコットは唇をゆがめた。 「医学上そのようになってるがね。家から出て行ったんだ。わたしもせいせいしている。あれには遺産を遺すつもりもない」 「息子さんは何をされているのですか」 「ITのなんかかな。会社を起こしてなんかやっている。よく知らない。妻が時々会っているようだが、わたしは関心がないね」 「息子さんはここには」 「めったに来ない」 「でも、来ることは来る?」 「前、来たことがある」 プレスコットはいまいましげに葉巻を噛んだ。「地下から犬たちを連れ出そうとした。十字軍のつもりなんだよ」 |
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