犬狩り  第16話


 プレスコットの犬、ビンゴはヴィラで療養していた。

「ようやく落ち着きましたよ」

 アクトーレスは恨むように言った。

「持ち込まれた時は、ボロボロでした。暴力と裏切られたショックで。正直言って、あまり刺激しないでいただきたいんですがね」

 ダンテは、そのように努めると約束した。
 アクトーレスが犬を心配する様子に好感を持った。残酷な調教にあたる彼らだが、犬と接する時間は長い。多かれ少なかれ、犬の行く末は気にかかるのだろう。

 セルに入ると、なかにいた男はぎょっとしてベッドから飛び上がった。悲鳴をあげ、バスルームへすっ飛んでいく。

「ビンゴ――」

 アクトーレスが見かねて入った。「ビンゴ。大丈夫だ。このひとはおれのお客さんだ。ちょっと話を聞きに来ただけだ」

 アクトーレスがバスルームに入ってなだめすかす。すすり泣きとささやきのやりとりがしばらく続いた。

「おれ、出てますね」

 リッチーが遠慮して、セルを出る。ダンテもあきらめかけたが、ようやくピンクの毛布をかぶった大きなかたまりがおずおずと現れた。

 顔が小さい。頸太く、脛の長さから、美々しい長身が想像できた。
 往時は精悍なハンサムだったであろう。男らしい顔にはべったりと恐怖がはりつき、灰色の目は悲鳴がまじっていた。

「すぐ帰るよ」

 ダンテは彼をなだめた。

「セリエの死を調べているだけなんだ。きみのご主人プレスコット氏とは関係ない」

 ビンゴはわずかにうなづいたが、アクトーレスの手首をにぎって帰そうとはしなかった。ダンテはアクトーレスの同席をゆるした。

「他言は無用だ」

「心得ています」

 アクトーレスはビンゴの傍らにすわり、その背を抱いてやった。
 ビンゴ、とダンテは口を切った。

「あのゲームの日、きみはよその犬たちといっしょに森に放された。あの時、犬以外の人間を森で見かけなかったか」

 ビンゴは顔をひきつらせた。毛布の全体がわさわさと音をたてるほど、そのからだが揺れていた。

「おれ……なにもしてないのに……」

 灰色の眼からみるみる涙があふれ、流れおちた。

「なんで、ご主人様――。おれ、なにもしてない。なにもしてない――」

「えっと、ビンゴ――」

「おれ、ご主人様を裏切ってない! なんで、おれを殺す――あんな、ひどい――」

 ダンテは質問を変えた。

「ご主人様はきみを誤解したんだね。なんで、誤解したんだ?」

 犬は幼児にように顔をゆがめて泣き、しゃくりあげた。

「若旦那さま」

 と、言った。

「息子のトリスタンか」

 ダンテはおどろいた。

「息子のトリスタンがなにかきみの中傷、悪口を言ったのか」

「さ、わった」

 大の男がヒイヒイ泣きながら、頬をおさえふるえた。

「顔をさわった。あわれなやつって、ちょっと触った。それだけ。おれ、何もしてないのに、ご主人様がおれを淫売って――」

 また毛布がガタガタふるえはじめた。
 その目が大きく見張り、宙を見つめる。呼吸が荒くなる。ひゅうひゅう咽喉の奥が鳴った。

 ダンテはインタビューを切り上げようとおもった。あとは正気を保っている人間から聞けばよい。

 アクトーレスがその頭をかかえ、なだめた。「ビンゴ。大丈夫だ。もう終わった。ご主人は怒ってない。誤解は解けた。おまえは忠実だ」

「おれは忠実だ!」

 ビンゴは宙を見つめ、訴えた。

「おれはイスマエルじゃない。おれは、若旦那さまと寝てない」




 インタビューのつづきはアクトーレスが行った。
 ダンテとリッチーは監視室のモニターからその実況を見ていた。

『おれがお屋敷にいった時、イスマエルが先にいて、ご主人様にかわいがられてた。でも、イスマエルは若旦那さまが好きだったんだ』

 ダンテとリッチーは目を見交わした。

『若旦那さまは家を出てたけど、時々、母親に会いにきてた。その時、おれたちにもお菓子を買ってきてくれたよ。あの人はいいひとなんだ』

『イスマエルと彼は関係をもっていたのか』

『……わからない。はっきりは言わなかった。でも、あいつは若旦那さまに恋してたよ』

『トリスタンのほうも』

『好きだった、とおもう』

『それが、プレスコット氏にバレたんだな』

『……おれはよせって言ったんだ、あいつに。あいつはすぐ顔に出るんだ、なんでも』

『それで、彼はゲームに出されてしまったのか』

『――』

『トリスタンは今度、おまえに色気を見せだした』

『ちがう!』

『色気ではない』

『――あのひとは、うかつなんだよ! ガキなんだ。すぐなんにでも触りたがるんだ。おれは色目は使ってねえ!』

『わかってるよ。ビンゴ。おまえはまじめな子だ』

 その後は、ビンゴの涙の繰言がつづいた。
 モニターから顔をあげ、ダンテは言った。

「トリスタンを洗いなおしたほうがいいな」




 ダンテは部下をつかい、当日のトリスタンの行動を調べさせた。
 だが、やはりトリスタンはサンノゼの自分のオフィスに出社していた。犯行時刻は他社から客があり、秘書、客から姿を目撃されている。

「うまくいかんな」

「実行犯が当人とは限りませんよ。トリスタンが暗黒街とつながってなかったか、調べてみましょう」

 リッチーはニーヴスの助けを借りようと思った。ニーヴスは暗黒街に太いコネを持っている。
 デクリオン・オフィスをたずねたが、ニーヴスは席をあけていた。資料室にいるとのことだった。

 資料室のドアを開け、リッチーは目を大きく瞠いた。
 書架の影で男がふたりもみ合っている。ひとりはニーヴスだった。その影に隠れている男は全裸だった。

「あ、サム……ひとが――」

 気にするな、とニーヴスの声が言う。男の腰を引き寄せながら、ふりむかずに、

「出ろ。使用中だ」

 と、怒鳴った。

 リッチーは怒るより、からだが溶けはてるような疲れを感じた。
 裸の男は同僚のマービン・チャンだった。ニーヴスにすんなりした手足をからめ、クスクスわらっている。
 ニーヴスもふくみ笑いし、なにごとかささやいた。ふたりともひどく楽しそうに見えた。

「ニーヴス」

 リッチーは言った。
 ニーヴスがするどくふりむく。うすいグリーンの眼が一瞬おおきくなったが、

「おや」

 と言ったきり、なにも言わなかった。

「さよなら」

 リッチーはドアを閉めた。




 ダンテは服も脱がぬまま、ベッドでいびきをかいていた。
 騒音に気づくまでしばらくかかった。胸ポケットの電話が鳴っている。

「……だれだ」

『コリンです』

 ダンテは目をこすった。「どうした」

『そっちにいってもいいですか』

 一瞬で目が醒めた。
 リッチーは十分ほどで現れた。ひどく酒臭かった。黒い目が沈んでいる。
 ダンテはその顔つきにおどろいた。どしゃぶりにでもあったようなみじめな目をしていた。

「……ニーヴス――裏切られた」

 長い睫毛の下からほろほろと涙が落ちた。と、思うとダンテの胸のなかにいきなり飛び込んできた。

 ダンテはその小柄を抱きしめた。

(抱かれにきた)

 脳天から血を噴きそうなほどのぼせた。




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