犬狩り 第20話 |
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料理女は猟園にいなかった。 「今日は休みをとって外出しています」 チャーリーという黒人の下男は、愛想よく言った。 「二、三日ほどニューヨークにいってくるそうです」 「ニューヨークに何しに」 さあ、とチャーリーは首をかしげた。「芝居でも見てくるんじゃないですか」 「昨日の午前中はお出かけになってましたか」 そうですね、と彼は言った。 「森番のじいさんといっしょに朝早くから出てましたよ」 テープで料理女が9時25分――犯行推定時刻の一時間前に病院に入ったことはわかったが、出て行く姿が見つからない。別の出口から出たようであった。 ダンテは料理女と出ていたという森番のじいさんに確かめた。 「昨日はおいらとペンザンスに出てたよ」 ペンザンスは猟園に接する小さな町である。セント・ジョンズ・ホスピタルもここにあった。 「行ったのは何時ですか」 「ここ出たのが、九時ぐれえか」 言って、気づいたようにあわてる。 「おい、マリアはモンタンさんにはなんの恨みもねえと思うよ」 「九時に出て、何時に戻ったんです」 「昼前だ。ランチの仕度があるからって十二時前には戻った」 「何しに行かれたんです」 「――買い物に」 じいさんがためらったのを見て、ダンテは声をけわしくした。 「こっちはあとで裏をとるんです。いいかげんなことを言ってはいけません。何もないなら、正直に話してください」 ちょっと待て、とじいさんも声を高くする。 「こいつは尋問かい、あんた! おいら容疑者かい? おいらまだミランダ警告とやらを聞いてないぜ。おまえには黙秘権があるとかなんとか」 喧々としゃべりだしそうになり、リッチーが口をはさんだ。 「たずねているのは、カルボさんのことです。カルボさんの姿が病院のカメラにうつっていたので、お聞きしているのです」 カメラと聞いて、老人は「アイタ」と眉をしかめた。観念したように、 「じつは、あいつが医者へ行くって言うんで、セント・ジョンズへ送っていったのよ。おいらもクロスワードの新しいの買いにいこうと思ってよ。で、おいら、買い物した後、コーネル・キッチンで待っててさ。あそこは飯はまずいが、楽しいんだよね」 ウェイトレスがかわいこちゃんぞろいで、と好色な笑いを浮かべ、胸の前で意味ありげに何かを持ち上げるしぐさをした。 「カルボさんはどれぐらいに戻ってきたのですか」 「ええ? 十一時ちょい過ぎぐれえかな。スーパーでちょっくら買い物して、いっしょに帰ったさ」 「カルボさんはどこか悪かったのですか」 「――さあ。風邪でもひいたんじゃねえかなあ――。誰だって具合悪くするこたあるだろうよ」 ダンテはじいさんが時間を潰していたというレストランをたずねた。まだ十代のウェイトレスはチップに気をよくして答えた。 店のウェイトレスの間で、じいさんは有名人らしい。 「よく来るよ、あのエロじじい」 とクスクス笑う。 「昨日の午前中は来ましたか? エロじじいは」 「来た来た」 小太りなウェイトレスがコロコロ笑って言った。「あのすみっこで、こんなになって、クロスワードやってた」 あごを引いて身をちぢめ、テーブルにへばりつくじいさんの様子をマネて見せた。 ダンテは苦笑した。クロスワードをするふりをして、ちらちら女の尻を眺めている好色老人の顔が見えるようだった。 「女の人は来ませんでしたかね」 「来たあ」 ウェイトレスはまた笑った。「フランケンシュタインみたいな人」やっぱり女なんだ、あの人、とケタケタ笑う。 「何時ぐらいでしたか。フランケンは」 「お昼前ぐらいかな。そろそろひとが多くなってたから。――でも、のぞいただけ。なんか急いでたみたい」 「急いでた?」 「うん。あの札、蹴倒しても気づかなかったし」 と、入り口に立つ華奢な案内板を示した。 マダム・カルボはセント・ジョンズ・ホスピタルで診察を受けていなかった。 「どなたかのお見舞いにいらしたのでは?」 受付スタッフはその名前の記録はない、と言った。 病院には本館から、病棟がふたつ翼のようにつながり、そこから容易に外に出ることができる。 病棟の受付にたずねても、入院患者にカルボの記録はない、と言った。 「――ニューヨークにはいないかもしれませんが、向こうの連中に連絡しますか」 リッチーが指示をあおぐ。ダンテは渋面をつくって、悩んでいた。「わからないんだよ」 モンタンは死ぬ前に何かを思いついた。思いつき、トリスタンを呼び寄せていた。そのどこに料理女が関係するのか。 「やっぱりあれか。トリスタンとマダムはデキていたのか」 「は?」 「トリスタンはじつはブス好きで、マダムも王子にメロメロ。王子のために、マダムは料理をほっぽって、セリエを撃ち殺しにゆき、今回もまた――」 ダンテは口をつぐみ、首を振った。 「だとしたら、今回ふたりいっぺんに現場に現れるとはどういうことだ。ぜんぜんそんな必要はない。むしろ不利だ」 「ふたりは無関係でしょうね」 リッチーも笑いをこらえている。「別々に考えたほうがいいでしょう」 「そう、どちらかが当たりでどちらかがハズレだ。いや、そうともかぎらんな――……トリスタン、カルボ」 ああ、と額をこすって、ダンテはいまいましげに唸った。 「想像力! いっつもこれに欠けるんだ。想像力!」 「想像力はゆたかだと思いますよ」 リッチーは笑っていい、おもむろに胸から携帯電話を取り出した。 「パパ・プレスコットが会いたいそうです。自宅に来て欲しいと」 「気安く呼びつけるな。こっちゃいそがしいんだ」 「でも、これからどうするんです」 「栄養補給だ」 ダンテは言った。 「昨日の約束を果たしてくれたまえ。うまいもの食わしてくれるんだろ」 買い物をする間、ダンテはすっかり事件を忘れた。 パプリカやエビを真剣にえらんでいる小柄な恋人を見ては、だらしなく笑みくずれた。 (こんな可愛いやつがアパートで待っていてくれたら、どんなに毎日楽しいだろう。どんなに家に帰るのが愉しみだろう) パートナーのイヴリンは夜遅い。週末も外出が多い。ひどい時には別の男とデートしている。独り占めできると思って結婚したはずなのに、ダンテはあてがはずれた。 (リッチーはその点、ひとりに尽くすタイプだ) 愛想はよかったが、リッチーの一部はあわ雪のように繊細な物質で出来ている。体質的に複数の人間を相手にできない。 ――彼が愛するのはたったひとりのキング。そのひとりになれさえすれば、一生幸せだな。 ニーヴスに勝つ自信はあった。若さの点でも、男ぶりでも負けてはいない。 「何作ってくれるんだい。奥さん」 腰を抱くと、リッチーはあわてて手をはがした。 「近所なんですから。――パエリア。好きですか?」 「うん。だいすき」 と、その髪にキスする。リッチーは辟易して逃げていった。 ダンテは幸福にひたっていた。カートを押して、車まで買い物袋を運ぶ時には思いは大きく飛躍した。 (リッチーの部屋に荷物を運んでおこう。ここにおれの家を買ってもいいな) ダンテはふと思った。 (いっそイヴリンと別れて、リッチーと結婚するか) なんの痛痒があろう。イヴリンは泣きもすまい。ほかにいくらでもデートの相手がいるのだから。 リッチーはきっと喜ぶだろう。彼にはいっしょに生きてくれる頼もしいキングが必要なのだ。 「なあ、リッチー――」 と、言いかけた時、リッチーがぎくりと足を止めた。 彼の視線の先に、背の高い男が立っていた。 痩せた男だった。さびしい青い目がリッチーを見つめ、 「やあ」 と言った。 ダンテは急速に幸福感がしぼむのを感じた。 (キングだ) その男がレフ・S・フォルトフだとわかった。 |
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