犬狩り 第23話 |
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レフのからだはひとまわり小さくなっていた。 以前から痩せた男だったが、さらに軽くなっていた。だが、その細身のどこにそんな力があるのか、獲物を前にした餓狼のはげしさで、リッチーをおそった。 からだの奥にレフの熱をふくみ、リッチーはわなないた。 甘美な嵐に足からかっさらわれそうになる。夢中でその腕をつかむ。 レフの愛撫ははげしかった。なにかに煽られ、とり憑かれたように突き入れてきた。痛みと快楽のないまぜになったものが、炎となってリッチーを追い上げていく。 「ア、レフ――もッ――もっとゆっくり、アアッ」 リッチーは圧された。レフとべつのものが彼を押さえている。 死がそこにあった。死臭と腐肉の冷たさの間で、レフは必死にリッチーを抱いていた。 リッチーはレフの手をたぐった。つかみ、指をかみ合わせ、強くにぎった。 こわかった。体温を深く刻み込んだ後、レフが彼を置き去りにするつもりではないかとおもった。これが最後になるのではないか。 快楽の潮に押し流され、はげしく喘ぎながら、恐慌をおこしそうになる。 (いやだ。レフ。絶対にそんなの、いやだ) リッチーは火がついたようにわめいた。 「レフ。やめろ! やめてくれ」 「なに」 「こわい! おれこわいよ。やめてくれ、もう」 レフはわれに返ったようにとどまり、荒く喘いだ。 「ごめんな。ちょっと、興奮した」 やさしく、リッチーのまぶたにキスをする。喘ぎながら、笑った。 「キッチンからずっとムラムラしてて、がっついた。ごめんごめん」 息まじりのキスがリッチーの顔に触れ、唇に触れる。機嫌をとらせながら、リッチーは闇を睨み、顔をゆがめた。 レフのキスがやさしすぎた。いたわりも、気遣いも、残酷なほどやさしい。 リッチーは手で目を被った。こらえようとしたが、涙が指の間からあふれた。 「もういやだ」 声がふるえた。 「おれの上で腹上死する気か? 冗談じゃない。ふざけるなよ。ひとのことはどうでもいいのかよ!」 泣いて、訴えた。 「なんで。――なんで、あきらめちゃうんだよ。おれのことはどうでもいいのかよ。おれが悲しくないと思ってんのかよ」 手術してくれよ、と背をむけ、泣き崩れた。ワアワア泣いた。 ヒステリーを起こしているのはわかっていた。暴風のように感情があふれだし、抑えられない。いやだ、と手放しで泣いていた。 病気への恨みだけではなかった。幼い時からの長い怒りが涙となって噴き出ていた。 レフは何も言わなかった。シーツに伏して泣くリッチーの肩をなだめ、じっとだまっていた。 やがて、ぽつりと言った。 「またおれといっしょにいてくれるかい」 リッチーは目をひらいた。 「――いるよ」 ふりむき、誓った。 「ずっといっしょにいるよ」 リッチーは恋人の目を必死に見つめた。 「家族になる。毎日、うまいもの作るよ。だから――」 レフの唇からすっと息がもれた。長い腕がリッチーの頭を抱きしめた。泣くような声で言った。 「ありがとう――リッチー。ありがとう」 リッチーはまたなじるようにすすりあげた。すすりあげ、笑った。その痩せた胸に頬ずりしてささやく。 またハワイに行こうよ。いっしょに暮らそう。夕日をいっしょに見てさ。いっしょに飯を食って。散歩して。夕飯はひとりじゃつまらないだろ。ずっといっしょにいよう。ずっと。 (八方ふさがり) ダンテはエレベーターのなかでうんざりとためいきをついた。 最後の容疑者、モンタンの甥もシロとわかった。 甥ローリーは、モンタンの死によって莫大な遺産を相続することになる。ダンテは期待をかけたが、部下は彼のアリバイについて報せてきた。 ローリーはモンタン殺害時、ラスベガスの警察に拘留されていた。酔っ払って友人と殴りあったらしい。 (八方ふさがりだってのに、あいつは) ロビーに降りていくと、すでにリッチーが待っていた。ハイキングにでも行くようにニコニコと手を振っていた。 その頬が明るい。なにかが落ちたように、かろやかだった。 「ブルーノさん。レフが治療するって言ってくれたんです!」 リッチーは飛びつくように言った。 「インターネットで調べたら、レフのがんには抗がん剤が効きやすいって。それに今は吐き気のしない薬もあるんだそうです」 「それはよかった」とダンテは言った。 「それから、すごいことがわかったんですよ。――笑いで治るんです!」 「?」 「笑いでガンが治ったひとがいるんです!」 リッチーは目を輝かせて言った。 「乳がんの女性が、化学療法を一切受けずに、面白いビデオを見て、ビタミンC飲んでたら、乳がんが消えたって」 笑いと免疫力の関係、最新のがんの治療法について熱っぽくまくしたて、さらには、 「で、ハワイで治療することにしたんです。おれたちそのままハワイに住む予定なんです。マウイに。行った事あります? 天国ですよ。前、レフが旅行に連れてってくれたんです」 「そうやってノロケてなさい」 ダンテは歯を剥いた。「おれのハートは木っ端微塵だよ。そろそろ泣きそうなんだが、事件の話に変えてもいいかな」 「スミマセン」 ダンテはモンタンの甥の話をし、甥の殺人がありえないこと、これですべての人物になんらかのアリバイがあり、道は閉ざされたということを話した。 リッチーは浮かれていて、へこたれない。 「ま、地道にいきましょうよ、ポワロさん。アン・ナヴァン!(前進!)」 「……」 「科学捜査のほうではなにか出なかったんですか」 「なにも。犯人が医者の白衣とゴム手袋をしていたってことだけ。あと、あまったるい声の女から『サンディについて、お話が聞きたいってどういうこと?』って転送メッセージが来てた」 「だれです?」 「最初の被害者、セリエの奥さん、おぼえてる?」 「ああ、パパラッチに車をぶつけられた」 「その陽気な遊び友だち。サルディニア島から帰ってきたらしい」 セリエ夫人の女友だちジーナは、昼間から酔ってご機嫌だった。 たずねていくと、ふたりはガラス張りの明るいコンサバトリーに通された。テーブルにパンチが冷やされている。 「あなたもいかが」 彼女はダンテが気に入ったようだった。リッチーを無視して、ダンテにばかり酒をすすめ、しきりに笑いかけた。 「ラッキーよね。ラッキーすぎるわよ」 ジーナはグラスを浮かせて、鳥のようにしゃべった。 「三年よ。たった三年でサンディは大富豪。銃の暴発ですって? まあ、なんて都合のいい銃。うちにも一丁欲しいわ」 アルベール・セリエの死は表向き、狩猟中の銃の事故とされている。ダンテも自分たちの身分を保険の調査員といつわっていた。 「よく銃を調べたほうがいいわよ。サンディとアルの間に愛なんかなかったわ。サンディは憎んでいたわね。アルを」 「へえ。なんでです」 ダンテはグラスをかたむけつつ、女にしゃべらせた。 「旦那、インポだったみたいなのよ。まあ、お年だからしょうがないわよね。でも、その上ケチなの。この間、サルディニアの友だちのとこに行った時も、気の毒だったわよ」 ジーナは笑いをこらえきれずにいた。 「いっしょにカジノに行ったんだけど、あの人、ぜんぜん賭けないの。こういうのは好きじゃないわ、なんて言ってたけど、あとで旦那に小言言われるのがこわかったのね。お小遣いもらうのにレポートがいるのよ。カードもつかえないの。――お金のために結婚したのに、気の毒だわよねえ」 高笑いににがいものが混じっている。一攫千金をつかんだ友人がよほどねたましいようであった。 ダンテはわざと気安く聞いた。 「サルディニアの友だちは、どんな人? あなたのいい人なのかな?」 「アアン」 ジーナはダンテの胸を叩き、身をくねらせて笑った。 「ただのともだちよ。パーティーで知り合ったの。楽しいひとよ。ちょっとワル。でも、女の扱いがうまいの」 「サンディも彼のファン?」 「あら、あのひとはちがうわよ」 ジーナはフンと鼻を鳴らした。 「彼女は旦那の秘書とできてんの。ヘイスティングズとかいう小利口そうな男よ」 |
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