犬狩り 第26話 |
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ローリーは小便をもらしながら、秘書の工作を白状した。 それを告げると、秘書ヘイスティングズは、 「ああ。バレましたか」 と明るく笑った。 「あわてないで。だからといってぼくは犯人じゃないですよ」 彼は手をひろげ、 「厄介にまきこまれたくなかったので、ローリーと示し合わせたんです。チェスこそしてませんでしたが、わたしは二階にいて事務仕事をかたづけていました。ローリーは隣で寝てた。これは本当です」 ダンテは冷かに見返し、 「それを証明する人がいない。あなたはセリエ氏を殺す動機もあり、チャンスもあった」 (この事件は終わった) 外には犬狩り部隊が捕獲のために待機していた。彼らはダンテの合図を待っている。 だが、ヘイスティングズはさわやかに言った。 「じゃあ、ぼくから質問です。この事件は連続性がある。セリエ氏とモンタン氏の殺害は同一犯の犯行ですよね?」 「まあ――」 「ところが、ぼくはモンタン氏が殺害された時刻、ここにおりました。セリエ夫人に財団のことを教えていたんです。夫人とメイドがぼくのアリバイを証明してくれますよ。さあ、どうします?」 (そら出た) 愛人のアリバイ証言などなんの足しにもならない。あとはオフィスで尋問したほうが早い。 ダンテはリッチーに目をやった。だが、リッチーは気づかない。考え込むようにむっつり床をながめている。 ダンテがリッチーに声をかけようとした時だった。 「アリバイなんて証明しないわよ」 ドアが開き、若い女があざやかな色とともに入ってきた。 「あたし、その時、買い物に行っていたもの」 刺繍の入ったオレンジ色のミニドレスを着ている。女はグロスを厚く塗った唇を突き出して、言った。 「その日の午前中は、あたし、NYにショッピングに出てたわ」 ダンテは番狂わせに目をしばたいた。つい、秘書を見る。秘書もぽかんとしていた。 「……おひとりでですか」 「ええ。そう。ひとりで遊んできたの。洋服買ったり、ケーキ食べたり、息抜きよ。一日好きなことして遊んでたわ」 「運転手かどなたか」 「ひとりだって言ってるでしょ!」 女はうるさげに言い、 「ブルーミーでぶらついたり、ドレスを買ったりしてたの。帽子も。靴も。バッグもよ。パームコートでお茶を飲んで、ケーキ食べて、お芝居見て帰ってきたわ」 秘書はあっけにとられたような顔をして、女を見ている。 「そうよ。このひとが殺したの」 女はせせらわらった。 「このひとが犯人。アルを殺したのはこいつ。モンタンさんも。どうぞ、捕まえてちょうだい」 秘書に、ざまみろ、と毒づき、睨んだ。その目がなぜか赤い。 ダンテはあやぶみ、未亡人にたずねた。 「なんのお芝居をごらんになったんですか」 「忘れたわ」 「チケットの半券かなにかお持ちでしょう」 「捨てた」 「どこで買い物されたんですか」 「ヴィヴィアン・タムよ。見て、このドレス、買ったの。素敵でしょ。ずっと欲しかったのよ。わたしの髪によく似合うって、売り子が勧めてくれて。でも、アルに買ってって言えなかった。やっと自由になって、お金が使えるのに」 女はにわかに顔を被い、唇をゆがめた。 「きれいになりたいから、お金をいるのよ! きれいだって言って欲しいから。なんでわかってくれないの――」 彼女は嗚咽し、秘書の胸に飛びついた。秘書はすすり泣く肩を抱き、 「ドレスなんか買わなくても、きみはきれいだよ」 となだめた。 ダンテは困惑してふたりを見た。 秘書はふかく嘆息し、 「彼女と結婚しようって話になったんです。でも、ぼくがセリエ氏の遺産をすべて放棄するように言ったら、このひとが怒ってしまって――」 ダンテはおどろいた。 「セリエ氏の遺産を受け取らないんですか」 「お金は嫌いじゃありませんが、多すぎます」 ヘイスティングズの目はおだやかだった。 「多すぎるお金が何をしでかすのか、あの猟園で見ました。ぼくはああいう金持ちにはなりたくない。――子どもが生まれるんです」 サンディ、と妻になる女をなぐさめた。 「毎月というわけにはいかないが、ドレスは買うよ。美容院にも行かせる。社交界のパーティーに出してやるわけにはいかない。でも、バーベキュー・パーティーぐらいなら、毎週開いてあげる。ね」 夫人はハンカチを受け取り、鼻をかんだ。赤い鼻をして、うれしそうに微笑む。 「ドレスなんかいらないわ。赤ちゃんがミルクで汚しちゃうもの」 彼女はヘイスティングズにキスすると、気恥ずかしそうにふりむいた。 「ごめんなさい。出かけたといったのは嘘なの。このドレスは通販。午前中はこのひとといました」 ヘイスティングズのアリバイは犯行当時、オフィスに電話があったことでも証明された。 「くそったれ。ようやくカタがついたと思ったら!」 ダンテはふてくされた。犬狩りを動員し、これで解決したと思った分、疲労感が大きい。 さらに、相棒の様子も気になった。リッチーは一日陰気に押し黙り、反応がにぶかった。 「どうした。レフと喧嘩でもしたか」 「いやいや」 リッチーは気づいて、ニヤニヤした。「なかよすぎて、寝不足なんです。あの方、ガンだなんて言ってけっこう絶倫で」 ダンテはつまらないことを聞いた、と唸った。だが、昨日、リッチーは額に痣をつけて現れた。手首の傷も気になった。 ダンテは言った。 「きみがハッピーならいいんだよ。――ハッピーかい?」 リッチーはニッと白い歯を見せた。 「もちろん!」 夕暮れ、リッチーがレフの仮住まいをたずねると、レフはめずらしく机に向かっていた。長い背をかがめ、何かを描いている。 背中にバリアがあった。仕事中と書いてあり、邪魔しないよう警告していた。 リッチーはそのバリアが好きだった。 バリアはほんのり明るい。絵を描いていると、レフのまわりがうすぼんやりと光る。ふしぎな現象だったが、リッチー以外には見えていなかった。リッチーはその神聖な錯覚を愛した。 だが、この日、リッチーはレフの首に飛びかかった。 「コラァ!」 レフがペンを浮かせて声を荒げる。「何すんだ、アホ」 「ゴロニャーゴー!」 リッチーは笑った。「マウイ島にリッチーズ・レストラン、オープン!」 「はあ?」 「おれさ。ハワイで店開こうと思う」 レフが面食らったように首をねじむける。リッチーは首に腕を巻きつけたまま、 「あんたが漫画描いてたら、おれヒマだもの。リッチーズ・レストラン! よくない?」 「おまえな。ちょっと――」 「海の見える小さなレストランなんだ。新鮮な魚貝と有機野菜のみ使ったヘルシー家庭料理の店。お客は毎日一組だけ」 レフはあきらめてペンを置いた。腕をまわし、リッチーを膝の上に座らせる。 「なんだって?」 「なあ。よくない? おれのレストラン。あんたが看板描くんだ」 「毎日一組? 採算とれるのか?」 「儲からなくていい! 趣味! おれが作って、サーブしてさ。ガイドブックにものってない隠れたる銘店なんだよ」 隠れすぎて、誰も来れないかもしれないな、と笑った。 「そしたら、毎日あんたの貸切でいい。あ、なんかソースを発明してさ。ポール・ニューマンみたいに売るってのはどうかな。リッチーズ・ソース!」 レフはふしぎそうに見つめた。 「リッチー」 彼は手をのばし、リッチーの額の痣に触れた。 「なんで、今日はこんなにおしゃべりなんだ?」 リッチーはクスクス笑った。 「興奮してんの。もうすぐあんたとハワイに行けるから」 レフがその頭を抱く。リッチーは痩せた肩に頬をのせ、ぐっと顎をこわばらせた。涙が噴きこぼれそうになる。悲鳴をあげてしまいそうだった。 |
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