犬狩り  第29話

 ニーヴスは猟園をかこむ森で発見された。
 朝、森に犬の散歩に訪れた男が、犬のひきずってきたものを見て肝をつぶし、警察に届けた。
 ダンテが呼ばれた時、死体は検死局にすでに運びこまれていた。

「遅い。何をやってたんだ」

 検死局には、ミッレペダの男たちが数人いた。オプティオが蒼ざめてリッチーを叱る。

「なぜ、電話に出なかった!」

 彼は返事を待たず、すぐにふたりを解剖室に率いた。

「死体はサバンナにおかれた水牛みたいになってる。損傷がひどい。だが、サムに間違いない。やったのはイスマエルだ」

 ダンテがおどろく。

「まさか」

「裸に剥かれて、首縄みたいにベルトを巻きつけられていた! サインがあったさ! サムはカナダでイスマエルを捕獲したんだ!」

 解剖室には数人の男がトレーを囲んでいた。カメラマンが脚立の上からせわしなく写真をとっている。
 その群れに、見たようないかつい大男がいた。

「ああ、これは」

 解剖台をのぞきこんでいた男がふりむくと、オプティオが紹介した。

「アシュベリー市警察のバラスコ部長刑事。彼がわれわれに報せてくれた」

「イスマエルのサインがあったんですか」

 ダンテがすかさずたずねる。「同じ殺し方ですか」

「後頭部を銃撃されているのは確かです」

 バラスコは冷ややかに言った。

「でも弾も出ない」

 大柄なからだを横にどけた。
 ダンテはむっと眉を顰めた。死体は頭の下半分がなかった。やわらかい頬肉、唇はすべて剥ぎ取られ、歯が現れている。目も傷によごれていたが、かろうじてブルーとグリーンの色が見てとれた。

「噛み傷がひどくて」

 若い監察医がしぶい顔をして言った。

「野犬か狼に食いちぎられて組織がぐしゃぐしゃなんです。脳さえ、食われかかってる。首がつながっていたのが奇跡ですよ。でも、皮膚にカーボン(火薬痕)は出てます」

 戸外で死ぬと、死体の変わり方はすさまじい。二週間で白骨となることもある。
 リッチーのからだが揺らいだ。死体を凝視し、頬を引き攣らせている。

「だいじょうぶか」

 はずれるか、とダンテは聞いた。

「いいえ」

 リッチーは死骸を見つめたまま、言った。「死亡推定時刻は?」
 監察医はまだ明言するのをしぶったが、

「心臓の緩解がはじまってましたから、発見から十二時間以上はたっています。直腸温から見ても、昨日の夕方六時から八時ぐらい」

 ダンテがオプティオを見る。彼は首をふり、

「ニーヴスは昨日の午後、早退していた。秘書によれば、ここ何週間かニーヴスは時々、勝手にいなくなった。なにかの調査だろうと、気にもとめなかったらしい」

「何をやってたんですか、彼は」

 その時、バラスコがぶっきらぼうに言った。

「ミッレペダってのは、ひとりひとりがニンジャ並に訓練されてるんじゃなかったんですかね」

 リッチーがじろりと睨む。「われわれも人間でね」

「べつにバカにしてるわけじゃない」

 刑事は言った。「やすやすと殺される男じゃないなら、あんな場所にいっても警戒しない相手、顔見知りがあやしいんじゃないかと思ってね」
 


 
(なぜ、こんなとこに来たんだろう)

 高い木々の下を抜けながら、ダンテは考えこんだ。

 ――だれかにおびき出されたのか。

 利口な男のはずだった。犬狩りあがりだ。戦闘能力も高い。なぜ、むざむざと殺られる結果となったのか。

 木々の下をハエが渦をまき、騒いでいた。地面に沁みた血を求めて、虫が集まっている。

「足跡は?」

 ダンテは現場を案内した警官に聞いた。

「だめですね。落ち葉で絶望的です。あ、あの木です」

 警官の示した木の腹に白いひっかき傷がつけられていた。
 イスマエル、とあった。最初のサインと同じものが刻まれていた。

「イスマエルは標的を変えたのか」

 ダンテは憮然とした。わけがわからなかった。あの手紙のメッセージは主人のみにあてられたものではなかったのか。

(便乗犯だろうか?)

 だが、この一連の事件は一般に公開していない。一部の関係者と犯人以外、模倣しようがない。
 さらに不可解なことがあった。猟園では同じころ、幽霊がふたたび目撃されていたのである。

「見ましたよ」

 狩番が長いあごをさすり、ふしぎそうに言った。

「男が猟園に入り込んでいました。幽霊かどうかはわからないですが」

 狩番は昨夜、料理女と森番のじいさんと三人で、じいさんの小屋に行った。

「食事の後、じいさんの小屋に向かったところ、森のなかに何か動きましてね」

 気づいたのは料理女だった。ビルかい、と声をかけたところ、その影は走りだした。

「わたしはてっきり、例の不審者だと思って追いかけようとしたんですが、じいさんが腰ぬかしちまいましてね。ヒイヒイ泣いて、手を放さんものですから」

「時刻は」

「八時ぐらいでしたね」

 ニーヴスの死亡時刻に重なる。だが、猟園の外で殺害し、なお猟園になんの用があったのかわからない。

「こちらの従業員ということはないんですね」

「ビルとチャーリーはいっしょだったそうです」

 それに、と狩番はつけ加えた。

「ふたりよりも小柄だったとおもいますよ。一瞬だったのではっきりはしませんが」




 食事の後、リッチーはレフによりかかって、テレビを見ていた。
 ふたりでコメディ・ドラマを見て、ケタケタ笑っていた。
 時々、涙がにじみそうになる。だが、声をあげて笑った。
 レフのからだが温かい。骨ばっていたが、あたたかかった。それでよかった。




 ニーヴスの葬儀はひとが少なかった。
 デクリアの者たち、同じケントゥリア(百人隊)のデクリオンたち、わずかに彼の友人とおぼしい人々が来た。家族の姿はない。

(デクリオンが死んで、これか)

 ダンテは芝の上に立ち、参列する人々をぼんやり見ていた。

 ニーヴスが死に、ヴィラの水面下では小さなさわぎがあった。
 通常、デクリオンが暗殺されたとなれば、ミッレペダは全組織をあげて戦争の準備をはじめる。だが、ニーヴスは監査の疑いを受けていたという噂がながれた。

 ――監査に始末されたのか。

 という奇怪な憶測のため、人々は動きだしかねた。

 そうした不透明な気分のまま時間が過ぎ、葬儀はひっそり行われた。
 
 棺を墓穴に下ろした時、ダンテはリッチーを見た。リッチーは頬を凍らせて、うつろに立っていた。
 かたや、若いマービン・チャンは地面にへたりこみ、赤ん坊のように泣きわめいた。
 同僚が助け起こそうとすると、彼は抗って叫んだ。

「あいつだ」

 リッチーを指差して、赤い目を剥く。

「あいつが殺したんだ! あいつはサムを恨んでた。あいつだ!」

 同僚がマービンをたしなめ、連れ出そうとした。マービンはいよいよ暴れ、号泣した。

「あいつはサムの口を封じたんだ。あいつだ!」



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