犬狩り 第31話 |
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(リッチー、おまえは知っているのか) ダンテはそっと運転席を見た。リッチーはラジオにあわせ、鼻歌を歌っている。 ちらりとダンテを見て、クスクス笑った。 「シブミきかせちゃって。ブルーノさんじゃないみたいだ」 「じゃ、なんだ」 「スターみたい」 「やっぱり。よく言われるんだ」 「いや、スター・ウォーズに出てくるキャラクターの――」 ダンテがうなって小突くと、リッチーはケラケラ笑った。 ひとなつこい笑顔に、ダンテはものが言えなくなった。 リッチーの笑顔が好きだった。陽だまりで仔猫にじゃれつかれるような甘い気分になる。つい、見惚れ、抱きすくめたくなる。 (彼には知らせるまい) レフの調べは部下にさせ、最後の最後までリッチーには知らせずに置こう、とおもった。 「おやおや、番犬だ」 リッチーはあごをしゃくった。門の中に以前は見なかったマスチフが何匹か放されている。門扉の脇には大使館のように警備員が立っていた。 プレスコット邸は警備が強化されていた。 玄関ホールで、ボディガードがふたりのからだをチェックする。 ダンテが銃を持っていたため、ボディガードたちが中へ通そうとしない。警察官だと言っても、かたくなに聞かなかった。 「ばか者ども。いいんだ。そいつらは」 ようやくプレスコットが現れ、ふたりを招き入れた。 プレスコットはひどく苛立っていた。ハンサムだった容貌がげっそり痩せ、目の下が青黒い。 「捕まえたのか」 アイス・ブルーの目が据わった。 「いいえ」 「捕まえろ! 捕まえたという報告以外は聞きたくない!」 わたしは聞きたくない、と甲高くわめいた。 連日、目に見えぬ犯人に狙われる恐怖で追い詰められていた。葉巻をとり出しても、なかなか火をつけられずにいる。 ようやく一口吸い、 「能無しめ」 とダンテに毒づいた。 「なぜ、トリスタンを捕らえない」 「トリスタンは、セリエが死んだ時、サンノゼにいたんです。モンタン氏が死んだ時もこちらのお邸のカメラに映ってました。ミッレペダのスタッフが死んだ時には、尾行が見張っていた。彼はサンノゼの自宅にいました」 「殺し屋を雇ったんだろうよ」 「彼のつきあいも調査したんです。通信もチェックしている。まわりに犯罪組織の気配がないのですよ。――なぜ、トリスタンにそこまでこだわるんです?」 プレスコットは目を見開き、両手をひろげて見せた。 「あいつがそういったからさ!」 ダンテは耳をうたがった。 「彼が――自分で殺したと言ったのですか」 「自分で、とは言わん。だが、やつは犯人と通じている。猟園を手放さないと天罰を加えるそうだ。このわたしに! はっ!」 ダンテの思考が濁った。 (では――やはりトリスタンなのか?) 「具体的にあなたに何と言ったんですか」 プレスコットはフンと鼻を鳴らした。 「あの猟園を鹿狩りの猟園に戻すか、自分に売却するかしろと言ってきた。猟園を閉めないなら、自分もその男も容赦はしない、と!」 ダンテはついでにたずねた。 「彼は仲間がだれかとは言いませんでしたか」 プレスコットは知らなかった。ただ、早く殺せ、とだけわめいた。 西海岸に渡る時、ダンテはひとりで動いた。リッチーを連れなかった。 部下から着々と報告が入ってきている。 レフ・フォルトフはニーヴスの死んだ日、出版社のパーティーに出席していた。だが、その会場には遅れてきた。 ボストンの会場で八時半に目撃されている。もし、六時にニーヴスを殺したとしたら、余裕で間に合う。 さらに不穏な知らせがあった。 レフは、トリスタンと友人関係にあった。トリスタンの英会話教材のボランティア企画に無償で参加している。 トリスタンとつながっているということが不気味だった。 (リッチーには聞かせられない) サンフランシスコ国際空港に降り立つと、部下がダンテを出迎えた。 「犬のほうは確保しました。梱包しますか」 「犬じゃない」 ダンテは苦笑した。「会員の家族だ。裸に剥いたりするなよ」 サンフランシスコ支局のオフィスに入る。彼は地下の一室に案内された。 トリスタンは目隠しをされ、椅子に縛りつけられていた。ワイシャツはやや乱れ、口もとには血と打たれた痣がついている。抵抗したらしい。 ダンテは向かいに椅子を置き、腰を下ろした。 「手荒なマネをしてすまないね。なにしろ時間がない」 「――あなたか、やはり」 トリスタンの声は険しかった。 「馬鹿な。ぼくがあの男たちを殺したとでも思っているのか」 「それを確認するために呼んだ」 「拷問か。お得意の」 「そんな悠長な真似はせん」 スタッフに合図する。スタッフは肘掛に縛られたトリスタンの袖をまくった。トリスタンは何が起こるか察したように身もがき、わめいた。 「クスリはやめろ」 「殴るより効率的だ」 ダンテはそっけなく言った。「それに、むかしの自白剤とは違う。後遺症は残らん」 「そんなことをしなくても話す」 「きみはまばたきせずに嘘がつける」 「嘘は父を守るためだ! ぼくは犯人じゃない」 「――」 「疑うなら、ポリグラフにかけてくれ」 ダンテはスタッフを止めた。 「どういうことだ」 トリスタンはしばらく警戒して、身をこわばらせていたが、やがて、息を鎮めて言った。 「父を脅したのは、このままいけば、本当に犯人が父を殺すと思ったからだ」 「犯人が誰だか知っているのか」 知らない、とトリスタンは言った。 「だが、何を考えているかはわかる。犯人はたぶん、ぼくと同じだ。あの遊びを止めたい。だが、力がない。傍観者だ。傍観者であることがふがいなくて、しかたなく銃をとったんだ。しかたなく手を下したなら、父が猟園を閉めれば、犯人も手をゆるめるかもしれない。犯人が復讐者ならのぞみはないが、もし、正義のために手を汚しているなら――思いとどまるかもしれない。そう思ったからだ」 この話は、モンタン氏にもした、と言った。 「だが、あの人はぼくが犯人と通じていると勘違いした。ぼくは否定しなかった。恐れてでも、猟園を閉鎖してくれれば、それでよかった。――間に合わなかったが」 ダンテは目隠しされた男をむっつりと見つめた。 「――きみは父親と不仲だったはずだ」 「ああ、そうだ!」 トリスタンは歯を剥いた。 「あの男は嫌いだ! 死ねばいいと思う。だが、できることをせずに死なせたら、ぼくも同罪だ」 この先、あんな男のために罪悪感を抱いて暮らすなど、まっぴらだ、と言った。 ダンテは黙りこんだ。腹の底で、失意のため息をついていた。トリスタンの言葉に裏はない。この男は犯罪にかかわっていない。 「なぜ、傍観者だと思ったんだ?」 「ぼくが狩の獲物同然に殺されかけたなら、あんなやさしい殺し方はしない」 「誰だかわかるか」 トリスタンは首を振った。 ダンテは鼻息をつき、問いをかえた。 「漫画家のレフ・フォルトフを知っているな」 トリスタンは目隠しされた顔をわずかに向けた。知っている、と答えたが、とまどったようだった。 「親しい間柄か?」 「去年、仕事で知り合った。語学教材のボランティア企画に参加してくれた。以来、友だちづきあいをしている」 「家に招かれたり?」 「たまに」 「同性愛的なつきあいは?」 「ノー」 「きみの父上のご乱行を話したことは?」 彼はおどろいたようにうすく口を開いた。だが、ノーと答え、 「それはない。ブルーノさん。自分の父親が人殺しだなどと、ぼくは誰にも話せない」 ダンテはその声が少しかたくなったと思った。目隠しのせいで表情が見えない。 「やはり、クスリを使うべきだな」 「本当だ」 トリスタンは言った。 「猟園のことはレフに話してはいない。だが、ヴィラのことは話した」 ダンテはトリスタンの顔を見つめた。 「なんの話をした」 「彼は、彼のリッチー・キャットを探していた」 レフは自分の死期を知って、すぐにリッチーを探しはじめた。同性愛者用の高級クラブや同性愛の富豪をたずねては、ヴィラやミッレペダのことをたずねまわっていた。トリスタンは危険だとたしなめようとして、事情を知った。 「彼は時間がないと焦っていた。新聞広告を打つと言い出して、ぼくはしかたなく、父が会員だと打ち明けた。父に協力を頼め、と。ぼくの紹介では、話がまとまらなくなるから、自分で父に近づき、交渉するように言った」 ダンテはあえぎそうになった。 「レフはプレスコット氏と接触したのか! いつだ」 ダンテは機内で暗い雲海を眺め、レフの面影を思った。 スーパーマーケットの駐車場で、棒のように突っ立って待っていた。リッチーを見つめる青い目があたたかく濡れていた。 ダンテはすぐに負けた、と思った。 そのからだは痩せすぎて、みすぼらしくさえ見えたが、どこかがどっしりと落ち着いていた。死を前にして、本当に大事なものが何かわかった人間の、透きとおった静謐があった。 (――あの男は、リッチーのために、人を殺せる) だが、ニーヴス以外の殺人はどうなのか。彼がやったのか。 トリスタンは父親とレフが接触したかどうかはわからない、と言った。接触したら、おそらく連絡があるはずだが、彼は東へ行ったきり、音信不通だという。 (エクソダスに頼ることにしたからか。それとも、プレスコットに接触し、なにかを見たのか) なにを見たのか。なにを知ったのか。 (プレスコットに聞かなければ。その上で、レフも一度、尋問すべきだ) リッチーに言わずに手配するしかない、と思った。 だが、いつ打ち明けたらいいのかわからなかった。真実が明かされた時か。処刑した後か。 ローガン国際空港に降り、部下に連絡しようとした時、リッチーから電話が入った。 『プレスコット氏が殺されました』 |
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