犬狩り 第32話 |
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プレスコットの死はこれまでと様相が違っていた。 全裸に剥かれてもいなければ、首輪をあらわすベルトもない。 彼はニューヨークのセントラルパークで殺害されていた。 「死亡推定時刻はおよそ20時から22時。犯行当時、セントラルパークでは、アマチュア・オーケストラの野外コンサートがありました」 リッチーはニューヨーク市検死局で待っていた。ダンテが現れると、よけいなことを言わずに、すぐメモを読んだ。 「犯人は演奏に紛れて、発砲したようです。発見者は――」 「なぜ、プレスコットはそんなところにいたんだ!」 ダンテはわめいた。 プレスコットは痩せ細るほどにおびえていた。ボディガードで家をかため、戦々恐々と暮らしていたはずだった。 それがのこのこと壁のない人ごみに出てきたのはなぜなのか。 リッチーが所在なげに目を伏せて待っている。ダンテは手を振り、「発見者は?」と聞いた。 「コンサートを見にきていた韓国の留学生です。コンサートが終わって、帰ろうとした時、死体につまづいて通報してきました。犯人らしい人物は見かけていません」 犯人は演奏か拍手にまぎれて、プレスコットを撃ち、立ち去った。野外コンサートの観客はみな草の上か、家から持ち出したシートの上で寝そべって聞く。倒れていた男は目立たなかっただろう。 「あと、そばにこれが」 リッチーはビニール袋に入れたものを差し出した。一枚のコースターだった。裏には手書きで、小さなメッセージが残されていた。 ――ゲーム コンプリート イスマエル ボディガードはプレスコットの自宅にいた。 前回、ケルベロスのように門を守っていた屈強な男たちが、狼狽しきってダンテを迎えた。 「プレスコット氏はいつのまにか出ていかれたのです」 ボディガードは苦渋の表情を浮かべて言った。 「わたしたちはお休みになっているものだとばかり――。最近は具合がよろしくなかったので」 ダンテは夫人をたずねた。夫人はショックを受けてはいたが、取り乱してはいなかった。 「電話がありました」 夫人はすぐに言った。「夕方、七時ごろ。何者かから呼び出されたんです。わたしは誰か連れて行くように言ったのですが、絶対に誰にも知らせるなと叱られました。なにか秘密の用だったらしくて」 いやな予感がしたんですが、と目を沈ませた。 「いつも教会に行くように言ったのに、まるで聞きませんでした。それがあわてて飛び出していって」 夫人は、きっと神様がなさったのでしょう、とつぶやいた。 (ばかな。――人間だ) もはや手段を選べなかった。ダンテは部下にレフの捕獲を命じた。 しかし、レフはすでに消えていた。 『レキシントンの友人宅にはいません。事件の前日に出ています』 『西海岸の自宅は売却した後です』 『ホノルルにも入っていません』 ダンテはリッチーに聞かざるを得なかった。 「レフの行方を知りたい。あいつに聞きたいことがある」 リッチーは少し眉をひそめ、 「レフは仕事で出かけるって言ってました。でも、一週間ほどで戻ります」 もの問いたげに見つめる。 ダンテはついに猫の毛の件を打ち明けた。レフがトリスタンとつながっていたこと、プレスコットと会った可能性も話した。 「レフを尋問する。もしシロなら放免だ」 リッチーは顔を蒼ざめさせたが、騒がなかった。 「彼はかならず戻ります。おれを置いてどっか行くわけない。でも、彼がシロだとわかったらどうします」 ほかの連中のアリバイを確認しておいたほうがいいのではないか、と言った。 だが、ローリー・モンタンと秘書ヘイスティングズは潔白であった。それぞれにつけていた尾行が犯行時刻の居場所を確認している。 トリスタンは解放されたばかりで、自宅で伸びていた。 ホテルに帰り、ダンテはワシントン・オフィスからのメッセージを聞いた。 ――弾丸はモンタンに使用されたものと同じ22LR。同じ線状痕がついていた。 (便乗殺人ではないのだ) ダンテはどっぷり疲れて、湯船につかった。 これまでとスタイルを変えたのはなぜなのか。 連続殺人者は事情が許すかぎり、スタイルを変えない。メッセージを残すような自己顕示欲の高い犯人は、スタイルに執着する。 (ニーヴスが死ぬのもおかしい) ニーヴスは主人ではない。予定になかったはずだ。 なにかアクシデントがおきたのだろうか。ニーヴスは何か嗅ぎつけたのか。どうやって? 自分にはなぜ、それが見えてこないのか。 そして、ニーヴスはなぜ油断したのか。ミッレペダの男がなぜむざむざとやられたのか。 (ゲーム・コンプリート) 予告された殺人はすべてなされた。ダンテは手をつかねて見ていただけだった。 重い罪悪感にからめとられそうになる。彼は湯で顔をこすった。 (嘆いている場合じゃないんだ。考えろ) レフの行方がわからなかった。 仕事ではない。レフのエージェントもここ半年、彼は休業中のはずだ、と言った。 彼の故郷であるニュージャージーにも連絡をとったが、ワシントンのスタッフは、最近、きれいに改築した両親の実家へも息子が帰っていないことを確認した。 仲間から報告を聞き、ダンテは目を閉じた。 (逃げたのか) それとも、と胸が騒いだ。 (すでに死んでいるのではないか) 彼は何かをやり遂げるために、現れた。すべての用が終わって、あとはこの世界からひっそり消え去ろうとしているのではないか。 リッチーから連絡が入った。 『レフは見つかりましたか』 ダンテはたまらず言った。 「リッチー。何か知っているなら話してくれないか。レフがもし犯人なら、――戻らないかもしれん。自殺する可能性がある」 『あの、いま出てこれますか?』 リッチーは気ぜわしくさえぎった。 『猟園のほうに変なものが見つかったんです』 タクシーでアシュベリー市に入ると、猟園の鉄の門の前にリッチーが車で待っていた。 ダンテはその隣に乗り込んだ。 「なんだい。変なものって」 「ここじゃない。ニーヴスの足取りを追います」 リッチーは猟園の縁をめぐって車を走らせた。黙々と運転し、ダンテを見ない。 ダンテは大気の涼しさに気づき、不意にせつなくなった。 リッチーとはじめてドライブした日は、もう少し陽が強かった。緑が濃かった。あの日は愉快だった。恋の訪れにはしゃいでいた。リッチーの恋人が事件に関わっているなど、かけらも思わなかった。 (おれがレフを始末することになったら、こいつはどんな顔をするだろう) かなしくリッチーを見やり、ダンテはふと目をとめた。 リッチーの背広の肩口に短い白いものがそよいでいた。動物の毛のようだった。 「ここです」 リッチーは車を停めた。車道の下には、海のように森が広がっていた。 「降りましょう」 そういって、リッチーは車の外に出た。 ダンテは降りて、森を眺めた。猟園につながる森だろうか。 リッチーの意図がわからずふりむくと、銃口が自分に据えられていた。 ダンテは目をしばたいた。 「手をあげて」 リッチーは軽く銃でうながした。 ダンテは驚愕して、小柄な相棒を見つめた。 「手をあげて」 リッチーは無表情にくりかえした。 「こんな結果になるとはおもわなかった。せっかく逃げられたと思ったら、レフが疑われるなんてね」 「リッチー」 ダンテはあわてた。「落ち着け。まだレフと決まったわけじゃない」 バカだな。あんたは、とリッチーはにがい顔をした。 「どうしてレフが? レフが猟園のことなんか知るはずないじゃないか。ましてやイスマエルのことなんか。猟園のことも、イスマエルのことも。知っているのは、おれだよ」 ダンテは絶句した。 ふしぎな光景がひらけていた。 ふしぎな獣がくろぐろと彼の前に佇んでいた。彼に暗い銃口をひたと据え、水晶のようにしずかな眼で見ていた。 最後だからしゃべるね、とリッチーは物憂く言った。 「イスマエルを捕まえた時、彼はおれに猟園のことを訴えたんだ」 イスマエルは猟園の残酷なゲームのことを明かした。多くの若者が遊びのために殺されている、自分も殺されかけ、命からがら逃げてきた、助けてくれ、とすがった。 「必死だったよ。帰さないでくれ、とか。主人を説得して、人殺しをやめさせてくれ、とか。『犬でもいい。おれはまだ生きたい。まだ若いんだ』って。だが、皮肉にもジャーナリストの件で、こちらが彼を処分しなきゃならなくなった。あいつは最後まで暴れた。麻酔がなかなか効かなくて――最後に、お母さんって言って、死んだ」 こたえた、と言った。 リッチーの目が暗く据わった。 「これがおれの仕事だ。ふつうに、幸せに暮らしていた若いやつらを檻にぶちこむ。裸に剥いて、金持ちのもとに届ける。事故があれば始末する。犬狩りだ」 しかたないことだ、と言った。 「しかたない! この世界は原始的で、とても野蛮だ。政府も法も飾りにすぎない。羊のようにある日、突然、屠られたくなければ、狼の手伝いをするほかない。より強い狼の」 リッチーは自嘲的に微笑った。 「でも、時々、気が狂いそうになるんだよ。時々、わからなくなる。どうして、こんなことしながら、生きてるんだろうって。――」 だから、ヤケをおこしたんだ、と言った。 (リッチー、うそだろ) ダンテは銃口を見、リッチーを見つめた。 リッチーの手元は揺るがない。ダンテは圧され、ふりかえった。 足元の地面がなかった。九十度に近い急坂が、かかとの下から深く刳れていた。 「少し、掃除してやった。猟園のろくでなしどもを始末した。セリエ、モンタン――。モンタンを殺った時、ニーヴスは気づいた。あいつは悪賢くて、あんたの言うとおり、吸血鬼だった。しかたなかった」 かかとが空を踏み、ダンテはあわてた。リッチーがゆっくり近づいてくる。 「リッチー、よせ」 「最後にプレスコットを殺した。ミッションは完成した。だが、こんなおまけがついてくるとは」 「きみ、本気か。本気でおれを殺すのか」 リッチーの目が青みをおびて光った。 「ごめんね。ブルーノさん」 ダンテが口をひらきかけた途端、爆発音とともに衝撃がはじけた。彼は宙に吹き飛ばされた。 |
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