犬狩り  第33話

 わき腹がひどく疼いていた。
 ダンテはほそく目を開いた。

(まだ生きてる)

 とおもった。
 撃たれたことは覚えていた。崖から落ち、ボールのように転がり、もみくちゃになって地面に叩きつけられたのだ。

 目玉を動かすと、まだ崖の下にいた。

(止血しなけりゃ)

 血を求めて動物が来る。ニーヴスのような赤剥けの肉にされてしまう。

 ダンテは指先を動かし、肘に力を入れた。からだは重く、亀裂が走るように痛んだが、動くことが出来た。

 ワイシャツを見ておどろいた。ほとんど出血していない。

(当てなかったのか?)

 よく見ると、ガバメントの銃床が破損していた。銃に当たり、衝撃で後ろに跳ね飛んでしまったらしい。

 立ち上がると左の足首が鋭く痛んだ。

「ま、損傷軽微だ」

 ダンテは足を引きずり、木々の下を歩いた。
 早く森を出ないと、せっかく命が助かっても遭難してしまう。
 さいわいハイウェイが近かった。彼はハイウェイ沿いをよたよた歩き、車が通りかかるのを待った。

(イヴ。おれ完全にフラレたよ)

 足をひきずりながら、ダンテはぼんやり思った。

(リッチーに撃たれちゃった。あのかわいいやつに)

 ショックだよ、とつぶやいた。泣きたいぐらい、ショックだ。

 ダンテは自分が泣いているのではないか、とおもった。さいわい左目のまぶたが腫れきって、頬は焼けるように熱かった。頭は朦朧とかすみがかかり、裏切りに泣くだけの力はない。

 ボロボロだった。完膚なきまでにやられた。ボストンに来てから、いいことなど何もなかった、とおもった。

(はやくワシントンに帰りたい)

 ニューハンプシャーにはうんざりだった。カエデも、メイプル・シロップも二度と見たくなかった。
 浮気者でもいい。小ずるくてもいい。年上の相棒のあたたかいベッドにもぐりこみたい、と泣くようにおもった。




「アーニー! ハッピー・バースデー!」

 パブの中は野太いバースデー・ソングの合唱で揺れていた。アーニーを知る者も知らない者も気さくに誕生日を祝っている。
 リッチーもその間にいた。

「彼、来ないのかい? ミスター・FBIは」

 同じデクリアの同僚がリッチーの隣に座った。

「今日は別行動だったんだ」

「呼べよ。気晴らしに」

 同僚はジャーキーを口に放り、

「結局、イスマエルのいいようにされちまったんだから。しょげてるぞ、きっと」

「そっとしといたほうがいいんじゃない? かえって」

 リッチーは笑った。

「ひとりで飲みたい気分だと思うよ。同情されるのもつらいだろ」

 そうかね、と同僚が立ち上がろうとした時だった。
 店の奥がざわめいた。人ごみをかきわけて、大柄な男が踏み入ってきた。
 金髪は額にはりつき、スーツは泥まみれだった。腫れた目を瞋らせて、雷のように、

「リッチー」

 と怒鳴った。
 店中が静まり返った。

 リッチーはカウンターで眠そうにダンテを見ていた。

「へえ。けっこうタフなんだ」

 クスリと妖婦のように笑った。




『犯行の動機は?』

『犬がかわいそうだったからですよ』

『犬がとは、イスマエルのことか』

『イスマエルはきっかけです』

 ダンテは隣室から、尋問を見ていた。リッチーは退屈そうに問いに答えている。
 だるそうな姿勢で聞いたが、抵抗はしない。問われれば、淡々と答えた。負けを認め、すべてあきらめたようだった。

『セリエの殺害から聞かせてくれ』

『朝、猟園に忍びこんで、ゲームの開始を待ちました。遠回りすれば、あそこはノーチェックで入れるんです。セリエを射殺し、身ぐるみ剥いで、メッセージを残した。造作もないことです』

『侵入した形跡はどうやって消した』

『靴を借りたんですよ。以前、猟園をたずねた時、スタッフの靴を一足失敬しておきました。スタッフの足跡なら猟園にあってもバレない。これは、あとで戻しておきました』

 さらに彼はダンテの捜査を妨害しようと考えた、と言った。つねに隣にいて、現場をかく乱したり、情報をゆがめることができた。

『あのひとは、身内のわたしに警戒しなかった。かなりの証拠を彼の前で潰すことが出来ました』

 ダンテはさびしくリッチーの告白を聞いていた。
 モンタンが死ぬ前夜、リッチーは泣いてダンテの胸に飛び込んできた。ニーヴスに裏切られ、身も世もなく泣いていた。

 ――だれが、おれと、いてくれる。おれには、だれもいない。もう、だれもいない!

 ダンテは手のひらに目を落とした。かわいい仔猫を抱いた手に、赤い擦り傷が走っていた。

(あれが全部芝居だったのかよ)

 リッチーの尋問は三日に渡った。途中、ダンテ自らが尋問にあたることもあった。

「きみはニーヴスを殺せない。きみはあの晩、おれといた」

 いましたね、とリッチーは眠たげに言った。

「あの日、あなたを誘ったのは、そう言って欲しかったからです。アリバイ工作のためだった。あなたは睡眠薬の入った酒を飲んだ。あなたが眠り込んでいる間に、出て行き、ニーヴスを殺したんです。帰ってきて、シャワーを浴びて、もう一度ベッドにもぐりこんだ」

「だが、八時に猟園には出られなかったはずだ。おれたちはあの後――」

「あなたが寝入ったのが七時少しすぎくらいです。すぐ出ました。死亡推定時刻はあてにならないものですよ」

 ダンテはカッとなった。うそをつけ、と怒鳴った。

「おれは八時のニュースを聞いたんだよ! きみが水をくれた時、あれは八時だったんだ。間違いない。八時にきみは部屋にいたんだ! ニーヴスは殺せない!」

 リッチーはじっと見返した。

「わたしはあなたに水をあげたりしてませんよ」

「なに」

「夢でしょう。それは」


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