犬狩り  第34話

(リッチーは嘘をついている)

 ダンテは座り、足首の痛みに眉をしかめた。足首は捻挫して、仔豚のようにふくれていた。

 リッチーはすべての犯行を自供し、ひとつひとつトリックを明かした。
 だが、証拠は何ひとつない。ダンテを突き落としたという事実があるだけだった。

(それに、時間の話もでたらめだ)

 リッチーが水を飲むかと聞いた時、窓からテレビの音が聞こえていた。
 ダンテは時計が八時を示したのを映像で覚えている。

 時計どおり八時だとすれば、それからすぐリッチーが飛び出したとしても猟園につくまでに十時半前後になってしまう。
 それでは死亡推定時刻と大いにズレる。監察医は「心筋の緩解がはじまっている」と言った。

 心筋の緩解は通常だと十二時間から十四時間ではじまる。冷涼な夜の森でそれほど気温が上昇するはずがないから、早まったとは考えにくい。

(それに)

 ダンテは足首を見つめ唸った。

(あいつはおれを殺さなかった)

 撃たれ、突き落とされたが、彼は生きていた。生きられるようにしたとしか思えなかった。

(情で手がにぶったのか。それとも、おれがそう思いたいのか)

 悩んだが、どうしてもミッレペダの男が至近距離で撃ち損じたとはおもえなかった。

 ――本気なら心臓を撃てたはずだ。

(あのばか)

 銃を狙って撃ったのだ。ダンテはにがにがしく毒づいた。




 リッチーの事件は、ヴィラ上層部を狼狽させた。

「アフリカ移送? 誰が許可したんですか!」

 ダンテはボストン支局の長、ケントゥリオ(百人隊長)に食ってかかった。

「この件はわたしの管轄下にあるはずだ。捜査はまだ終わってない。わたしは許可しませんよ!」

「もうあんたの手を離れているんだ、この件は」

 調査班のオプティオが横から言う。

「この件は極秘扱いになった。客や犬のトラブルじゃない。ミッレペダの人間が手を下したんだ。これが表に出ればヴィラは致命的な傷を負う。上はわれわれに緘口令をしいてきたんだよ。この調査はアフリカで――」

「アフリカに調査機関なんかない! 処刑があるだけだ!」

 ダンテは彼をおしのけ、ケントゥリオのデスクにつかみかかった。

「シェパードはシロです。自白は全部デタラメです。やつはニーヴスを殺してないし、ほかの連中だって――」

「だが、きみを崖から突き落としたんじゃないのかね」

 ケントゥリオは低く言った。

「たとえ何かを隠しているにせよ、仲間殺しをするような男を、わたしの手もとに置いておくわけにはいかない」

「あれはちがいます」

 ダンテは言い張った。

「あれは――わたしの勘違いでした。彼が妙な話をしたんで、おどろいて足を踏み外したんです。単なる事故です。リッチーは恋人の看病疲れで、頭が変になってるんですよ」

 お願いします、とダンテはケントゥリオにしがみつかんばかりに言った。

「あと少し待ってください。真犯人はもうわかってる。そいつさえ引っ張ってきたら――」

 その時、電話が鳴った。ケントゥリオは受話器をとり、短く答えた。
 電話を置くと、

「シェパードが自白した位置から、ニーヴスの衣類が見つかった」

 と言った。




 ダンテはリッチーの監房をたずねた。
 通常、拉致された犬がいれられる部屋で、リッチーは壁にもたれて座っていた。

「やあ。リッチー」

 ダンテは椅子に腰をおろし、金網ごしにリッチーを見た。リッチーは細いベッドに座ったまま、顔を向けた。

「こんにちは。ブルーノさん」

 リッチーは面倒くさそうに見返した。

「――恨み言を言いに来たんですか?」

「恨み言なんか言う必要はない。きみはもうすぐ殺される」

 ダンテは陰気に言った。

「銃殺はありえない。きみはスタッフでありながら、ヴィラに反逆した。処刑は残酷なものになる」

「トルソー(四肢切断)?」

「もっと苛酷な刑になるだろう」

 リッチーはかすかにかなしげな顔をした。

「そうなる前に死ねればいいな」

「きみは死ぬ気なのかい」

 ダンテは言った。

「レフを置いて」

 リッチーの目がにぶくなった。蝋が被うように表情が消える。

「しかたない。もう少しだったけど、おれはしくじった。おれがやったことだ。あいつまで巻き添えにできない」

「きみが帰らなきゃ、レフは死ぬ」

 ダンテはリッチーを見据えた。

「失意のなかで死ぬだろう」

 リッチーの目がわずかに揺れた。

「リッチー、きみ」

「ブルーノさん。もしよかったら、レフに会ってやってよ。おれのことはうまく言いつくろって――。いい男の子がいたら、紹介してあげてくれないかな」

 最後の頼み、と笑ってみせた。
 すぐに窓の外を見るふりをして、背をむける。

 ワイシャツの肩がひどく小さく見えた。影に溶け込むように小さく、はかない。
 
 ダンテは跳ね上がって怒鳴った。

「きみは間違ってるぞ! やつが何をやったにせよ、やつが、きみにそんなことされてうれしいと思うのか」

「おれはミネアポリスで」

 リッチーは押し殺したように言った。

「あいつと会って、変わっちまった。もう、仕事ができなくなった。犬狩りがつらくて、前と同じレベルで仕事ができなかった。部下の不正も見抜けなかった。ニーヴスにくっついてたけど、つらくて――」

 リッチーの声がにごった。

「ずっとつらかった。でも、ミッレペダを辞めて、どうしたらいいのか。いまさら、どうしたらいいのか」

 だから、あいつがもう一度手をさし出してくれて、うれしかった、と腕で涙をぬぐった。

「あいつは融通がきかなくて――、一生許してくれないと思ってた。こんな奇跡が起こるんだなあって。少しの間だけど、幸せでしたよ」

 すみません、と言って、リッチーは腕で目をおさえ、黙った。その背が小刻みに揺れるさまを見て、ダンテは胸苦しくなった。

(ばかめ)

 ダンテは金網の前で歯軋りした。




 ダンテははじめて、レフの借り家を訪れた。
 レフがレキシントンの借り家に戻っているという報告があった。

 ダンテが行くと、レフはあっさり出てきた。スーパーマーケットの前にいた時よりも、こころなしか血色がよい。青い目がまぶしげにダンテを見つめた。
 ダンテは言った。

「リッチーのことで」



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