犬狩り 第35話 |
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ダンテは名乗らず、レフもあえて問わなかった。彼はすぐにダンテを家へ迎え入れた。ソファに座るや落ち着かなげに、 「リッチーがどうかしたのか」 とたずねた。 かわいい恋人が姿を見せず心配していたのだろう。 「その前に、ここ数日、どこにいたんです?」 ダンテの問いにレフは目をしばたいた。 「――ケープコッドに」 「は?」 レフはボストン近郊にいたと言った。海に近いモーテルで、閉じこもって漫画を描いていたという。 ダンテはうめきそうになった。おそらくカードを使わなかったか何かで、捜査網をすり抜けたに違いない。 「なぜ、外で描く必要があるんだ?」 「なんで、外で描いちゃいけないんだ」 レフは少し苛立ったように、 「それより、リッチーについて聞かせてくれ。彼はどこへ行ったんだ」 「リッチーはいま、処刑される寸前だ。客を殺した容疑、仲間を殺した容疑がかかっている」 ダンテの言葉にレフは大きく目をみはった。みるみるその顔色が赤黒く変わる。 「よくも」 歯を剥いたと思うと、身をおどらせ、ダンテに飛びかかった、長身がひとかたまりに咽喉にぶつかってくる。 ダンテはとっさに身をかわした。 「リッチーをかえせ」 長い腕がネクタイがつかむ。拳が舞った。ダンテはその手をつかみ、巻き取るように細身をソファに叩きつけた。 レフはすぐ跳ね起きようとした。ダンテがその腹に飛び乗る。レフの弱った筋肉は跳ね上げられなかった。彼は目を剥き、興奮した犬のようにはげしく吠えたてた。 「リッチーを返せ! 撃ち殺してやる。きさまら全員撃ち殺してやる! あのビルごと爆破してやる!」 「落ち着け」 「おまえらはやっぱりろくでなしだ。仲間さえ殺すのか。ひとを売り買いするだけじゃ飽き足らず、手足として使った人間さえ殺すのか!」 ダンテは怒鳴った。 「リッチーはおれを撃った。崖から突き落とした。これは事実だ。あいつはあんたを庇ってるんだ。疑いが自分にかかるように、おれに向かってきたんだ。あいつはあんたの代わりに死ぬつもりだ!」 レフの青い目が大きくなった。 「おれの?」 彼はおどろいて、聞いた。 「おれの何をかばうんだ?」 ダンテは面食らった。 ――こいつ。すこしおかしいのか。 だが、レフはあやしむように眉をひそめ、ダンテに説明を求めた。 「おれは何もしていない。リッチーはおれの何をかばうって言うんだ?」 「きさま――」 「ア」 あれか、とにわかにレフは頓狂な声をあげた。 「あの男のことか。あいつはもう死んでたぞ。あれはおれが殺したんじゃないぞ」 「だれの話だ」 「リッチーの仲間とかいう、両目の色の違う――あれはおれがアーリントンの家に行った時、もう死んでた。あれはおれじゃない」 ダンテは目をしばたいた。なにか今、おかしなことを聞いた。家? 「フォルトフさん。ニーヴスは家で死んでたのか」 「そうだ。おれが行った時はもう死んでた。息をしてなかったし、心臓も停まってた」 「家?」 ダンテは腹の上に乗ったまま、わけがわからず繰り返した。 「あいつは森に連れ込まれたんじゃないのか」 レフはダンテをじっと見つめた。 「どいてくれ。最初から話そう」 座りなおすと、レフはニーヴスが彼に接触してきたことを話した。ニーヴスは、一枚の写真を見せ、それを公表すると、リッチーはヴィラ・カプリから抹殺されると言った。 「なんだ、その写真って」 レフは言おうとして、警戒した。 「おれはあんたが何者か知らん」 「おれはリッチーの友だちだ。彼を助けたい」 だが、レフはリッチーの前で明かす、と言って、話を戻した。 ニーヴスは彼に現金で五千万ドル用意するように言った。 レフは待ち合わせの日、レストランの駐車場で待った。現れたニーヴスの車に発信機をしかけ、ニーヴス本人には会わなかった。 脅迫者が一度であきらめることはない。リッチーのため、ニーヴスを殺すつもりだった。 夜、銃を手に、発信機の示す場所にゆくと、 「――おれがいったらもう死んでたんだ」 「家でか」 「リビングで。マントルピースの前で仰向けに倒れてた。頭の後ろから血が出てたが、まだ寝てるみたいにあったかかった」 レフはニーヴスの死を確認すると、急いで出版パーティーに駆けつけたという。それは七時半だった。 ダンテは目をしばたいた。 「じゃ、誰だ」 「おれは知らん」 「おい、いいかげんなことを言っているんじゃないだろうな。証拠は」 「証拠はない」 レフも困惑して言った。 「証拠はないが、犯人は女だよ」 「なぜ」 「香水のにおいがしてた」 「香水? 男も香水はつける」 「男のじゃないな。すごく甘ったるいにおいだ」 「甘いってどんなだ」 「なんというか、イチゴみたいな」 ダンテは不意にポケットの中身を思い出した。 「これじゃないか」 キャンディーの包み紙を取り出し、レフの鼻に押しつける。レフはにおいを嗅ぎ、目を丸くした。 「これだ」 「くそっ! あいつか!」 ダンテはわめき、携帯電話を取り出した。 「もしもし。おれだ。マービン! マービン・チャンを捕まえろ。ニーヴス殺しの重要参考人だ。――いや、リッチーじゃない。え? リッチーが?」 ダンテは相手のわめき声を聞き、血の気を引かせた。 「死んだのか?」 相手が興奮してわめく。 「くそったれ!」 彼は電話を切って、立ち上がった。レフがおどろく。 「いったい――」 「リッチーが脱走して、撃たれた」 ダンテは部屋を飛び出した。レフがその腕をつかんで引き戻す。形相が変わっていた。 「どういうことだ。リッチーを殺したのか」 「リッチーは逃亡をはかったんだ」 「彼は生きてるのか」 「知らん! いま病院だ!」 (逃亡だと? どこへ行くっていうんだ) 逃げられないのは、リッチーが一番よく知っているはずだった。 (わざと撃たせたのか。自殺か) どうしてもっと待てなかったのか。 玄関を開け、ダンテは息をつめた。 (リッチー) リッチーは門から入ってくるところだった。手に大きな買い物袋を下げていた。 ダンテは混乱しかけた。 「リッチー、きみ」 レフが脇から転がるように飛び出す。 「リッチー、どこだ」 「レフ!」 リッチーは買い物袋を運んで、やあ、と笑いかけた。 「お帰り、レフ。元気だった?」 しかし、レフはとまどって庭を見回した。 「リッチー? おい、どこだ」 リッチーはなつかしげにレフを見あげ、 「来るのが、遅れてごめん。買い物に手間取ってさ。――今日、うまいもの作ってやるよ。リッチーズ・スペシャル。おいしくて、からだにいい、しかもリーズナブル」 買い物袋をかかげて、うれしそうに笑う。 「キノコまたたくさん買って来た。繊維はからだにいいからね」 ダンテは眼前の風景の異質さに気づいた。 「リッチー」 声がふるえる。リッチー、きみ。 リッチーはふりかえり、ダンテを見てニッと笑った。 黒い眉が下がり、愛らしい笑いが透きとおる。その姿がすっと煙のように溶けていった。 ダンテは言葉をうしない、立ち尽くした。レフがしきりにリッチーを探している。 ポーチにはふたり以外、誰もいなかった。 |
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