ジョーディの旅 第2話

 男の薄くなった赤毛には見覚えがあった。

  ――ソロモン・デイル

 一年前、ラロが捕まえたベイル・ジャンパーだった。

 この男は隣人の犬を撃ち殺し、訴えられた。さらに隣人まで撃ったため、逮捕された。
 保釈保証会社の金で、いったん保釈されたが、そのまま逃亡し、裁判までに戻らなかった。

 会社はラロに依頼した。ラロはこれを捕まえ、連れ戻した。
 まだ当分、刑務所にいるはずである。

 男はラロに、プラスチックの手錠を数本投げてよこした。

「そいつで自分の足を縛れ」

「ソロモン。ずいぶん早く出てきたじゃないか――」

「聞こえねえのか! さっさと言ったことをやるんだ!」

 ラロはのろのろとプラスチックの手錠に手を伸ばした。緩めにかけたが、これは動くとすぐ締まる。

「次は手だ」

「自分では無理だな」

「やれ。このかわいいおカマちゃんの頭を吹っ飛ばすぜ」

 ジョーディは人形のように抱えられていた。顔はあいかわらず無表情だった。

 ――銃は。

 ラロは武器のありかを思った。キッチンと玄関の銃は、ジョーディに触らせたくなくて片付けてしまった。寝室かクロゼットに行かなくてはならない。遠い。

 ――先にジョーディから関心をそらすことだ。

 ラロはプラスチックの手錠で輪をつくり、そこに手首を入れながら、

「いったいなんだってんだ? ムショでつらい目に遭ったのかい? おまえみたいな不細工でも、連中にゃモテモテだったのかい」

 男は答えず、ラロが手首に手錠を嵌めるのを待っていた。プラスチックのリボンが手首を締め付けるのを見て、

「こいつで自分の足を突き刺せ」

 と、アイスピックを投げた。

 ラロは男を見上げた。

「やるんだ」

 男は黄色い歯を見せた。

「その丸太みたいな足に穴をあけるんだよ! 薄汚ねえハイエナめ! 氷みたいに砕くんだ。それとも先に腹がいいか? 目か?」

「――」

「やれ! こいつを吹っ飛ばされたいのか!」

 ねじむように銃口がジョーディのこめかみに据えつけられた。
 その時、ジョーディの顔色が変わった。頬が引き攣れるように歪んだ。

「キ、キイイ」

 咽喉から針金のような悲鳴が洩れ、細身がカタカタと痙攣した。

「――ッ」

 ジョーディは大きく口をあけ、かすれた悲鳴をあげた。白目を剥き、縛られた身をもがき、感電したように激しく跳ね上がる。

 異変に男の目が揺れた。 
 次の瞬間、ラロは飛びかかっていた。

 顔の前に黒い銃口あった。爆音と同時に、頬が焼けた。次の銃声で腕の骨が破裂した。
 ジョーディが魚のように跳ねて逃げていく。

 ラロの肘が男の咽喉を打った。男が倒れ、ラロが折り重なる。すかさず、顔に拳を叩き込む。その手から銃をもぎとった。

 だが、男はラロの体重の下から逃れ出た。ラロは銃把を握ろうとして手間取った。血ですべる。

 男が転げ出ていく。ラロは撃った。男は止まらなかった。玄関から走り出てしまった。
 ラロはさらに撃ち、銃を構えたまま、入り口を凝視した。

 戻ってくる気配はない。
 ラロはハサミをさがした。苦労して手錠を切ると、左手が血まみれになっていた。足の拘束を切り、ジョーディを探した。

「ジョーディ?」

 ジョーディは寝室まで逃げ込んでいた。
 ベッドの陰で胎児のように丸まり、ふるえている。その尻には失禁の痕が黒く染みていた。

 ラロは警察に連絡した。番号を押す指がアドレナリンで震えていた。
 事情を話し、さらにグリーンウッド神父に電話をかけた。ジョーディのことを頼んでいる最中に気をうしなった。




「なぜ、酒を飲んでるんだ」

 グリーンウッド神父は、キッチンの椅子に腰を下ろした。
 ラロはテーブルに肘をつき、こめかみを押さえている。

「ブラインド、下ろしてもいいですか」

「だめだよ。光が必要だ。きみには」

 サーバーにコーヒーが落ちていた。神父はサーバーをとり、熱いコーヒーをカップに注いだ。ラロの前にすすめてやり、

「楽しくはないだろう。酒なんか飲んでも」

 ラロは目をとじたままでいる。やがて、その唇が笑うようにゆがんだ。

「楽しいことなんか、なんにもありませんよ。もとから」

 頬の赤傷がなまなましく浮き出た。
 銃弾は彼の顔から頬肉を削り取った。第二発は左腕の骨を打ち砕いた。
 骨は接ぎかかっていたが、大柄なからだは生気をうしなっている。

 ジョーディのいない生活にぼう然としている。何をしたらいいか、わからないようだった。
 神父は自分のカップにもコーヒーをそそいだ。

「ジョーディに会いに行ったらどうだい」

 ラロはわずかに首を振った。

「なぜ」

「あいつは怒ってるよ」

 ふいにその唇が震えた。

「おれに裏切られたって、わかってる。あいつはそういうことはわかるんだ。おれなんか、顔も見たくないだろう」

 彼は顔をしかめてコーヒーを飲んだ。
 神父はカップの湯気を見つめ、黙っていた。

 もともと神父は、ラロがジョーディと暮らすと言った時点で、このことを案じていた。
 その時、ラロは覚悟の上だ、と言った。

 ――そりゃ、いろんな危険はありますよ。施設が火事になるかもしれないしね。ジョーディだって不死身じゃないんだ。いずれ死にます。でも生きている間は、シェルターで隠れて暮らすより、楽しく、うまいものを喰って生きたほうがいいじゃないですか。

(それが、このザマだ)

 神父は目をあげ、大男を見た。
 大きな体が、はらわたをごっそり抜かれたように、折れ曲がっていた。雄偉な肩が小さくちぢみ、太い頸は頭を支えられずにいる。

 ジョーディは彼の家族だった。
 ゲイで、子どもをもてない彼が、不恰好ながら、はじめて得た自分の家庭だった。
 その家族を放逐してしまった。家長のプライドは砕け散り、ラロは膝を抱え、途方にくれていた。

「きみがジョーディなら」

 神父は言った。

「たぶん、施設で待ち焦がれていると思うよ。明日にでも会いにいかないか」

 ラロはまた沈黙した。
 その時、神父の携帯電話が鳴った。止めようとして、神父は相手の名に目を細めた。

「失礼」

 彼はリビングに抜けて、電話に出た。
 知らせを受け、神父は眉をひそめた。彼はラロに知らせた。

「ジョーディが施設を抜け出した。いま、警察に届けを出したそうだ」



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