ジョーディの旅 第4話

 ジョーディは木のスプーンで、熱いシチューを慎重に掬って口にいれた。
 目をとじて、温かさをかみ締めた。ほおと胸と胃が、じわりとあたたまって心地よい。

 じつのところ、皿に顔をつっこみたかったが、耐えていた。落ち着いてスプーンで食べると、あの大男がよろこぶからだ。

 ――ジョーディ。グッドボーイ。

 感嘆したように言い、彼の髪の毛をぐしゃっとつかむ。
 機嫌がいい時、ラロはよく彼の髪をつかんだ。掻き回したり、撫でたりした。
 ジョーディにとっても、それは心地よい感触だった。

 ジョーディはふと、ポケットのボロボロの封筒を取り出した。中から写真をとりだし、そこにいるラロの頭を指で撫でてやる。
 施設に入ってから、毎日の日課だった。

「あなた、ハムは好き?」

 クロリスは若い客のためにハムをぶあつく切って持ってきた。

「自家製よ。けっこう評判なのよ。牧師さんの奥さんにいつも頼まれるの」

 若い客はハムを見て、すぐにナイフとフォークを握った。

 クロリスは微笑んだ。この客は彼女の言葉を理解してはいない。料理にお世辞を言うわけでもない。
 だが、無心に食事をたいらげる姿は可愛かった。なにも言わなくとも、その食べ方は十分な賛辞だ。

「あたしは、なんか縫ったりするのはダメなのよ。こういうものを作っている時が一番幸せ。美味しいと、自分にほれぼれするの。ちっぽけだけど、才能には違いないわよね」

 クロリスはリンゴ酒を手に、好き勝手にしゃべった。

 ふしぎな会食だ。
 見知らぬ若者に何を言っているのだろう。自分が夜に若い男を家に招き入れることからして、変だ。無用心すぎる。

 だが、ひどく楽しい。家が明るい。
 人間がひとり増えるだけで、家が明るくはなやぐのにおどろいていた。

 ――この子が若いから?

 クロリスは、薄い色の不精ひげを帯びた若者の顔を眺めた。

 若者は可愛い顔をしていた。同年代の若者のような覇気や、陽気さはなかったが、睫毛が長く、神秘的といっていいほどきれいな青い目をしている。
 そんなハンサムが彼女の自慢のハムを噛みしめ、幸せそうに鼻息をついていた。

 クロリスは微笑んだ。
 多少のリスクは冒しても、この景色を眺めるだけで十分愉快というものだ。

 ――誕生日プレゼントね。

 彼女はこの素敵なディナーが、天使からのプレゼントだ、とおもった。神様が、遅れたことを詫びて、かわいい使者をよこしたのだ。
 勝手な想像だが、そう思うと涙がにじんだ。
 頭を深く垂れたいような、抱きしめたいような、熱い、やさしい思いが胸に満ちた。

「あら、それは?」

 クロリスは若者の手元の写真に気づいた。

「見てもいいかしら?」

 写真には、若者と大柄な男が写っていた。ふたりとも野球帽をかぶり、ビールを手にご機嫌だった。

 若者はやはり無表情だったが、それでもカップのビールを掲げ、ポーズをとっている。口髭を生やした大男が彼の肩を引き寄せ、同じポーズをとり、楽しげなスマイルを見せていた。

(お兄さんにしては似てないわね)

 男はスペイン系に見える。いかつく、普通の務め人には見えなかった。
 写真の裏を見ると、メッセージがあった。

 ――ジョーディ。いつもおまえを思っているよ。ラロ。

 クロリスは首をかしげた。

(この男は家族なのかしら? 友だち? ボランティアの世話係というのでもなさそうだし)

 この若者の名がジョーディであるというのは間違いなさそうだ。そして、これを持っていた以上、ジョーディにとってこの男は大事な存在なのだろう。
 破れた封筒がそばにあった。中には1ドル札が数枚と小さなメモが入っていた。

 ――係の方へ。ここから代金を引いて、彼にレモンアイスを買ってやってください。不足したら、ご連絡ください。

 住所と電話番号があったが、インクがにじみ、数字が読み取れない。イリノイ州シカゴのアシュランド・アベニューとだけはわかった。
 クロリスは気づいた。

「ジョーディ。あなた、このひとに会いにいくの?」

 ジョーディは顔をあげ、目をぱちぱちとしばたいた。




 ――おはよう。クロリス。ひさしぶりだね。

 ――ハンク。いまはどこを走ってるの?

 ――ボルティモアを出て、……メリーランド州のどっか。

 ――95号?

 ――95号のわき道だ。また事故があってさ。

 ――でも、このままうちのほうへ来るわけね。

 ――まあ、方角はそうだね。

 ――うちに寄ってよ。お昼ごちそうするから。

 ――ええと……、今急いでいるんだ。

 ――じゃ、サンドイッチにしましょ。お客をひとり乗せてってほしいのよ。

 ――そういうのは今ダメなんだよ。

 ――助手席にサンドイッチの袋が乗っていると思えばいいのよ。あ、あなたソーセージもっていきなさいよ。ハーブが入ったの、好きでしょ。子どもたちにリンゴジャムもあげるわ。

 ――……わるいけど、ほんとうにダメなんだ。

 ――ハンク。あたし七十になったのよ。

 ――はあ。

 ――おととい、ね。

 ――ああ、おめでとう。

 ――ありがとう。七十よ。つまり、いつ死んでもおかしくない。これが最後の会話になるかもしれないってことなのよ。

 ――またまた、

 ――そうなったら、あんた、胸が痛まない?



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