ジョーディの旅 第7話
 
 男はチラと写真を見ると、興味薄に首を振って、コーヒーに目を戻した。

 その動きがかすかにぎこちなかった。ラロは小さな赤ランプが点いたのを感じた。
 このバスの運転手は、ジョーディを見ている。

「もう一度思い出してくれ。たしかにあんたのバスに乗ったはずだ」

「さあね」

 運転手はドーナツをコーヒーに浸し、口に放り込んだ。

「そうだとしても、覚えているわけねえ。毎日何十と人間が乗るんだ。顔なんか覚えているわきゃねえだろう」

 ラロは運転手の前から、コーヒーの皿を引いた。続いてドーナツの皿を引く。
 運転手が睨んだ。

「もぐもぐは後、思い出すのが先だ」

 ラロはカウンターに肘をつき、運転手を見た。
 上着の影の銃に気づき、運転手の小さな目が光る。

「そらなんだ? 怖がらせようってのか。おまわりを呼ぶぜ」

「呼べ」

 ラロは無愛想に言った。

「おれも腹がたってきた。こっちはこいつがどこで降りたか聞きたいだけだってのに、おまえはもぐもぐ。自分のクソみたいな盗みがバレないかビクビク」

 いいかげんにしろ、と声を低くした。

「おまえはこいつをバスに乗せてるし、覚えてる。こいつはチケットが買えなかった。おまえがチケットを買えとわめくと、封筒ごと金を出した。そこには1ドル札で180ドル以上残っていたが、おまえはチケット代と自分へのチップにごっそり抜いた。そんな気前のいい客だ。忘れたはねえだろう」

 運転手はそろりと視線をはずした。太い指で所在なげに青ぶくれの顎をいじった。
 図星だ。ラロは舌打ちした。

「早くおまわりを呼べ。調べりゃすぐわかる。見ていた客もいるだろうからな。おれの用はそっちじゃないが、まあいい。早く呼べ」




 コーヒーショップを出ると、ラロは憤然と自分の車に向かった。
 車の中では、グリーンウッド神父が携帯電話で話していた。

「ちがうよ、キミー。――だから、埋め合わせすると言ってるじゃないか。――じゃ、ラロが来たから切るよ」

 通話を終え、首を振った。

「いい年して、なにがディズニーランドだ」

「キミーちゃん?」

 ラロはナビを操作した。くだんのバスの運行路は畑ばかりの田舎のようだ。

「ああ。あいつ、リコが帰ってきたら、急にがめつくなった。ふたりしてディズニーランドに行く旅費をためてるんだ」

「払ってやんなさい。死ぬほど寄付を受けたんだから」

「わたしが受けたわけじゃない。教会にもらったわけでもない。わたしは忙しくなっただけだ。――そっちは何かわかった?」

「ジョーディは、バスに乗ってたようです」

 ラロは車を出した。

「モリスプレインズの先の、なにもない場所で降りた。金もない。バスのゴロツキ運転手に盗られちまった。いま文無しでさまよってます」

「そうか。早く見つけてやろう」

 ラロは鼻息をついて応じた。

 いまいましかった。施設から出るなど、無分別も甚だしい。
 金を巻き上げられたぐらいならいいが、世の中には何の理由がなくても相手にナイフを突き刺す人間がいる。ただどうなるか見てみたい、歩いていたものをただ止まらせたいという理由だけで、人を殺す異常者がいるのだ。

 さらに、ジョーディには敵がいた。

「警察はどうです?」

 いや、と神父は答えた。

「ソロモンはまだ逃亡中だ。捜査に全力を尽くしているそうだ」

「賞金はいくらです?」

「そこまでは知らない」

 ラロは腹のなかで毒づいた。
 高額の賞金が出れば、ハンター仲間がいっせいに飛びかかる。ラロも心置きなく射殺できる。

 はやくソロモンを仕留めたかった。
 あの男は脱獄して、ラロを狙いにきた。自由より復讐を選ぶほどの偏執狂だ。かならずまたやってくる。

(あの野郎はイカレてるが、阿呆じゃない。おれに意趣返しするにはどうしたらいいか、わかってる。まさか、ニュージャージーくんだりまで、追ってくるとは思えないが――)

 シカゴで警察がまだ捕えていないのが不気味だった。子羊がひょこひょこさまよい出ていい時ではないのだ。

「なぜ、ソロモンは」

 神父はつぶやいた。

「きみのところに行ったんだろうな」

「?」

「元はご近所と諍いを起こして、事件になったんだろう? ご近所には復讐に行ってないんだ。なぜだろう」

「クソの考えることなんざわかりませんよ」

「きみが何か――」

「あいつは異常者です」

 ラロは言った。

「お隣がかわいがってる犬を撃つような面白人間で、アイスピックで、ひとが足を突き刺すところを想像しながらマスをかく素敵人間です。理論なんかありゃしませんよ」

「しかし、理論のないように見えても」

「いいですか」

 ラロの声が大きくなった。

「親がアル中だろうが、戦争でトラウマがあろうが、孤独だろうが、そんなこといいわけにならない。大部分のひとはそれを乗り越えて、がんばってんです。面白人間が銃を持って逃げ回ってたら、殺さなきゃダメなんです」

「――」

「まず死骸にして、それから推理のお時間です。やつが冷たくなったら、いくらでも泣いてやりますよ」

 神父はあきらめ、もう何も言わなかった。




(とうとう誰にも会わなかった)

 アレンは灰色の湾の水を眺めた。
 エリー湖の上に冷たい夕風が動いている。湾の水が重い波を打ち寄せていた。

 彼は風に目を細めた。
 ここに来る間、警官が質問をしてくることもなく、浮浪者が金をたかってくることもなかった。アレンの最後の散歩をかまうものは誰もいなかった。

 これが答えだ。
 人生をここで終りにしていい、ということだ。

 夕暮れの景色はおだやかに静まり返っていた。沈黙は蟲惑的なほどやさしい。

 アレンは水のある景色が好きだった。
 この景色を見ながら、逝こうと思っていた。

(ボートでもあればもっとよかったな)

 汚い湖岸に倒れ伏すよりも、水に揺られて眠るのはどうだろう。人間の土地を離れ、自然の静寂のなかに溶けていくのは。

 それらしいものはないか、とふりむいた時だった。
 アレンは目を見ひらいた。

 潅木の根元にひとり若い男が座って、じっとこちらを見ていた。アイスブルーの目がふしぎそうに、ぱちぱちと瞬いていた。



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