ジョーディの旅

ジョーディの旅　第１０話
ジョーディはアレンの分も二本、コーラを飲んでいた。　車が揺れ出すと、げっぷがしきりにあがった。変な音をたてて、咽喉から盛大に空気が出ていくのは面白い。「ごふ。がッ――ぶふっ」「おい」　アレンは女の手前、恥ずかしかった。　後部座席に、女がいた。車道の脇を木の葉のようにふらふら歩いていたのを呼び止め、乗せたのだ。　女は乗った。だが、送ると言っても、自分の家の場所は言わなかった。　あの男は彼女の亭主なのかもしれない。「警察に行きますか？」　これも反応がない。アレンは弱った。　もし離婚沙汰になれば、彼女が男の車に乗っていることはよろしくないのではないか。よけいなことをしでかしたか、と思い始めていた。「げふ」　となりではジョーディが遠慮なくげっぷをしている。「ぐっ――んぷ、ゴフッ」　はずみがついてしまったらしく、止まらない。「がっ、がっ、んふ、ガフッ！　うー」　アレンがたまりかねてにらんだ時、後部座席で女が吹き出した。「すみません」　アレンは詫びた。「彼は少し――」「ン、ガアフッ！」　特大のげっぷが出た。　女は笑い出してしまった。アレンもそれに気づいた。バックミラーに、女がうつむき、肩をふるわせている姿が映った。「ぼくたち、シカゴに行くんですよ」　アレンは運転しながら話した。「シカゴで彼の友人を探すんです。彼は旅の途中らしくて、――ぼくたち、昨日知り合ったんです」　女はシートにもたれ、目を伏せている。あいかわらず、家がどこにあるか言わない。「エリー湖で」　アレンはすこしぼかして話した。「いっしょに湖を見ていたんです。彼はぼくの長い愚痴につきあってくれてね。で、よく見たら、彼のカバンにメッセージがついてる。シカゴのラロを探してるって。たぶん、誰かが貼ってくれたんでしょうね――だから、今度はぼくが手伝いしようと思って」　アレンは言った。「でも、親切とかじゃないんです。ぼくもたまには、ひとの役に立ちたいというか、――もうずっと誰の役にも立たずに生きてきたので、何かまともなことをしたいんですよ。もう少し、自分がいいやつだと思いたいんです」　ちょっと、しゃべりすぎたかな、と思った。　だが、かまうまい。隣のジョーディはくつろいで爪をいじっている。アレンが何を話そうと、バカにしたりはしなかった。「いいですね。それ」　女が小さい声で言った。「わたしも――」「え？」　女は後を言わなかったが、アレンにはなんとなくわかった。　アレンはふと言った。「いっしょに探しますか」「ええ」　女は答えた。「もし、よければ」　さらに言った。「シカゴに姉がいるんです。彼女のボーイフレンドが保険会社の調査とかしている人間なんです。助けてくれるかもしれません」　ラロは歩き疲れ、船を繋ぐ低いビットに腰をおろした。　水の上には大小のボートが舷を光らせ、ゆるやかに揺れている。（あのバカ野郎が、せめて名犬ラッシーぐらい賢けりゃなあ）　大洋のように輝くエリー湖を眺め、ラロは葉巻をひとつ咥えた。　グリーンウッド神父は、シカゴに戻っていた。万が一、ジョーディが帰り着いていたら、保護しなければならない。　ラロは不安だった。　自分が先にシカゴに戻って、復讐に燃える脱獄犯を片づけたかった。だが、神父はさせなかった。　――警察は犯人を探してくれるが、ジョーディを探してはくれない。　ならば、神父に探して欲しいと願い出ると、　――わたしは人探しのプロではない。それはきみが専門だろう。（じゃ、なんだって、うるさくついてきてたんだ）　勝手についてきて、必要になると去っていく。冷やかしとしか思えない。　だが、彼が去ると、少々つまらなくもあった。神父の美貌は、ただそこにあるだけで景色が明るかった。（触らせてもくれないのに）　鼻から息を吐き、ラロは憮然と水を眺めた。　グリーンウッド神父が自分のものになることは、一生ない。さらに彼はラロを自分の人助け事業にこきつかう。どう考えても、お得な関係ではなかった。（ジョーディもそうだ）　ジョーディも何をするというわけではない。ぽつんと座って、テレビを見ているか、飯を食っているだけだ。　　ただ、それだけの人間がいるといないでは、全然違った。　ジョーディが消えると、部屋が別物のように沈黙した。命あったものが、ただの物に成り果て、食べものがみな味わいをなくしていた。　すぐ慣れると思ったが、慣れなかった。　食事するたびに、自分の人生が火の気のない、つまらないものに思えた。　　テレビを見ても、酒を飲んでも、ふりむいた時、ソファにはだれもいない。目が何かを探していると気づくたびに、腹からガクリと力がぬけた。（だが、あいつを置くわけにゃいかないんだ）　　ラロは濁った水に目を落とした。　ジョーディと暮らすには、賞金稼ぎをやめなければならない。　それはできなかった。経済的にも無理だった。今回の怪我で貯金をほとんど使い果たしてしまった。これから報酬の多寡を問わず、稼ぎまくらねばならない。彼を恨む人間も増える。　犯罪者は警察よりもサツの犬のほうを恨むのだ。警官が追ってくることはわりきれても、ライセンス一枚持っただけのハイエナに追われるのは腹立たしいらしい。　ソロモンにしても、ラロはほとんど何かした覚えはなかった。　むしろ、穏便に捕えたほうだ。酔っ払って寝ているところを襲い、ガンファイトもなく、車にかつぎこんだ。目覚めた時、わめいたが、それに悪態を返した覚えもない。（連中はヒマすぎるんだ。牢屋のなかで、もっと別に考えることを与えるべきだ）　にがにがしく葉巻を噛み潰した時、背後から声がした。「旦那。少しめぐんでくれねえか」　ふたりのホームレスが並び、しょぼしょぼと見ていた。　ラロは追い払おうとして、　――ジョーディも腹をすかしているかもしれない。　ポケットから折り曲げた札を引っ張り出した。十ドル札を引き抜こうとして、片手でもたついていると、「全部でいいよ」　咽喉から吹き抜けるようなかすれた声が言った。その手元には太いサバイバルナイフがあった。　ラロは目をあげた。「おまえら、金の斧の話は知ってるか」「ああ。金の斧も銀の斧もくれ」　ラロは立ち上がりざま、その男の眉間を殴り飛ばした。間髪を入れず、隣の男につかみかかり、みぞおちを蹴りあげる。　男は軽かった。ぐしゃりと潰れ、地面に落ちた。　さらに蹴りつけようとすると、悲鳴をあげ、転がるように逃げた。　相棒のナイフ男はひっくり返っていた。その腹がいい具合に開いている。「こいつが金の斧だ！」　ラロはしたたかに蹴りつけた。男はカエルのような声を出して、身をちぢめた。　むしゃくしゃしていた。ラロは歯軋りしてその尻を蹴りつづけた。「銀の斧！　鉄の斧！　スチールの斧！　ダイヤの！　セラミック！　新素材だ！」　――こんな不浄の巷で、おれとジョーディが安心して暮らせるかってんだ。　ラロは憤然と立ち去った。
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