キスミー、キミー  第3話

 その日、リコは彼の客と犬を連れて、レストラン『トリマルキオ』に来ていた。

 客、ラウルの犬はすでに仕上がっている。
 アクトーレスの用はほとんどなかったが、この映画スターは犬を口実に、よくリコを食事に連れ出す。

「おまえはお高いなあ」

 ラウルはこぼした。「食事に誘うのにも、予約をとらせるのかよ」

 リコは肉のかたまりを口に詰め込み、片頬をふくらませていて答えない。

 客のラウルは、この大柄なアクトーレスが可愛かった。
 でかいからだを窮屈そうにスーツに押し込んで、おかしな町に合わせようと身をちぢめている。

 まだもの慣れぬ頃は、よく客にからかわれていた。セクハラまがいの扱いを受け、じっと忍耐していた顔を思い出し、ラウルはおかしかった。

(必死に民間の生活になじもうとしている)

 ラウルは以前、この男に前職をたずねたことがあった。

「ビル建築現場で、クレーンを動かしてました」

 ぬけぬけと答えた。
 真っ赤なウソである。

 役者のラウルは、このアクトーレスのぶあつい筋肉が工事現場の人間よりしなやかに動くことに気づいていた。家令に問い合わせ、ようやく納得がいった。

(デルタの戦闘員)

 特殊部隊の兵士だった。デルタの戦闘員は、民間人に扮して任務を行うこともあるため、軍人臭さがない。ラウルでなければ、クレーン運転士といっても十分通用したろう。

 だが、ひとたび任務につけば、重い背嚢を負い、迷彩クリームをべったりぬって、ジャングル深くに潜入したり、ドアを吹き飛ばし、炸裂する閃光と爆音の中、テロリストにマシンガンを浴びせる強悍な兵士である。

(そんな男がここで何をやっているのやら)

 聞きたかったが、さすがにラウルも聞けなかった。

「なんだい。セクハラ防止かい?」

 ラウルは、彼がアフターに客とつきあわないことをからかった。

「たまには金玉ぐらい触らせてやれ。お小遣いくれるぞ」

 リコは黙々と肉をほおばっている。

「お客様とのつきあいは大事だろうが。担当変えられたら、損だろう」

「べつにいいんです」

 リコはやっと言った。

「客のついていない犬を扱うだけです。そういう係もあります」

「金がよくないだろう」

「いや、いいですよ」

「そういう愛想のないこと言っちゃいけねえよ。結局、おまえらはかわいこちゃんのウェイトレスと同じで、呼び物のひとつなんだから」

「それなら、なおのこと安売りできない」

 こいつ、とラウルは笑った。

「じゃあ、いくらなら売るんだい?」

 リコは答えず、店の入り口を見た。
 小鳥の啼き声がフロアに響き渡り、客たちもふりむいた。

 いましも、ひとりの主人が店に入ってくるところだった。金髪の小柄な紳士が案内に従い、涼しげに席につく。彼は手招きして自分の犬を呼んだ。

「ハンス」

 店の入り口に美青年が立っていた。青年は泣きじゃくっていて、店に入ってこようとしない。その手に鳥カゴをぶら下げていた。
 ちっぽけな黄色いカナリアが、その中でせわしなく羽づくろいをしていた。気まぐれに澄んだ声でピリリと啼く。

(壊し屋だ)

 リコは肉に目を戻した。その男を知る客たちも、とまどったように目をそらした。

「ありゃ、すげえ大物がきたな」

 ラウルも首をねじって、そのテーブルを見ている。

「ペルツァー・グループのボスじゃねえか。あの犬はどうした? 子どもがえりしてんのか」

「鳥を締めるんで、泣いているんです」

 リコはクレソンを口に運びながら答えた。

「あのご主人は、いまから犬に小鳥を締めさせて、食わせるんです」

 ラウルはおどろいた。

「え、だって、ありゃ、あの犬のペットだろう?」

 リコは食べものを咀嚼しながら、そうだ、と見返した。

 壊し屋の遊びだった。犬のこころを取るためにヒナを買い与え、育てさせる。その後、馴れて指にのるようになった小鳥を自分で締めさせる。

 刺激のない暮らしのなか、犬の手にはカナリアの感触がいつまでも残る。金槌で自分の手を打ち砕いてしまう犬もいる。

 壊し屋ペルツァーは犬を買っては、その精神をいたぶりつくし、これまで十人ほど発狂させたり、自殺させたりしてきた。有名な男だった。

「ひでえな」

 ラウルは上唇を剥いた。「吐き気がするぜ」

 ほかの客たちも一様に食欲をうしなっている。

(べつにおどろくことはない)

 リコはさめた目で彼らを見ていた。
 むごい遊びに顔をしかめる彼らの足元にも、はだかの人間が侍っている。ここはそういう町だ。会員は自由に遊ぶ権利がある。

 リコは壊し屋の遊びが好きではなかったが、さりとて怒りも感じなかった。十一年、世界の紛争地を渡り歩いて、剥き出しの人間を見ている。世の中に多くをもとめなくなっていた。

「ハンス?」

 ペルツァーは低く、耳障りのいい、やわらかい声をしていた。聞きたくなくても煙のように耳の穴に入ってくる声だった。

 殺せ、と言った。
 美青年は悲鳴をあげた。

 次の瞬間、彼は鳥カゴのなかに腕をつっこんだ。鳥のおどろいた羽音がたつ。狭いかごのなかで鳥は暴れた。青年は泣いた。鳥があわて、飛び跳ね、短く啼き声をたてる。

 その時、リコの傍らをすっと白い裸が通った。
 その犬は素裸に、店の黒いエプロンをつけていた。

 犬はまっすぐにそのテーブルにむかうと、青年の手から鳥カゴを引き抜いた。

「!」

 青年の手が宙を泳ぐ。
 犬は何も言わず、鳥カゴを持って店先まで出た。さっとカゴに手をいれたと思うと、彼は中空になにかを放った。
 黄色い塊がちらと光った。かわいた羽音が、埃っぽい町の上へ飛んでいった。

 そのすこやかな羽音は、リコのなかにも鮮烈に響いた。
 リコは目を瞠き、犬の背中を見つめた。動けなかった。

 鳥カゴを手にした痩せっぽちの背には、侵しがたい美しいものがあった。
 白っぽい金髪の頭がふりむき、一瞬、光に透けた。

 リコは我を忘れ、ふりむいた若者を見つめた。

 ひとではない。自然、だった。純粋で、無知で、底抜けに明るい自然、がひとのかたちをして動いていた。

 自然、はリコに気づくと、にわかにカゴを取り落とし、赤くなって駆け出した。



 ←第2話へ          第4話へ⇒




Copyright(C) FUMI SUZUKA All Rights Reserved