キスミー、キミー  第6話

 だが、彼の幸福は続かなかった。

「媚びる相手を間違ってるぞ」

 リコはキミーの手に、包み紙も解かない箱を押し付けた。

 キミーは手のなかの箱をぼんやりと見た。リボンには、カードが無造作にささっていた。

 彼が昨夜、何度も書き直した、マンガの描かれたカードだった。絵だけでも意味がわかるように、皿を運びながら図案を考え、工夫を凝らしたものだった。

「おまえは犬だ。思い上がるな」

 リコは簡単に言って、店を去った。

 キミーはよたよたと店の裏に入った。からだをまっぷたつにされたように、ぼう然としていた。
 椅子に腰をおろし、手のなかの赤い包みを見下ろす。ただ涙があふれて落ちた。

「キミー」

 彼の仲間がタオルを渡した。キミーは顔をおさえ、とたんに噴き上げるように号泣した。

 おそろしかった。恋人の冷気に触れ、ひたすら怯えた。
 自分のふるまいが恥ずかしく、泣くほかなかった。とんでもない失敗をしたと知った。

 あまりに泣き声がはげしかったため、店まで響き渡った。トリマルキオの亭主はキミーを叱った。

「ほらみろ。向こうは迷惑すると言ったろう! 調子にのって、ペクリウムも無駄遣いして、これで満足か」

 ことさらにきつく叱ったのは、彼もせつなかったからに違いない。
 キミーはいよいよはげしく泣いた。




 キミーの涙はとまらなかった。
 フロアに立ち、客が食事する景色を眺めながら、涙ぐんだ。テーブルの前で、注文を聞きながら落涙した。

 亭主は最初、小言を言ったが、そのうち放っておいた。
 それでも年かさの仲間は、見るに耐えないのか、

「リコはわざと冷たく言ったんだ。アクトーレスだから」

 キミーもそれは理解することができた。理解はできたが、やはり世界一大事に思っていた相手から攻撃を受けて、たちなおれなかった。

(見てるだけでよかった。見てるだけでよかったのに)

 思うことさえ拒絶され、キミーの手には何もなくなってしまった。これからどうしていいのかわからない。

「なんだ、おまえは仔犬か」

 食事にきた客が、キミーの泣き顔を見て、あざわらった。

「お客様にイタズラされて、かなしゅうてしょうがないのか」

 客はキミーの腰をつかみ、自分のひざの上に抱き取った。エプロンの下に手をいれ、ペニスを握り締める。
 キミーは眉をしかめたが、抗わなかった。ただうつむいて落涙していた。

「どうした。掘りまくられて、もう気分も出ないか」

 客は生臭い息を吐きかけ、ペニスの先を指でなぞった。

「よせよ」

 向かいにいた客が眉をしかめた。

「こいつは、例の邪眼だぜ。呪い殺されるぞ」

 手を出した客はその話を知らなかった。友人から聞くと、おもしろがった。

「そいつはすごい」

 客はキミーを抱えなおし、その顎をつかんだ。

「そんな噂をふりまいて、怠けてやがったのか。ワン公。ひとつおれが怠け癖を叩きなおしてやろうか」

 客の目がのぞきこんだが、キミーは哀願の言葉も口にせず、ぼんやりと洟をすすっていた。
 客はにわかに顔色を変え、キミーを床に放り出した。

「泣き顔をやめろ。笑え! おまえは犬だろうが!」

 友人が止めたが、客はとどまらなかった。ほかの給仕の犬を呼び止め、バイブを持ってこさせた。それをキミーの前に放る。

「そいつでよがってみせろ。足を開いて、みなさんにサービスするんだ」

 キミーはうつろにバイブを見つめた。それを拾い、むぞうさに客のスープのなかに突っ込んだ。

「こいつ!」

 客は色をなしたが、キミーは床にしゃがんで、ひざを開いた。股の間に、手をさしいれる。彼は美しい眉をしかめた。

 バイブを直腸に含むと、キミーはひざをつき、エプロンをかなぐりすてた。客にむかって膝立ちになり、露わな股間を見せる。

 目をとじて、スイッチを入れた。
 鈍い振動がフロアに響いた。まわりの客はみなこの見世物に注目していた。

「うふ」

 キミーは刺激に胸をそらせ、片手をうしろについた。金色の巻き毛がひとふさ、その目にかかった。透明な涙が頬をつたい落ちた。




 キミーが目をさました時刻は遅かった。
 彼は仮眠室にいた。昨夜、客に嬲られ、疲れて仮眠室で寝たことを思い出した。ようやく自分の荒れ方に気づいた。

(もう、泣くのはやめよう)

 キミーは泣きすぎて痛むこめかみをさすった。

 もともとかなう恋ではないと知っていた。リコが冷たい男だということも承知で好きだった。またひとり勝手に、思っていればいい、と思った。

 ――リコに好かれなくても。

 また涙がにじみそうになり、彼は顔をこすり、ベッドを降りて、身支度した。

「おはよう」

 仲間の犬に声をかけると、犬はろくに彼の顔も見ず、うなずいて去った。ほかの犬もなぜか顔を合わせない。

(なんだろう。くさいのかな)

 キミーはシャワーを浴びるべきか、迷いつつフロアに出た。もうだいぶ遅刻している。
 トリマルキオの亭主は客のいない店の隅に座って、ぼんやりしていた。

「マスター。おはようございます」

 キミーは笑いかけた。

「寝坊してすみません。寝坊ついででなんですが、シャワー浴びてもいいですか」

 ああ、と亭主はぞんがいやさしい声を出した。

「そうしな。今日は出なくていいよ」

「いや、出ますよ」

 キミーは数日の不作法をあやまった。

「もうちゃんとします。おれもおとなですから」

「いや、出なくていいんだ。もう」

 キミーはいぶかった。
 亭主は妙にやさしい、力ない目を向けた。

「おまえは売れたんだ。あの壊し屋――ペルツァー様のとこに行くんだよ」


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