キスミー、キミー 第7話 |
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レストランの犬に買い手がつくことはあまりない。性奴用の商品ではなく、売り込みもなされない。 だが、まれに引き取り手があれば、率先して売られる。ヴィラとしても犬から取る微々たるペリクリウムより、会員から得る莫大な利益のほうがありがたい。 家令がキミーの売約を知らせた時、亭主は猛然と腹をたてた。 「あの方がつい先日、キミーを刺したことはご存知でしょうな」 家令は知っていた。知っていたが、それはなんの理由にもならぬのである。 「ペルツァー様は元値の十七億セスで買われた。ほかに買い手があれば、もっと出すとのことだ」 「あいつには呪いがかかってますよ!」 家令はとりあわなかった。 「今週末に連れて帰るそうだ。犬を成犬館に移して、身ぎれいにさせておいてくれ」 (おれは売られるのか) キミーは目をしばたいた。この一年、キミーは自分が売り買いできる奴隷ということを忘れがちだった。不自由はあり、屈辱はあったが、彼はそれなりにトリマルキオの生活に順応していた。 ――五年まじめに働けば、外に出してやる。 亭主が言いつづけたせいもある。 それがあっけなく反古になってしまった。 (ペルツァーって、あれか) これもキミーは忘れかけていた。リコに助けられて舞い上がり、また、つれなくされて悲しみ、その発端になった事件のことは薄れていた。 (あれに買われたんじゃ、おれはもうダメだな) キミーはナイフの冷たさを思い出した。血が流れ、命が掻き消えていく感触がよみがえった。 あれに、もう一度刺されると思うと、さすがに腹から力がぬけてくる。 次は誰も助けてくれない。ヴィラの客たちさえ恐れる大富豪である。 ペルツァーは、経済界の巨人のひとりだった。 ペルツァー薬品は、十九世紀からつづくドイツの老舗である。 第二次大戦中はナチスドイツと結びついていたが、敗戦後はすみやかにアメリカに拠点をうつし、多様な企業をその傘下におさめた。軍需産業もそのひとつであり、いまや巨富をもって、この国の議会を動かしている。 ヴィラと同じ、治外法権に近い権力を持っていた。 逃げ場はなかった。 (おれ、やっぱり死ぬのか) この世とのお別れになる、と思った時、キミーは愕然とした。 あれが最後だった。リコと会ったのは、あの悲しい出来事が最後になる――。 (そんな) キミーはふたたび噴き出すように涙した。 アクトーレスのインスラ(アパート)入り口で騒動が起きた時、リコは知らなかった。 あくる日、オフィスでミーティングに出た後、同僚が呼び止めた。 「これ」 と赤い箱を手渡す。数日前、リコがキミーにつっ返した箱だった。 「犬がもってきた。きみに」 リコはにがい顔をした。 (あの犬、性懲りもせず) 「よく叱っておく」 「その必要はないだろ。もうとっつかまった」 同僚は言った。 「昨日の晩、インスラに犬が逃げ込んできたろ。そいつが、もってたんだ。ハスターティにつかまった時、おれに投げてよこした。きみに渡してくれって」 リコはおどろいて同僚を見た。 「逃げた? シャンパンブロンドの犬か」 同僚はそうだ、と言った。主人がついたが、それをいやがって逃げてきたらしい、と言ったため、リコはまた同僚を見つめた。 「主人って、……レストランの犬だぞ」 「たまにはそういうこともある。買ったのは、クラッシャーのペルツァーらしいな」 逃げたくもなるよ、と言った。 リコはとまどい、立ち尽くした。 (あの犬がいなくなる) それも、 (やつを刺した男に買い取られる) にわかに信じられずにいた。 カードをひらいた。そこには、つたない犬のマンガがいくつか描いてある。 犬が包丁に刺される絵。べつの大きな犬に包帯を巻いてもらう絵。プレゼントの箱を差し出す絵。 最後に、犬が手を振っている絵がつけ加えられていた。 |
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