キスミー、キミー  第10話

 キミーはランドローバーの助手席に座り、ぼんやりと流れゆく夜の街をながめている。
 すっかり口数が少なくなっていた。窓の外を見るふりして、時々、洟をすすっていた。

 リコはそれに気づいていたが、黙っていた。
 キミーがなにを考えていたかはわかる。このかわいいバカは無防備に両手をひろげて待っていた。幸せいっぱいに彼を迎えた。

 ――勘違いするな。

 とばかりに、リコはその鼻先でぴしゃりとドアを閉めた。
 自分がごまかしをやっていることに気づいている。

 キミーを抱いてしまうのはわけないことだった。あそこで夜を過ごせばやはり抱いていたろう。

 だが、リコはためらった。キミーを要救助者としてわりきりたいような、悪あがきにも似た思いがあった。
 自分のふるまいが卑怯だとわかっている。それゆえ、キミーが泣くとイライラした。

 リコは車を停めた。

「泣くのはよせ」

 彼は言った。

「いまは集中しなきゃならない。遊んでいるヒマはないんだ」

 キミーは顔をそむけたまましゃくりあげていた。それでも、わかってる、とうなずいた。

「タンジールで偽装がバレたら、本格的に捜索がはじまる。その前に空港にたどり着いていたい」

 近くの空港はすべてミッレペダの下部組織が入っているから使えない。彼らの目の届いていない空港を使いたいのだ、と説明する。しゃべりながら、自分でくどいとおもった。

「気にしないで、いい」

 キミーはむせび泣きながら言った。

「おれ、頭おかしいんだ。こんな時に――。バカだろ。そういうことしか、考えられないんだ。エロいから」

 でも、さびしいんだ、と腕を目におしあてて泣いた。

「好かれなくてもいいって決めてたけど、やっぱり、あなたが、遠くてさびしい」

 キミーはどこまでも正直だった。

 リコは迷い、その髪に触れた。うつむいたうなじに触れると、キミーはしがみついてきた。

 キミーは胸の上で泣いている。その腰をかきとって、ひざに乗せてしまうのはたやすい。
 だが、リコはまだためらっていた。ふるえる細身を腕に抱きながら、これ以上進むのが不安だった。

「抱かなくていいよ」

 キミーはすすりあげた。

「こわいんだろ。おれ、こうしているだけでいい」

 キミーがこわい、と言ったのは、自分にまつわる噂のことだった。キミーを抱いた人間が不幸な死を遂げるという。

 だが、リコはべつのこととして聞いた。彼は虚をつかれた。

「こわい」

 術にとらわれたように、明かしてしまった。

「おまえを白い袋に詰めてしまうのが、こわい」

 しろい袋? とキミーが目をあげる。リコは言った。

「死体袋だ」


 

 キミーはリコのシャツの胸に頬をのせていた。

(なんて硬い胸だろう)

 無駄のない、ひとを寄せつけない硬さだった。キミーはたくましさより、もろさを感じた。ブロックのような、いつか砕けてしまう強さだと思った。

 リコはひとつの風景を見つめていた。
 赤い大地のうえに、見渡す限り、白い袋が並べられている。ファスナーのついた袋のなかには、ひとつひとつ死骸がはいっていた。

 デルタの仲間の死体。ほかの部隊の兵士の死体。自分が訓練した外国の兵士たちのもの。テロリストに惨殺された警官。戦闘にまきこまれて死んだ人々。
 そして、倒してきた敵の兵士たち。

 戦闘はいつも無感覚のうちに行われる。死者は無意識のうちに袋に詰められてしまう。
 袋にいれてしまえば、もう省みない。
 壁から絵をおろすように、思い出はなくなり、ただの袋に変わる。

 リコのまわりは白い袋でいっぱいになっていた。このごろは、ひとに会うと、こいつもいつか袋に入ると思うようになっていた。

「おまえを助けたい」

 リコは低い声で言った。

「だが、今度ばかりはやれるかどうか、おれもわからないんだ。とてもハードな状況だ」

 キミーは聞いた。

「おれが消えたら、かなしい?」

 リコは沈黙した。やがて、

「なにも感じない」

 といった。




 オーストラリア・ミッレペダは小型機のなかに、アクトーレスと犬を見出すことができなかった。

 一方、A国空港の情報員は、似た風体の白人ふたりがタクシーで市街に入ったことを調べあげていた。
 タクシーの運転手は、大柄な男のほうがしきりに、モロッコの天候を気にしていたとおしえた。

 ――ふたりはジブラルタル海峡からヨーロッパへ渡る。

 モロッコのタンジールで警戒体制がとられた。

 だが、二日後、うってかわってチュニジアのマトマタ近くのチェックポイントから報告が入った。
 手配のふたり組が、白いランドローバーでパイプラインを南下しているという。

 ミッレペダ・北アフリカ師団に犬狩りの指令がくだった。


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