キスミー、キミー  第16話

 夜空は砂塵のために星が少ない。
 月だけがのこり、大地をしずかに照らした。

 寂漠とひろがる暗い平原に、場違いな鳥の鳴き声が聞こえている。

(あいつ)

 リコは憮然と、キミーの口笛のする方角へ歩いていた。
 春先の渓谷で、小鳥がメスを呼んでさえずるような、うれしげな口笛だった。リコが、もうやめろ、という意味で一度口笛を返すと、それはいっそうけたたましくなった。

(あいつ、砂漠中のベルベルに宣伝してやがる)

 そう思ったが、止めるすべはない。

 さらにキミーは火も焚いている。闇のなかに光点が灯り、灯台となってリコを呼んでいる。同時にミッレペダへの信号にもなってしまっていた。

 リコはふりかえった。
 闇のなかに、ミッレペダの若者が足をひきずりながら、ついてきている。

「何しにくるんだ。ついてくるな」

 そう言ったが、あえて止める気もなかった。
 むしろ、時々ふりかえり、ついてくるのを確かめている。

(タガがはずれている)

 自分でそうおもった。
 射殺すべきものを撃たなかった。その上、レイプした。

(現役時代なら、考えられないことだ)

 無頼漢のようにふるまう自分におどろいていた。
 逃走の緊張とはげしい交戦のために、一種、酔ったようになっている。血を鎮めたかったのか。

 ――あるいは。

 この一年の奇怪な生活を、踏みにじってやりたかったのかもしれない。そんな残忍な気分が少しあった。

(問題は、あれだ)

「リコ!」

 遠くで高い歓声があがった。人影が砂を蹴って走ってくる。
 夜空の下、キミーの細い影が今にも飛びつこうと両手を広げていた。

「遅かったね。車こっちだよ。どこまで飛んでいったの?」

 キミーが抱きつこうとした瞬間、リコは大きく腕をふりあげ、その頬を打った。
 キミーはもろくも横なぎに砂の上に倒れた。おどろいて見上げる。

「よくも勝手な真似をしてくれたな!」

 リコは激怒していた。




 勝手なスカイダイビングだった。
 キミーに言い分はない。

 リコを説得できないと思ったから、勝手に飛んだのである。後を追う以外なくして出ていったのだから、怒るのは当然だと思った。

「あの後、ふたりの人間が飛びかかってきた」

 と、聞き、キミー自身も蒼ざめた。うかつにも、そこまで考えてはいなかった。

 リコは腹立ちをぶちまけた。

「おまえは援護ひとつできない! 捕虜を縛っておくこともできない! 役に立たないどころか、おれの敵だ」

「……」

「おかげで砂の上を歩いて移動するしかなくなった。どうする気だ」

「車、動きそうだよ」

 キミーが遠慮がちに言うと、リコは手をひろげた。

「けっこう! おまえはそいつに乗ってどこへでも行け。おれはまっぴらだ。勝手にさせてもらう」

「そんな。お、おれを置いていくっていうのかよ?」

「おまえといたら殺される」

 装備を分けようと言い出し、キミーはさすがに慌てた。

「もうやらない! なんでも言うとおりにするよ! 今度はRPGも撃つ」

「もう何もするな。あのミッレペダとヴィラへ帰れ」

 帰れといわれ、キミーは涙をあふれさせた。べそをかきながら、必死にあやまった。

 リコは捨て置き、ひっくりかえったランドローバーに近づいた。
 無念だったが、すでにあきらめていた。もともと無理をさせたことはわかっていた。

 リコは最終的に捕虜を全員殺すつもりでいた。キミーはそれに気づいていた。
 尋常な人間なら、人死には避けたいと思うのが当たり前である。とくにキミーはそれが甚だしい上、行動力がありすぎる。
 カナリアの時からそうだった。

 リコは不便と思いつつ、そうしたキミーの美しさを矯める気はまったくなかった。

「キミー。医療品のパックは」

 リコが聞くと、キミーはすぐに涙を拭いて愛想よく言った。

「こっちにもう出したよ。リコがケガしてるかもしれないと思ったからさ。夕飯ももう出来てるんだ」

 リコは水を持ってくるように言いつけ、車を離れた。砂の上に倒れている珍客を拾いにいった。




(どこへ向かう気だ)

 ピートはスペース・ブランケットをかぶり、傷の痛みにあえぎながら、聞き耳をたてていた。

 リコはランドローバーを修理している。キミーはそのまわりで飛び跳ねながら、はじめてのスカイダイビングがいかに素晴らしかったか、を話していた。

 ――車が直ったら、ふたりは出て行く。

 このままいけば、本当に北アフリカから脱してしまうかもしれない。
 それはさせまい、とピートは思った。

 ランドローバーには、チェックポイントで発信機が取りつけられていた。だが、先の接触で、律儀な仲間がその発信機を回収している。出発してしまえば、追跡は困難になる。

 なんとかふたりに食いついて、味方に連絡をとろうと思った。
 リコを殺すつもりだった。
 味方が彼を捕獲しても、射殺する。あとで降格されようと、クビになろうとかまわなかった。

 ピートは執念深い男ではなかったが、いまは精神の危機にあった。

 犬狩りといえば、裏社会で恐れられるミッレペダの戦闘部隊である。若くしてオプティオ(副隊長)の地位についたピートは、優秀な戦闘員のはずだった。

 それがむざんにも逆襲され、撃たれ、あげく犯された。さらにこの凶猛な敵は、貧者に哀れみをかけるように、彼の銃創の手当てした。
 ピートは打ち砕かれる思いがした。自分の価値だとおもっていたものが、半日で木っ端微塵になってしまった。

 だが、めそめそと泣いて救援を待つのはいやだった。
 敗退などしない。この任務はまだ終わっていない。ショックでただよう精神を無理やりかき集め、挽回するのだ、と誓った。

 ――あいつを殺さねば、おれは成り立たん。

 ピートは火のように思いつめていた。



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