キスミー、キミー  第17話

 ランドローバーは追跡を避けるため、パイプラインをはずれ、砂地の上を移動した。
 スピードが出ず、荷馬車のようにガタゴト揺れるおぼつかない走りだった。

 ピートは、後部の荷物の上に倒れていた。足の燃える痛みで眠るに眠れない。

 車が動き出した時、ピートは無理やり後部に乗り込んだ。出て行け、といわれたが、荷物にしがみついていた。
 リコは結局、あきらめて車を出した。

(ふん)

 ピートはあなどった。

(こいつ、もうおれを殺せないらしい)

 リコがピートの銃創を手当てした時点で、それはうすうす感じていた。戦闘中でもなければ、そうそう人を殺せないものだ。
 つまみ出されもしなかった。ピートは敵の甘さを見て、希望をもった。

(くそったれ。今度はこっちがぶちこんでやる)

 疼く足を抱え、ピートは聞くでもなく、ふたりの話し声を聞いていた。
 しゃべっているのは、もっぱら犬のキミーのほうである。この若者は、ドライブがうれしくてしょうがない小学生のようだった。

 はしゃぎ、ひとりで笑い、またよく働いた。
 車が砂にはまるたびに、飛び出していく。

 時々、タイヤがやわらかい砂だまりに埋まる。空回りして動けなくなるため、砂を掘り、タイヤの下に板を食い込ませる。板にタイヤを乗りあげさせて車を引き上げるのである。

 キミーは車が停まるたびに、文句も言わず、作業に出ていった。
 リコが、あとはやるから寝ろ、と言っても聞かない。

「平気」

 キミーは言った。「もったいなくて、寝れないんだ」
 にわかに感激したように、一年越しなんだぜ、と言った。

「一年前から、ぼくはあなたをおもっていたのです。知ってた?」

 知らん、とリコはあっさり言った。

「くそう! そうだろ。でも、ちょびっと口きいたことあったんだよ。クリスマスの時、おれがメリー・クリスマスっていったら、リコもメリー・クリスマスって答えたんだよ」

「そら、誰にでもいうさ」

「そうだろ! そうだと思ったんだけど、おれはすごくうれしかったんだよ! はじめてしゃべって、気絶するかと思った」

「オーダーとりに来たことなかったか」

「ないよ!」

 でも、今はいっしょにドライブできてハッピー! と笑った。
 ピートはにがにがしくそれを聞いていた。

(ばか犬め)

 さかりのついたワン公と調教係のせいで、自分がこの禍にあったのかと思うと、なにやら情けなくなる。
 よほど、

(こいつはさっき、おれをレイプしたんだぞ)

 と教えてやりたくなった。
 リコの声も醒めていた。

「キミー。おれはおまえを安全地帯に届けたら、消えるよ」

 ピートは思わず、耳をそばだてた。

(?)

 このふたり、恋人同士ではなかったのか。
 キミーは沈黙した。さきまで笑い声が跳ね回っていた空気がにわかにしぼんだようだった。

「いいよ」

 彼の声は小さかったが、きっぱりと言った。

「おれが勝手に追いかけていく」




 ピートは二日の間、荷物の上に倒れ、へたばったまま運ばれていた。
 銃の傷痕がドリルで穿たれるように痛み、発熱している。苦しさと恨みのために、へとへとになっていた。

 二日目、ついに、彼は朦朧とした耳にヘリのローター音を聞いた。

 ――来た!

 その時、ピートは陽を避け、ランドローバーの車体の下にいた。
 逃亡者たちは、昼は追跡をおそれて移動せず、車にカモフラージュ用のカバーをかけて、休止していた。

 ピートは車の下からころげるように出て、駆け出した。
 すぐに背後から重いものが飛びかかってきた。砂に叩きつけられ、もがきながら、ピートはヘリを探して怒鳴った。

「おーい、ここだ!」

 声はかすれた。すぐさま大きな手が口を被う。転がって逃れる。
 リコのからだが胸にのしかかり、顔を押さえた。殴りつける手首をつかまれる。ピートは睨み、懸命に砂を蹴ってあばれた。

(ちくしょう)

 ピートは歯軋りした。肘で押さえられた腕すら動かせない。
 リコは押さえつけ、じっとヘリのローター音をうかがっている。
 だが、すぐに冷笑した。

「遠すぎるな」

 と言った。
 彼の言うとおり、音だけはかすかに聞こえたが、近づく気配はない。それもやがて消えた。

 灰色の目が見おろした。ピートは憎しみをこめて睨みかえした。
 ふるえそうだった。

 三日前と同じ重さ、同じ体温がからだの上に乗っていた。
 なぜか、いつまでもどかない。

 跨がれ、相手のペニスの位置がわかった。その不気味な重み、かたちすらわかる気がした。そこだけ少し熱いのではないか。
 ピートは奥歯を噛みしめた。

(このやろう。また犯る気か)

 心臓がはげしく跳ね上がっていた。脳髄が灼かれたようになり、硬直し、動けない。

(いやだ。いやだぞ)

 だが、リコは鼻でわらって、どいた。

「お客様、危険ですので、お席にお戻りください」

 ピートは車体の影に引きずり戻され、手足を縛られた。
 タイヤの陰で、ピートは目を大きく剥いたまま、身をこわばらせていた。鼻息がちぎれるようにふるえた。悔し涙で目が熱かった。

 その隣で、キミーはうすく口をあけて、熟睡しきっていた。騒動には気づいていない。



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