キスミー、キミー 第18話 |
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砂が深くなっていた。 ランドローバーは砂丘のつらなる本格的な砂漠に踏み入って、しばしば止まった。ついには完全に動かなくなった。 リコはレンチを投げ捨て、徒歩で目的地へ向かうと言った。 「イエスッ!」 キミーは砂漠行に興奮した。この若者は月の下で幻想的に波打つ砂丘を見てうずうずしていた。はやく砂に自分の足跡をつけたくてしかたない。 ピートはたずねた。 「目的地はどこだ」 「まずは井戸だ」 リコは荷物を分けながら、言った。 「もう水が残り少ない。きみも荷物を少し持て」 水がもうタンクひとつに満たない。余分な乗員とキミーが脱水症状を起こしたせいだった。 「どうせ、ついて来るんだろう?」 「あたりまえだ」 ピートは憮然と言った。復讐はもとより、こんな砂の上に置き去りにされれば、夏ではなくても枯死する。 三人は夜の砂漠に踏み出した。 先頭にリコが立ち、そのうしろにふたりがつく。 「おれたち、アラビアのロレンスみたいだな!」 キミーは大いに愉快がり、ラクダに乗りたいとしきりに言った。 「おれの夢百個ぐらいあるんだけどさ。こないだ、スカイダイビングやったろ。あと、ラクダで砂漠を越えるってのがあるんだよ。どっかに離れラクダでもいないかな」 ピートを相手に、興奮してしゃべり続ける。 ピートはこの犬が苦手だった。 キミーはピートの包帯を替えたり、世話を焼くうちに、勝手にうちとけてしまっていた。友だちのような顔をして隣にいる。 ピートもつい釣り込まれて、 「ラクダなんか、今はベドウィンだって乗ってねえよ」 「じゃ、何乗ってるのさ」 「トヨタだよ」 ええ、とキミーがバカ声をあげる。 「だって、ラクダ市とかは?」 「あれは食用だ」 ええ、とまたキミーがわめく。 ピートは笑いそうになり、こまった。 ピートも話し好きなのである。この青年を相手にしていると、どうしても隊の仲間といるような気になって、軽口を飛ばしそうになる。 (気をつけねえと) ピートは口をとじ、自ら戒めた。 自分はいま精神的にきびしい環境にいるのだ、と思った。敵中にあり、いつ殺されてもおかしくない。やさしさに飛びついて、ストックホルム症候群をおこしやすい。 (馴れ合うな。この犬は捕獲対象だ) そう思うが、 「見て」 キミーは小さめの砂丘の肌を小走りに丸くまわって、つぎに逆向きにまわり、笑った。 「アットマーク(@)」 (このばか) ピートも、やりにくかった。 しかし、一時間もすると、キミーの口も重くなった。 さらに時間がたつと、そのアゴが出た。喘ぎ、からだが揺れていた。 ピートは先頭を呼んた。 「休憩してくれ」 リコが戻ってきて、しばしの休憩になった。 キミーは砂の上に足を放り出し、あとどれぐらいかたずねた。 「このペースだとあと十時間ぐらいだ」 キミーの影がどんよりする。 「M&M食べてもいい?」 リコはゆるし、少量のチョコレートと水が配られた。甘味は疲れたからだにすばやく沁みとおる。 「うまいーッ!」 キミーがひっくりかえって手足をバタつかせた。 「もう、おまえ」 ピートは笑ってしまった。「うるせえよ!」 井戸の前で、ピートは犬のように吠え立てた。 「これか? これが井戸か! あんた、ホントに地図が読めるのかよ!」 たどり着いた井戸は乾ききっていた。中をのぞくと水どころか、砂場のように砂が満ちている。 「いつの時代の地図だったんだ。コロンブスの時代か」 ピートは鳴り止まない。 半日以上、砂の上を歩かされ疲労困憊していた。 小砂丘はひとつが、だいたい高さ五十メートルほどにもなる。表面の砂粒は細かく、それが引き抜く足にからむ。夜明け以後は、気温もあがり、火の粉を含んだような大気を吸いつつ、そんな砂山を延々とのぼり下りしてきた。 ピートはケガした足をかばって歩いたため、股関節を痛めていた。 キミーはとっくにへたばり、何度か止まって嘔吐している。 しかし、井戸は乾いている。 水を飲めない怒りと、疲労と苦痛で、ピートはつい自分の立場を忘れた。 「貸せよ。地図! てめえ、読めねえんだろ。ナビできねえのに、先頭に立つなよ!」 リコの表情はサングラスで見えない。しかし、その声は気分を害した風もなく、 「枯れているとはいえ、井戸についたんだから、間違ってはいない」 彼は言った。 「ここで休もう」 残りの水を、それぞれのペットボトルにそそいで分け与えた。最後の水である。 さらに、スペース・ブランケットをキミーとピートに一枚ずつ渡し、陽射しをふせぐように言った。 「いったいどうするんだ」 「夜になったら、べつの水場に行くさ」 ピートはうんざりした。 「そこも干上がってたらどうするんだ!」 「そしたら、またべつの水場へ」 リコは厚地のシャツを引っ張り出し、それをひっかぶると井戸の傍らに身をよこたえた。 キミーがすぐそのとなりに横たわり、恋人にもスペース・ブランケットがかかるようにひろげる。 ふたりが銀の毛布に隠れてしまうと、ピートはどうしようもなかった。 井戸のそばに人頭ほどの石が砂に埋もれていた。 ピートはそれを睨み、銀の毛布を睨んだ。毛布の下の薄茶色の頭を凝視した。 毛布のふくらみにまたがり、両手で石を振り上げているところを想像した。 頭蓋骨をこなごなに打ち砕き、脳漿を飛び散らせ、赤い血を砂に染み込ませる。奇声をあげながら、死骸の上で飛び跳ねる。それですべて終りにすればいいのではないか。 顎がふるえるほど、奥歯を噛みしめた。 「くそっ!」 彼は、熱い砂の上に横たわった。 |
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