キスミー、キミー 第19話 |
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眠れるものではない。 四月とは思えぬほど暑い日だった。 この暑さの中、砂漠で水がないという事実が、ピートはおそろしかった。 ただ息をしているだけで、呼気から水分は失われる。皮膚からも蒸発していく。 ピートは熱砂の上に横たわり、薄いブランケットをかぶって、ひたすら暑苦しい自分の鼻息を聞いていた。 不快だった。 水が欲しかった。 先に分けられた水は一口で飲み干してしまった。とってなどおけない。口腔の粘膜から吸い込まれるように水が消えた。 水が欲しいという思いのほかに、時折、ちぎれ雲のように思考がよぎった。 ――あのバカなでかぶつのせいで殺される。 と思い、 ――殺されるのは仲間が裏切ったからだ。 と恨み、 ――ノリーにも裏切られた。 と脈絡なく憂鬱な思いが過ぎていく。 恋人がむくつけきSAS隊員に抱かれ、からだをくねらせている絵が浮かび、ひどくむなしい思いがした。 (おれは、なにをやっているんだ) と泣くようにおもった。 犬狩りが失敗するはずがなかった。逃げ隠れする場所のない砂漠の一本道で、捕え損なうはずがない。 一度は勝ったのだ。連行すれば終いのはずだった。終わったら、仲間とビールを飲んでバカ騒ぎすればよかった。 (うは) ピートは冷たいビールを思い、くるおしく悶えた。ボトルの口から白い泡があふれるさま、ビンの表面の水滴さえありありと見えた。幻が痛いほどだ。 ――ちくしょう! 死ぬなら、ビール飲んでから死にてえ! その思いもちぎれ飛び、意識がだんだんと濁ってきた時、彼の顔に砂があたりはじめた。 リコが叫んでいた。 「起きろ。砂嵐だ」 リコはすぐスペース・ブランケットを片づけた。空のタンクが飛ばないようにキミーに座らせる。自分も座り、ピートにもそうさせた。 パラシュートの薄いシェルターさえない。 三人は井戸のまわりに腰をおろし、砂嵐にもみくちゃにされていた。髪の間に砂が刺さる。口を開けずとも、砂粒が口に入った。 ピートがほんの少し目を開けた時、キミーが空のタンクを追いかけて走っているのが見えた。 嵐がようやく鎮まった時、三人とも砂人形のようになっていた。 あまりの風体に、キミーがケタケタ笑い出した。 「ちょっと並んでみて」 砂だらけのふたりの顔の間に自分も並んで言った。 「ラシュモア山」 リコが吹きだした。 山に刻んだワシントンやジェファーソンのように並ぶ自分たちを想像し、ピートもつい吹いてしまった。 一度笑うと、笑いがとまらなくなった。底抜けにばかばかしかった。なにもかも滑稽で、手に負えなかった。 三人はゲラゲラ笑った。 「さて、それじゃいよいよストレス・フェーズのはじまりだ」 リコは荷物の仕度をさせた。 月が揺れていた。 ともするとふたつに増えた。 ピートは重い足を砂から引き出し、また砂のうえに置いた。足が細かい砂に沈み込む。重く砂が巻きつき、靴が埋まる。 太腿が焼けていた。引き抜こうにも太腿が持ち上がらない。 ピートは遅れた。 前方のリコの影がどんどん小さくなっていた。 止まれ、と叫びたかったが、叫べなかった。そんな体力もなく、気力もなかった。 ただ足をうごかす。ゆらゆらと揺れる大地に立ち、這うように進んだ。 砂を見ると倒れたくなる。ピートはリコの影を見ていた。 月の下のその影は奇跡のようだった。 頭が見えないぐらいの大荷物を背負い、それでいてアルファルトの上を歩くように軽々歩いた。しかも腰にはロープをつなぎ、よたつくキミーを引っ張っている。 (あれは、ばけものだ) ピートはぼんやり思った。とても追えない、と思った。もうすぐ自分は折り崩れる。この砂の上に置き去りにされる。 ――これがあいつの作戦かな。 自分で手を下さず、砂漠に始末させようとしているのかな、などと思った。 そうだとしても、ピートにはどうしようなかった。 喘ぐごとに吐き気がした。からだが砂に吸いついたように重い。もう勝負どころではない。はやく倒れたい。冷たい砂を抱いて眠りたい、と思いはじめた。 だが、 「リコ!」 キミーがかすれた叫びをあげた。闇のなかに、リコの影がひざをついている。 ピートは目をうたがった。 (倒れた?) 一瞬、哄笑しそうになった。 しかし、リコの影はひょいと手をのばし、 「来い」 と合図した。 ふたりがのろのろ近づくと、彼は砂の上を示した。 「なんだ」 「見てみろ」 月明かりの照らす砂の上にハート型の痕があった。そこかしこに大量のハート型が押してある。 「キミー、夢が叶ったな」 リコはふらふらしているキミーに笑いかけた。 「なにこれ」 「ラクダだよ」 ハート型はラクダの足跡だった。大量のラクダが移動している。 ラクダがどうしたのだ、とピートは思った。 「もうずいぶん前の足跡かもしれないぜ」 「さっき砂嵐があったじゃないか」 リコは荷物を下ろした。 「きみらふたりはここで待て。おれはひとっ走り行って、水をもらってくる」 |
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