キスミー、キミー 第20話 |
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十分も歩くとキャラバンの火が見えた。 リコはそこに辿りつき、トゥアレグ族の隊長に願い出て、窮状を訴えた。 トゥアレグの隊長は、闇の中から、白人が出てきてひどくおどろいた。魔物かもしれないと一瞬思ったろう。 リコは一度少量の水を得て戻り、半死半生で倒れているふたりに飲ませた。 ふたりが少し回復すると、キャラバンの野営地に連れてゆき、そこでラクダの乳をもらった。 ラクダの乳は牛乳より薄いが、ほんのり甘い。 ボールに泡を山盛りにした乳を受け取り、ピートはおぼれるように飲み干した。 うまかった。乳はこのうえなくやさしくからだに沁み、乾いた細胞に満たされた。 「神様」 ピートは手をひろげて砂のうえに倒れた。 一度死んだような心地だった。 わけもなく感激して涙がにじんだ。オイオイ泣きたいような気分だった。 となりにはキミーが倒れていた。やはり満足し、満腹して倒れている。倒れたまま、 「ピート」 と手をあげた。ピートは笑って、その手を打った。 砂に座ったラクダの群れが月明かりを浴びている。なごやかに、じゃむじゃむと餌を反芻する音が聞こえている。 火のそばでリコがトゥアレグたちとアラビア語で話していた。 ――チュニジアで映画の撮影があるんだ。こいつらは撮影用だ。 ――いつもこのルートでくるのか。 ――いつもはここを通らない。あんたがたは幸運だった。 (タフなやつ) そう思ったが、ピートはもうねたまなかった。 (少し休めよ) 美しい月の下で、つぎの水場の様子や、近隣の部族の動静を聞いているリコがどこか気の毒になった。 「同じように暑いのにさ、最初よりムチャクチャ元気なんだよな。あのラクダのミルクのせいかな」 「あれはビタミンCが豊富だっていうからな」 「だからだるかったんだ! おれたち缶詰ばっかりでビタミンC不足だったんだよ」 となりを歩くキミーが機嫌よくしゃべっている。ピートは受け答えながら、ひそかに苛立っていた。 三人はキャラバンと別れた後、本命の水場にたどりついた。 井戸には水がゆたかにあった。三人は咽喉をうるおし、素裸になって水をかぶった。 コーヒーを沸かして食事をとった後、リコははじめてピートに目的地を明かした。 逃亡者たちは、ハイウェイに出て、ヒッチハイクで空港まで行こうとしている。 行き先はアルジェリアのハシ・メサウド空港だった。 ――やつらの逃避行はそこで終わる。 ピートはそこにミッレペダ要員が待っていることを知っていた。 ハシ・メサウド空港は通常はミッレペダの警戒網に入らない。 だが、今回、このふたりが車でパイプラインを南下しているとわかった時点で、国境およびパイプライン沿いの五つの空港に警戒体制が敷かれた。 そして、パイプラインから横道一本でいけるハシ・メサウド空港も、警戒範囲にふくめられているのである。 そこが大外枠であり、そこさえ脱け出てしまえば、北アフリカで捕まる可能性はぐっとうすくなる。 だが、ピートはそれを教えるつもりはなかった。 ――おれはミッレペダ隊員だ。 キミーの明るい笑顔を見ていると、心中悶えるものがあったが、ここが堪えどころだ、とおもっていた。 (とにかくあの野郎に、吠え面かかせてやらなきゃならんのだ) 確保したら、リコは自分の手で射殺する。そう決めていた。 なんのつもりか、あの男は自分を殺さず、水を分け与え、世話を焼いたが、そんなものにほだされるつもりはなかった。あの日の痛烈な侮辱は忘れられない。 だが、空港へ一歩すすむごとにイライラした。 前を歩くでかい背中が、ばかばかしいほどのんきに思えた。 (なんでおれに聞かないんだ) と、その無警戒さに腹がたった。 聞かれもしないのに、教えるわけにもいかないではないか。 ピートは悶々と悩んだが、結局、彼らはハシ・メサウド空港へはいかなかった。 ハイウェイで待つ三人の前に現れたのは、憲兵隊のジープだった。 三人はアルジェリアの憲兵隊に不審者として連行された。 「わたしたちはただの旅行者です。ビザもある。車がダメになったので、しかたなく砂漠を渡ってきたんです」 憲兵隊はリコの言葉を信じなかった。彼は銃を持っていた。 (終わったな) ピートはリコの顔を見て、その焦りを感じ取った。 リコの顔色は悪かった。 どの国の政府機関も奥深くでヴィラとつながっている。この逮捕の連絡がいけば、護送の途中でミッレペダに引き渡されてしまう。 強引にでも脱出したいに違いない。だが、キミーが別のジープに分乗させられていた。 憲兵隊のオフィスに連行された時、ピートは決意した。 「借りを返す」 リコはうなずいたが、 「うまく言ってくれ。荷物のなかにはC4が入っている」 ピートは目を剥いた。プラスチック爆弾である。 |
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